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α編集部
:2014/03/11(火) 22:21:46
合評する姿勢 と 受ける著者の姿勢
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合評する姿勢 と 受ける著者の姿勢
合評について 1
2007/8/6
私もNさんが感じられたように、Kさんが合評にたいする意見や疑問を英語で投げかけら
れる意図が分かりません。正面からそして真剣に討論するならやはり日本語で書くのが筋
でしょう。何かの感情をさえも日本語で相手に理解して貰うのさえなかなか難しいのに。
まして論じるとなればなおさらのことではないでしょうか。おぼろげなる英語の理解力で
内容を見ると、褒めることがほとんどで批評するに至ってないとのことですが、よく読ん
でください。指摘すべきことはどなたもちゃんと書いて居られます。
また、O氏のエロ、グロ、ナンセンス、誹謗中傷なんでもOKということは、このような
HPにおいては建前上止める事は出来ません。そうかといっていやと思う人が抗議して意
見を闘わせて方向付けしなければ、私が「落書き帳」に見切りをつけたように離れて行く
のが必定でしょう。それはそれでよろしいということであればそれでよろしいでしょうが。
合評について 2
2007/8/10
◆ 合評についての方法論はNさんが実に明確に分析し提示してくれました。私も前面
的にそれに賛成いたします。
◆ だが、今回の問題は実はそれ以前のマナーの問題だと思います。何を書いてもよろし
いという建前は確かにそうですが、何度も検証し分析して苦労しながら合評するとい
う責任を負った真面目な投稿と、楽しい会話やホラ話やユーモアや艶な話や披露とい
ったお遊びの投稿とを区別しないところに有るのではないでしょうか。
◆ なんでもありでそんな決まりはない方がいいという人もいるでしょう。しかしこれは
決まりではなく、それなりの教養を身につけている人であれば自然に備わってくるエ
チケット・マナーではないでしょうか。だから社会生活していく上で最小限のマナー
が無ければよけいな軋轢を覚悟しまければなりません。それはそれで良いという人は
不作法な人の中で平気で居られるのでしょうか。そういう人は一番先に諍いを起こす
か、離れ去っていくような気がします。(こういう憶測をいっちゃーいけませんね)、
とにかく真面目な記事に対する、事実の検証をしないいい加減な思いこみによる批判
や揶揄は、その人の人格を自らおとしめる事になると思いますが。
◆ だから個人が良い放しの投稿であればそれはそれで読者も無視していいでしょうが、
呼びかけて読者の意見を求めるのであれば、自ら身分を明かすか
読者が理解できる言葉を使う努力をすべきであると思います。
「樹木との付き合い・波乱」*を読んで?????? *同人α13号掲載
2008/1/5
◆同人αの合評をしているので評論というものを知りたくて、このところ家にある新潮社
版の小林秀雄全集十四巻を拾い読みしている。小林は部分的な表現や齟齬を指摘するの
ではなく、全体的な印象や考え方の評論が多い。それらは本丸に突き進んで結論めいた
業物を「さあどうだ」とばかりに広げるわけでもなく、搦め手から知らん振りしてじわ
りと攻めてくるから、なかなか一筋縄ではいかないのである。だからよく読まないと本
意がどこにあるか、それを見つけるまでに難儀をすること請け合いだ。私もそのうち何
とかその神髄を会得して合評の質を高めたいと思っている。
◆大木への憧憬
私も樹木には関心がある。特にイイギリは郷里の九州ではあまり見かけた事がなかった
ので、横浜から六本木の会社まで通う東横線の祐天寺駅の手前にあった赤い実をつけた大
木は何だろうと思ったのが最初だ。平吉の訪れた国立自然教育園にも沢山あるのも知って
いたし、立川の昭和記念公園の入り口付近にも大木があった。イイギリは冬がいい、真っ
白な雪の中であればもっと印象的であろう。廻りの落葉樹の葉が落ちてしまった中に大手
を広げて仁王立ちした大木が、真っ赤な房状の赤い実をぶら下げて一人自己主張をしてい
る様は擬人的でさえある。
◆さて本文についての感想を書こう。自然のなかの木々の描写や少年の頃の田舎の思い出
も的確に描かれていて読者を納得させるものである。また株の世界、その売買システムな
ど経験のない私にとっては目新しく、ああこういうものかと情況はわかった。
しかし、次の二点で納得いかないと思った。
1.プロットにおいては「鶴の恩返し」や「浦島太郎」が見え隠れしている。
2.人物の性格においては大木に心を寄せる人物と投機に走る人物がどうも性格上
しっくりしない。世の中にはそういう人もいるとことは否定しないが、この場
の平吉の自然に対する精神的な清さと、生き馬の目も抜くような非常な世界の
人間に違和感がある。
やはりこれは「○○の恩返し」というプロットを意識した設定で、らくさんが
言及しているように別々の物語にした方がいいのではないかと思った。
『生活の探求』
2008/1/6
◆小林秀雄の島木健作の「生活の探求」の評があった。
「島木健作の最近の書き下ろし長編「生活の探求」は、特色のある小説である。この長
編は未完であるから完結した作としての出来栄えをここで論ずることは出来ない。ただ
これだけでも充分僕らの興味を惹くのは、この策の思想小説としての明瞭な意図である。
*一昔前に、青年の頃読んだ懐かしさでこの本を探したが廃版になったのか、見つか
らなかった。いつかまた神田の古本屋街でさがしてみるか。
◆また志賀直哉論の中で、「作品の印象を率直に受け入れるために、何も批評家になる必
要はない。作中人物となって生活しているような気になること、或いは作中人物と実際
に交際したいような気持ちになること、そう言う一般読者が小説を読む際にして必ず抱
く率直な錯覚は、高級なもの通俗なものたるを問わず、凡そ小説と呼ばれるものが社会
に生きるための根底の条件をなす。
◆志賀氏の文学に登場する人物の数や種類は、きわめて少ない。古典が日に新たな所以は、
その作者に、後世の発見を待つほど多様に才能が備わっているためではない。ある限定
されてはいるがユニックな才能を徹底的に発揮したことによるのだ。志賀氏の作品のう
ち、作者の手で充分に仕上げられた人間のタイプを求めれば、僅かに「暗夜行路」の時
任謙作一人しか見つからないであろう。
楽屋裏を開かすことの可否
2008/10/29
先のMさんの 「合評・お礼」に代えて(その1)の創作の経緯についての記述があり
ましたが、このことについて考えてみます。私の考えでは下の理由であまり楽屋裏のこと
を作者が語ることは好ましくないように思いますが。皆さんの意見は如何ですか。
◆創りものと分かりながらも読者は感情移入して読もうとしますが、それが作者が経験し
たり似たような事実を目の当たりにして感動したものでなく、資料を集めて書いた全く
の創りものと打ち明けられた時には、いくら良くできた物語でもどこかに冷めた意識が
読者に生じると思うからです。読者は無意識にその中に含まれる「あざとさ」を感じた
りしないでしょうか。
◆テレビなどでNG集などを映して楽しんだり手品師が最後に種を開かすのと同じで、そ
の面白さは別の意図であって本筋とは違うもの、いつも使えるような手法でなく禁じ手
に等しいものでしょう。
◆創作者が自らその楽屋裏を語ることは、飴屋がぺっぺっと両手にツバキをつけながら延
ばしている所を晒すようなもので、いくら甘くて美味しいあめでもそれを見てしまった
後食べる子供は興ざめすると思いますが。
以上、創作の方法についての皆さんの疑問に答えてという作者の意図があるのかも知れま
せんが、折角物語の主人公に肩入れしようとしている読者に対しては効果がないと思いま
すが。またまた天の邪鬼・捻者・野次馬・おせっかいの「赤松次郎」の弁でした。
「合評会の熱い夜」をみて
2009/2/15
昨夜見た「合評会の熱い夜」という番組をみて。
小説を書くことを目指す十人近くの作家志望の人達が、月に一度集まって人の作品を合評
するというドキュメンタリー映像である。我が同人αの合評とどこが同じでどこが違うか
に興味を持った訳です。
ある男性と女性の二人の作品を通して、みんなの批評によってどのように考え方、表現
方法が変わって行くのかを検証してありました。二人とも普通でない、むしろ異常な環境
のなかで育ったものを小説に書いたわけでありますが、それが独りよがりだったり、皆の
共感を得られなかったのはどうしてだろうという考察、惑い、悩みに一つの方向を見いだ
す、それでも多少の光明は見えてきたが、まだ確たる解答を二人とも得ていないというス
トーリーでした。
ところで、別の番組のミステリー物の犯人が分かるか判らない場面とこの番組を交互に
チャンネルを切り返していたために、いきなり「知の技法」という文字をホワイトボード
に書いてい人がいましたが、その本のどの部分が話題になったのだろうかと知りたかった
のですが迂闊にも見逃してしまいました。この本はかつて沼南ボーイさんとの間でホーム
ページの中でやり取りをした覚えがあったもので、東京大学教養学部「基礎演習」テキス
トとして「知の論理」「知のモラル」「知の技法」の3部作として出版されていたもので
す。私にとっては今でも「ものごと」を考える方法論として非常に参考になっているので
あり、もしこのての本を読むことに苦痛でない人は一読を勧めます。
だが、私にとって書くことは、人に読んでもらって、その物語に共感して欲しいという
よりは、むしろ今まで生きてきた時間や空間の中で経験してきた自分だけの逸話や考え方
を記録したいと思っているだけで、「合評会の熱い夜」に出演した人達のような「売れる
物を書きたい」と言うわけでは必ずしもないのであります。
合評をしないい理由
2009/12/29
NさんがM氏の合評をしないのは、以前M氏から受けた侮辱的な評にによるものと考え
られます。私もそういう言い方でM氏から言い放されたことが都度都度ありました。今回
の私の評にたいする回答をみても、問題提起にかんしての誠意のある受け答えをしないで
突き放すところがあります。それは彼の使う言葉の不的確さを認識しないが、知らないか
だと思いますが。とにかくNさんは冷静に論じあうことが不可能だからあえて表すること
はしないと誓っているようです。
論評
2010/10/30
引用
「斜光」・『巻頭言』・・・人生相談を読んで・・・投稿者:M
早速、××組・S氏の『巻頭言』について
「イジメ」の記事についての考え方として、「イジメはなくならない!」と、に明解な、
第三者的な判断で、識者・評論家たちが、軽率に「イジメのない世中」などと口にしてい
るのを批判されているのも、ユニークです。しかし・・・しかしですねえ・・・「人生相
談が楽しく読める」というのを、悩みを必死の思いで相談に持ちかけた人が聞いたとした
ら・・・。また、「イジメなんてなくならない!」・・・こちらも、イジメられた当事者
の耳に伝わったりしたら・・・。どうも「アッシには、係わりゴザンセン!」・・・木枯
らし紋次郎のようにクールですね。まあ、「ユニーク」ということで、読者の関心引きそ
うで、まさに最高の『巻頭言』であることには間違いありませんが・・・
◆と批判的な論調で書かれているが、おしまいのところでMも、
「人生相談」はシッカリ、『楽しんで』読んでいます。理由は、「創作小説」のネタに
ならないだろうかと、データとして整理しているんです。」
と来る、M氏が、「S君は不見識だ」といわんばかりの、そのS氏の発言と、自分(M氏)
が小説のネタとして読んでいることといったい何処が違うのだろう。
その論で行けば己の態度も同じく不見識ではないのか。
この人はいつもこのような同じ過ちを犯し、自分の言動に一貫性がない。
「原点」*を読んで?????? *同人α21号
2010/2/2
(前略)
この作品を読む前に、Rさんの生い立ちに関するO氏の投稿があった。私は以前も書い
たが、そしてこれは個人の趣向の問題だからそのように思わない人もいるだろう。しかし
私は一つの作品を読むときに、その様な解説や、裏話や、作品を作るときの構想などは知
らない方がいいという考えを持っている。
確かにそのようなエピソードを知りたい、面白いと思う人もいるだろう。しかしそれは
手品師が観衆の関心を得るために、種を明かすという手法と似ている。私はその手品が不
思議で、仕掛けはどのようになっているかと考えるのは楽しいが、手品師が自らの手の内
を明かすことは、まるで蛸が自分の足を食べるように、読者に予断を与え本来の作品の鑑
賞を邪魔するような、食えない話であると思うが・・・如何。
憎まれ口について 投稿者:O 投稿日:2010年2月4日 〔憎まれ口についての憎まれ口〕 編集部
Aさん、嫌々ながらの合評、有り難うございました。苦手だったり気が向か
ない作品の合評は神経を使うと思うし、努力も必要だから尚の事その労苦に感
謝します。参考にして、検討したい個所は有り難くそうさせてもらうし、私の
意図が分っていないと思う時は、それがこちらの書き方が原因なのか、読む人
の読解力が問題なのか、こちらでよく考えた上、勝手に判断させてもらので、
どうぞご心配なく、言いたい事を書いて下さい。赤松さんの「何を意図してい
るのか分らない」に対する答えは、楽屋裏を見せてしまい、後の方々に先入観
を与えてしまう事になるかもしれないので、最後に書きましょう。
自分が思いもよらなかった見方や感想があると、それを自分に取り込む事でも
っと世界を広げる事が出来るだけでなく、評する内容によってその人の考えや
感性がある程度分るし、それも合評してもらうもう一つの楽しみです。
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