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63資料管理請負人:2014/02/27(木) 03:57:02
詩散策
.
                 詩 散 策
             2002−2004年??Tea Pot




2002年

窓辺にて−その1 4/13

一気に初夏の季節になったかのように
半袖で花見した3月末の陽気も
しまい込んだセーターを再び探す今日の寒さは
裏切られたような気持ちで
それならそうと花の季節をいっそのこと少し遅らせて欲しかった
頭の隅でどこそこの垂れ桜はいつ頃、牡丹はいつ頃の算段はあるものの
あれやこれやでついつい見逃すこのごろ
しかし窓の外、公園を隔てたビルディングの壁には
もう枯れて死んでしまったかと見えた夏蔦が
薄緑の芽を吹き出し日を追うほどに勢いを増す

今日から tea time(やすらぎのひととき)に
窓辺から望む情景や心に浮かぶ思いの数々をスケッチし
−願わくば毎日−シリーズとして書き留めたいと思う


窓辺にて−その2 4/14

いい本にいきあたるのは至難のわざ
年間数100万部出版されるものの中
昼下がりのひととき静かに
まず、帯の文字を読み
ゆっくり急がず扉を開く
読み終えるまで三日
反芻すること数日
もう手当たりしだいに読む時間は
私にはゆるされていない
願わくばひとときでも
至福の時をあたえる本にであいたい



窓辺にて−遠い昔の話 4/25

少年のころの話である。
いつも側に一匹の犬と数匹の猫そして時には兎がいた
飼っているようで、そうでないようで
なんとも悠長な関係であった
猫や兎の名前はそのときどきで変わったが
犬の名は代々「ベル」であった
「ベル」が死んだり、行方不明になると
どこからともなく野良犬が住みつき
「ベル」という名を引き継いだ
不思議なことに彼らのほとんどが
雑種のおとなしい性格の赤犬であった
近所の子供にも親しまれ
友人の妹に私のことを「ベルのようにやさしかね−」と
形容詞として使われるほどであった
大人になった私は家をでていったので
「ベル」がその後何代続いたかは知らないままである



窓辺にて−若きころ 5/15
上京したての頃、あまり詩歌と縁のなさそうな風貌の
Tという友人がおしえてくれた詩を思い出して。


                旅上

          ふらんすへ行きたしと思えども
          ふらんすはあまりに遠し
          せめては新しき背広をきて
          きままなる旅にでてみん。
          汽車が山道をゆくとき
          みづいろの窓によりかかりて
          われひとりうれしきことをおもわむ
          五月の朝のしののめ
          うら若草のもえいづる心まかせに。

          地下鉄道(サブウエイ)にて

          ひとり来りて地下鉄道(サブウエイ)の
          青き歩廊(ホーム)をさまよいつ
          君待ちかねて悲しめど
          君が夢には無きものを
          なに幻影(まぼろし)の後尾燈
          空洞(うつろ)に暗きトンネルの
          壁に映りて消え行けり。
          壁に映りて過ぎ行けり。

             *「なに幻影の後尾燈」「なに幻影の恋人を」掛け詞    萩原朔太郎詩集より



窓辺にて−あじさいの詩 5/24

様子がおかしい、何かが変だ、窓越しの空気に漂う不快さ。
一瞬の逡巡、一瞬の沈黙
悲しむべきか、ビルの壁に勢いよく這い登っていたあの夏蔦が無惨にも刈り
取られていた。
もうすぐ梅雨。今まで通ったことのない路地を好んで歩く癖は、永い彷徨の結果
染みついた私の趣向であり、今日も真砂図書館までの未踏の路地裏を探した。
そこには蛇苺やあじさいの花がさく路地であった。そしてその時あじさいの花の詩を
思い出したがそれは記憶違いであった。それはあじさいそのもを詠った詩ではなかった。

               こころ

          こころをばなににたとへん
          こころはあぢさいの花
          ももいろに咲く日はあれど
          うすむらさきの思ひでばかりはせんなくて。

          こころはまた夕闇の園生のふきあげ
          音なき音のあゆむひびきに
          こころはひとつによりて悲しめども
          かなしめどもあるかいなしや
          ああこのこころをばなににたとへん。

          こころは二人の旅びと
          されど道づれのたえて物言ふことなければ
          わがこころはいつもかくさびしきなり。


                萩原朔太郎 「純情小曲集」より



窓辺にて−思い出してはいけない 7/31

 ベランダの前の公園では8月に近づくと、一斉に蝉が鳴きだした。
 その声を聞くと急に不安になり、まだ半分も過ぎていない
 というのに、残りの夏休みの日を数え始めた少年の頃。
 なつかしい詩の数々は、いつになっても思い出すその頃の己の
 心象風景を。



窓辺にて−「水駅」 8/15

若い頃島崎藤村や室生犀星などの詩集を愛読したが、現代最先端の詩は
最早私の理解を遙かに越え難解になってしまった。韻を踏むことや、
七五調の快いリズムや、五・七・五といった定型の呪縛から脱出を目論で
いるようであり、散文に近いものもある。

                    水駅

          妻はしきりに河の名を聞いた。肌のぬるみを引きわ
          て、わたしはすすむ。

          みずはながれる、さみしい武勲にねむる岸を著けて。こ
          れきりの眼の数でこの瑞の国を過ぎるのはつらい。

          ときにひかりの離宮をぬき、清明なシラブルを吐いて、
          なおふるえる向きに。だがこの水のように移りは決し
          て、いきるものにしみわたることなく、また即ぐにはそ
          れを河とは呼ばぬものだと。

          妻に告げて。稚(わか)い大陸を、半歳のみどりを。息はその
          さきざきを知行の風にはらわれて、あおくゆれるのはむ
          ねのしろい水だ。

          国境、この美しいことばにみとれて、いつも双つの国は
          うまれた。二色の果皮をむきつづけ、錆びる水にむきつ
          づけ、わたしたちはどこまでも復員する。やわらかな肱
          を輓(ひ)いて。

          青野季吉は一九五八年五月、このモルダビアの水の駅を
          発った。その朝彼は詩人ではなかった。沈むこの邦国
          を背に、思わず彼を紀念したものは、茜色の寒さはな
          く、草色の窓のふかみから少女が垂らした絵塑の、きり
          つけるように直ぐな気性でもなかった。ただあの強き水
          の眼から、ひといきにはげしく視界を隠すため、官能の
          ようなものにあさく立ち暗いんだ、清貧な二、三日付で
          あったと。

          水を行く妻に告げて。
                        荒川洋次 詩集「水駅」より



窓辺にて−朝の食事 8/21

朝の日の光を浴びながら、丸いテーブルを窓辺に引き寄せて
蔦の模様のテーブルクロス、ワイルドストロベリーのtea cup
メインの皿には一枚のクリスプベーコンとアメリカンベーコン2枚
5分きっかりにボイルドした半熟玉のそばには緑鮮やかなブロッコリー3切れ、茎2切れ
メルティチーズの乗った4分の1の食パンと焼きおにぎり4個
高坏のガラスカップに青紫のブルーベリーがはいったヨーグルト
メロン6分の1切れ、以上今日の朝食でした。

ところで「君よ知るや南の国、オレンジはたわわに実り」という
ゲーテの詩を思い出せないのですが、どなたか教えて下さい。
たぶん「ミニヨン」の中に出てきたと記憶しているのですが。



窓辺にて−「ミニヨンの歌」 10/2

ゲーテの「ミニヨンの歌」を見つけた。「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」
の第3巻の巻頭に載せられているのだが、それは私の覚えている歌詞ではなかった。
訳者によってこうも違ってくるものか・・・。それぞれの訳はもはや別のものに見えてくる。
「君よ知るや南の国 オレンジたわわに実り花はさける」の訳者は誰でどの詩集なのか
またも迷路にはまってしまった。

   ??たとえば赤井慧爾訳では

                 「あの国をご存じですか」

          あのくにをご存じですか、レモンの花が咲き、
          暗い葉かげに黄金のオレンジが燃え、
          穏やかな風が青い空から吹き、
          ミュルテルは静かにそして月桂樹は高くそびえています。
          あの国をご存じですか。
          あそこへ、あそこへ
          あなたといっしょに、ああわたしの愛しい人よ、行きたいのです。

   ??そして森 鴎外訳では

                 「ミニヨンの歌」

          「レモン」の木は花さきくらき林の中に
          こがね色したる柑子は枝もたわわにみのり
          晴れて青き空よりしづかやかに風吹き
          「ミルテ」の木は高く
          くもにそびえて立てる国をしるやかなたへ
          君と共にゆかまし

          「君よ知るや南の国 オレンジたわわに実り花はさける」はどこいった?


窓辺にて−ミニヨンの歌 10/21

ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」の第3巻の冒頭に出てくる「ミニヨンの歌」の
訳でここ半月ばかり探していたものが遂にみつかった。昔親しんだ詩である。森 鴎外・堀内敬三
会津八一・大久保健治などたくさんの訳がある中で若い頃覚えた訳詩はまた特別である。

          Kennst du das Land, wo die Zitronen blueh'n,
          Im dunklen Laub die Gold-Orangen glueh'n,
          Ein sanfter Wind vom blauen Himmel weht,
          Die Myrte still und hoch der Lorbeer steht,
          kennst du es wohl ?
          Dahin! Dahin!
          Moech't ich mit dir, o mein Geliebter,zieh'n.

          君よ知るや南の国
          レモンの花咲き
          緑濃き葉陰には、こがねのオレンジたわわに実り
          青き空より、やわらかき南の風
          ミュルテは静かに、ロルベ−ルは高くそびえる。
          君よ知るや、かの南の国。
          かなたへ、君とともにゆかまし。愛しきひとよ。
                          本田 清訳



窓辺にて−詩人の友 10/28

詩ははみ出し落ちこぼれのものだ
とK氏から借りた本にあった。
強い人を単純だとせせら笑い、成績のよい人を点取り虫だと陰口をいい
負け惜しみに耽る。同人誌とはそういう傷のなめ合い、慰め合うもので
なかろうか・・・と杉山平一は書いている。

          敗れた者でなければ
          友ではない
          虐げられた者でなければ
          味方でない

          押しのけ進む者は
          旗とともに去れ
          ・・・・・・・・

          声たてぬすすり泣きこそ
          われら詩人の味方なのだ

                 丸山 薫 「詩人の友」より



窓辺にて−晩秋 12/2

冬の始まりにあたって、やり過ごした秋を思う。
あの時思い切って紅葉の山へ出かければよかった。

          晩秋

          汽車は高架を走り行き
          思いは陽(ひ)ざしの影をさまよふ。
          静かに心を顧みて
          満たさるなきに驚けり。
          巷(ちまた)に秋の夕月散り
          舗道に車馬は行き交へども
          わが人生は有りや無しや。
          煤煙くもる裏街の
          貧しき家の窓にさへ
          班黄葵(むらさきあふい)の花は咲きたり。
           −朗吟のために−

                        萩原朔太郎 詩集「氷島」



2003年

窓辺にて−春の兆 1/24

太陽の光は微かに力を増したように思えます。
冬至からすでに一月過ぎ、厳寒のなか少しずつ春にむかって、
あらゆる生物が動きだす気配を感じます。

               竹

          ますぐなるもの地面に生え、
          するどき青きもの地面に生え
          凍れる冬をつらぬきて、
          そのみどり葉光る朝の空路に、
          なみだたれ、なみだをたれ、
          いまはや懺悔をはれる肩の上より、
          けぶれる竹の根はひろごり、
          するどき青きもの地面に生え。

                草の茎

          冬のさむさに、
          ほそき毛をもてつつまれし、
          草の茎をみよや、
          あおらみ茎はさみしげなれども、
          いちめんにうすき毛をもてつつまれし、
          草の茎をみよや。

          雪もよひする空のかなたに、
          草の茎はもえいづる。
                      萩原朔太郎 詩集<月に吠える>より



窓辺にて−新緑のころ 4/28

新緑のころ

窓辺から望むポケットパークの欅の新緑が美しい。
それぞれの性格が芽を出す時期をずらし、
急いで飛び出す木もあるし、ゆっくりあたりの様子を確かめる
のんびりした性格のものもある。
我が家のベランダにgooseberryはすでに実をつけ始め、
気を揉む私の心を知ってか知らずかraspberryはまだ蕾を二つ。
いいことの少ない世相のなかで鬱々と気を病むこのごろだが、
この季節はそのような私に、新しい希望を抱かせ生きようとする
力を与えてくれる。



信州の旅−おまけ 5/13

              初恋

          まだあげ初めし前髪の
          林檎のもとに見えしとき
          前にさしたる花櫛の
          花ある君と思ひけり

          やさしく白き手をのべて
          林檎をわれにあたへしは
          薄紅の秋の実に
          人こひ初めしはじめなり

          わがこゝろなきためいきの
          その髪の毛にかゝるとき
          たのしき恋の盃を
          君が情に酌みしかな

          林檎畠の樹の下に
          おのづからなる細道は
          誰が踏みそめしかたみぞと
          問ひたまうこそこひしけれ

                島崎藤村 「若菜集」より



友の死を悼む 10/11
大久保君は一月前初めて「斜光」の編集に参加したのに、それが最期になってしまった。
ここに追悼の詩を送る。

                挽歌

          秋はみじめにしたたり
          ゆうぐれはながれそめたり。
          そらに落葉のかげ映り
          かすかに青き匂いのちらばへり。
          手はひたひの上に冷え
          さみしく唇はかたくとざされり。

          ともよ、おん身の肌にすがりつき
          たましひはくらくすすりなく。
          ああ、はぐれしかげにすがりつき
          たましひはくらくすすりなく。

                  室生犀星 「青き魚を釣る人」より



2004年

窓辺にて−初春

 1/4

元旦は神田明神から湯島天神まで散歩しました。天神様の境内ではすでに二・三弁の花を付けた梅
の木もあり、やがて暗がりのなかでかすかに匂いだすでしょう。

                  早春

          微笑んだら
          梅の花の香りが風に漂いました
          夢のなかで訪ねていった境内に
          その白い花びらが、舞っていたせいでしょう

                       吉行理恵詩集<幻影>より

スイートプラム 和さんの疑問に答えて
このホームページのトップの名文は、「斜光」0号(パイロット版)の巻頭言であります。
そのとき「斜光」がその後何号まで続くかどうか誰も判らないなか、我々のこれからの人生を見事
に示唆した格調い文をもってしたのは 北 勲氏であります。



窓辺にて−Splendour in the Grass 1/29
「草原の輝き」を覚えていたのは私だけでなかったことがうれしくなりました。
ワーズワースの詩を見つけましたので味わってください。

          Splendour in the Grass

          What thought the radiance
          which was once so bright
          Be now for ever taken from my sight,
          Though nothing can bring back the hour
          Of splendour in the grass,
          of glory in the flower,
          We will grieve not, rather find
          Strength in what remains behind;
          In the primal sympathy
          Which having been must ever be;
          In the soothing thoughts that spring
          Out of human suffering;
          In the faith that looks through death,
          In years that bring the philosophic mind..
                     ―― William Wordsworth ――



窓辺にて−倚りかからず 10/15

先日「朝日新聞」の大岡 信の「折々のうた」で茨木のり子の詩を久しぶりにみた。

自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ

その解説に曰く、この小気味よい叱咤激励の詩句で「ばかものよ」と叱られているのは、
まず第一に自分自身だろう・・・と。私たちもまた然り。
安易な世間の情報に踊らされている私達を尻目に、この冷気の中にすっくと爽やかに立つ
ような生き方の彼女を思い出して図書館にその詩集を探しに行った。

                倚りかからず

         もはや
         できあいの思想には倚りかかりたくない
         もはや
         できあいの宗教には倚りかかりたくない
         もはや
         できあいの学問には倚りかかりたくない
         もはやいかなる権威にも倚りかかりたくない
         ながく生きて
         心底学んだのはそれぐらい
         じぶんの耳目
         じぶんの二本の足のみで立っていて
         なに不都合のことやある
         倚りかかるとすれば
         それは
         椅子の背もたれだけ

               茨木のり子詩集「倚りかからず」より




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