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56
:
α編集部
:2014/02/22(土) 03:25:24
東京散策 (2)
.
?????????????????????????? 東京散策 2007
「湯島天神辺りを散歩」 10/4
◆ 久しぶりに晴れる。家の前のポケットパークに見慣れない虎模様の子猫がいた。帰りにペコチャンの飴
をやったら、美味そうに食べていた。
◆ この不二家の懐かしの飴は朝食前の散歩に必要な医者から勧められた「血糖値」不足を補うためのもの
で、常に携帯しているものである。「血糖値」をさげる糖尿病の薬を服用しながら、下がりすぎたらチ
ョコレートや飴を舐めるようにという医者の指導だが、じつに治療方法としては原始的だとあきれる。
まるでマッチで火をつけて、燃え広がるとポンプで消すようなものだ。
◆ 野良の世界も子猫が自分で餌を探して生き延び、やがておとなに成長するには至難の業であろう。真っ
白とか真っ黒とかあるいは器量が抜群によいとかの特徴があれば、拾われて安泰の生活を約束されるだ
ろうが、どうもぱっとしない様子の猫は目も見えないうちに捨てられるのが落ちだ。捨てられた猫をみ
るとたいてい野良猫特有の模様のが多いような気がする。どのような模様の猫が野良猫になりやすいか
いつか統計でもとってみるか。
◆ 天神下でなんとも不思議な看板を見た。駐車禁止までは理解できるが、関係者厳禁がどうも解せない。
関係者以外の行きずりの車だったら勝手に駐車してもかまわないのであろうか。
「探偵家業」 10/5
◆ 犬は人に付き、猫は家に付くといわれる。そして猫は一寸した環境の変化でよく家出するという。例え
ば家の模様替えをしたとか、奥さんの香水の種類を変えたとか、ご主人が突然変な音楽に凝りだすとか、
日向ぼっこの場所を横取りされるとか、日頃人間には許容できる範囲の我慢も原始本能の強い猫にとっ
ては許し難いことに違いない。
◆ さて、もう一つの職業を選ぶとすれば、私はフィリップ・マーローやエラリー・クインのような探偵家
業をやってみたい。時には変装し、時にはカーチェイスをし、クライアントに依頼された捜索や謎とき
をはたしてなにがしかの金を手にするのだ。暴力的ではあっても「女性には優しく、男にはつれなく」
なければいけない。
◆ 探偵の業務は、「調査」と「工作」に大別される。
素行調査 ・浮気調査・家出人探し・債務者探し・裁判の証拠収集・ストーカー対策・過去調査・特殊
工作・別れさせ工作・リストラ工作・統合失調症工作・痴漢冤罪工作などである。そしてその経費はど
れくらい掛かるだろうか。
素行調査・・・10万〜500万・浮気調査・・・50万・家出人探し・・・50万〜500万・・・裁判の証
拠収集・・・50万 ・ストーカー対策・・・40万・別れさせ工作・・・200万・リストラ工作・・・
150万
◆ 探偵が常に携帯している7つ道具とは、テープレコーダー・小型懐中電灯・折りたたみ傘・日よけの帽
子・メガネ・単眼鏡・ビニール袋・現金と運転免許証・ピンホールビデオカメラ・CCDカメラ・暗視
スコープ・盗聴器・盗撮カメラ発見キット・盗聴プリケイ等など。
◆ ただ年を取ると例えば医者や弁護士のような、病気や恨みや怒りや情のもつれなどの、人生の負の部分
に立ち入る職業は結構時間も体力も気力においても強靱さを要求され、その覚悟は半端ではない。世の
中重労働に比例して報酬も高くなるのだから、安くても適当にお茶を濁せる楽な仕事と天秤にかけると、
結構人生のトータルのバランスはとれているように思えてくる。
◆ そして今更そのような難関の資格も取れないのと、もはや人々の人生の負を正して上げようという正義
感も高揚感も湧いてこないので、猫や犬などの迷ったり家出したペット達を探す探偵がよかろう。それ
は村上春樹の「海辺のカフカ」に出てくる猫探しを生業とする少し頭の変な老人がモデルだ。急がず騒
がずマイペースでまるで猫になったような気分で気ままに生きるように。だとすれば先に挙げた探偵の
七つ道具の他に、鰹節とかマタタビ・猫じゃらし・潜望鏡とか、猫の鳴き声も練習する必要がある。
猫の集まる場所の地図も追々作らなければならない。・・・などと考えながら茂みのなかに子猫を見付
けて朝の散歩を終えた。
「痺れ」 10/7
◆ 最近は食事中に食べ物をよく落とすようになった。糖尿病による神経症が原因なのであろうか、手足の
痺れが一年ほど前からあった。当人はしっかり物を掴んでいるつもりなのだが、箸の先から食べ物がこ
ろげ落ちるので絨毯の上はその日何を食べたか、シャーロック・ホームズやポアロでなくても大方推測
出来るほどである。
◆ しかもたいてい、白いワイシャツや綿のズボンを新しく着替えたその日に限って手が滑るので、さて今
日も元気で頑張ろうという朝の溌剌とした気分がそがれて滅入るのである。しっかり椅子を引き寄せて、
胸までテーブルにつけて、構えて食事すればそのようなことにはならないと思うが、足を組んで斜に構
えて座る我が家の丸テーブルにもその原因がありそうである。
◆ だがあながちそうとばかりでもないようで、細君も何十年も遣い馴染んだ食器を手から滑らせて時々壊
しているようだから、年を取るということは物を掴む筋力や体を支えるバランスが衰えるということな
のだろう。
◆ この前、夜中にトイレに起きたとき、暗闇のなかのクッションに躓き、手で捕まったにもかかわらず踏
ん張りきれず、よろけてチェストの角に左の胸をしたたか打ちながらひっくり返ってしまった。大して
痛くもなかったが、それでも擦過傷で出血し、直るまで何週間もかかてしまった。肋骨は折れやすいと
いうが幸いにも骨折には至らなかったようだ。
◆ 老人が足先だけでちょこちょこと足を引きずって歩くのをよく見かけるが、一寸した道路の段差にも躓
きやすくなるので、私は出来るだけ大股でしかも踵から着地するように心掛けている。それには正しい
姿勢を保つために意識と筋力が必要であろう。また歩道などに置いてある自転車や置き看板や植木鉢な
どの諸々の私物は、バランスの悪い老人のためには障害物となってしいまうのである。さて筋力を鍛え
るために今日も散歩に出掛けるか。
「漱石山房」 10/8
◆ 今日は昨日歩かなかった分を取り戻すべく、少し遠くまで散歩した。本郷通りを東大農学部を通り越し
た先の角を右に曲がり、根津神社へと坂を下る。途中日本医科大学の横道に入って「漱石山房」を覗く。
「我が輩は猫である」の苦沙弥先生がうるさがった野球をしている生徒達の運動場が今の日本医科大学
の場所であったと思われる。
「漱石山房」の実物は名古屋の犬山にある明治村に移設されていて、ここには近代的なガラス張りの記
念館になっている。しかし嬉しいことに、小唄の師匠だったか失念したが、そこに飼われている「白」
へまさに今逢いに行くところであろうか、我が輩(猫)の彫像が塀の上を歩いていた。
◆ 朝早い根津神社の境内は人影もすくなく、実に清々しい。公孫樹も黄色い実をすでに落としていて、独
特の匂いを放っている。
そう言えばいま「文京区いちょう祭」という看板があったが、途中の本郷通りのいちょうは丸裸に剪定
されてあったが、あれは何事だろう。いちょう祭の趣旨が疑われるのだが。落葉が目障りだという近所
のエゴがあって区もその辺だけ枝降ろしをしたのだろうか。ともかく昨今は落ち葉がじゃまだとか、公
園の噴水ではしゃぐ子供達の声がうるさい等と言う苦情で噴水を止めたというニュースがあったが、嘆
かわしい人達が多くなった。近隣の苦情を考えて個人の敷地にも大きな木を育てなくなったのかもしれ
ない。落ち葉の処理の大変さよりも緑が身近のある方がどれだけ健康にいいのかと思うけどね。とにか
く目先の不具合だけが気になり、なにが本当の価値なのか判らない朴念仁が多すぎる。
◆ 根津神社から六十センチくらいの狭い「お化け坂」の階段を上り弥生町の「立原道造」記念館のまえの
弥生門を守衛に挨拶して東大に入り、病院の横を抜けて竜岡門から出た。
「香り」 10/9
◆ 今朝は金木犀の香りが漂う春日通りを上野広小路、アメ横へと野良猫と面白い看板を探しに出かけてい
った。そう言うわけではないがブルージ−ンズに鮮やかな金木犀の花の色のポロシャツを着て・・・。
◆ どこからともなく漂ってくる清々しい微かな金木犀の香りを探して辺りを見回す散歩もまた乙なもの
だ。同じようなもので銀木犀という木がある。花は白色で形状と香りは全く同じであるが、ヒイラギモ
クセイという種類は葉がヒイラギのようにぎざぎざしている。この木も注意してみるとあちこちに植え
てあることが多い。
◆ 当節は金木犀の香りは子供に言わせると「トイレ」の匂いだという。確かに芳香剤によく使われるから
だろう。そして私が昔は好きだったのだがその後嫌いになったものがある。それは「百合の香り」であ
る。
夏目漱石の「それから」で、代助が友人の妻である三千代とともに生きる決意をする序曲としての場面
がある。そこにはむせるような強い魅惑的な百合の香りがあり、それをとおして彼と彼女の情念の動き
を記述しているようだ。
しかし、近年とみに数を増した葬儀の祭壇に必ず飾られるようになってしまった花と香りは、私が好き
だった女性に対する魅惑の思いをかきたてさせるものから、喪失感や無常観などの暗いイメージを想起
するものへと変わってしまったから、百合の香りが漂って来るときいつも陰湿な暗い気分になってしま
う。
◆ さて今日の収穫は、盛り場で出されたゴミにカラスの数匹と二匹の子猫。それから「のむ蔵」と書かれ
た飲み屋の看板。湯島天神の前の「ウメヤ産業」の看板。まさか少子化を憂えて「産めよ増やせよ地に
満ちよ」とばかりにそのノウハウを商売にしているのでは・・・。
「不思議な看板」 10/16
◆ 最近はただ単に健康のために散歩するのも、義務的めいて飽きるので野良猫の観察や、珍しい看板や不
思議な判じ物めいたサインを探しては楽しんでいる。
◆ 左の看板は何を表しているのか判然としない。今流行のリフレクソロジーという足をマッサージする店
の広告であろうか?
◆ 右の看板は字が反対の看板。念のため反対側を覗いてみると、やはりこちらの文字も反対になっている。
職人が右と左の面を間違えてとりつけたか。いやまてよ、意識的に宣伝効果を狙った代物か?いささか
観察者を悩ませる看板だ。
「変な看板」 10/22
◆ 本郷三丁目の角を赤門の方向へ100m位い「見送り坂」を下っていくと、左にだらだ らと続く降りる
坂がある。これが樋口一葉がよく通った「菊坂」である。あまり気にならない位の勾配ではあるが、自
転車で登ってくるとバテてしまいそうな長い坂である。その途中に「金魚坂」があり、ほんとに人一人
がやっと通れる位の狭い路地がある。こんな高台でも銀魚を育て商うほどの湧き水があるのか「金魚屋」
があり、一部喫茶店になっている。
◆ 西片の方へ下る途中で変な看板を見付けた。どうも散髪屋らしく、ドライヤーを拳銃に見立てて弾を発
射しているらしい。その店の名前がCHAMPIONというのだろうが意味不明なのに、よくぞ命名し
たと思う。持ち主は理髪の技能のチャンピオンなのか、それとも言葉の調子に惚れたのか。よく見ると
ご丁寧に発射音の衝撃を避けるべく、人差し指で耳を塞いでいる。間違って店の客になれば、かつての
具志堅用高やパパイアのような爆 発髪のアフロヘアーに無理矢理させられるかもしれない。
「文士の家」 10/23
◆ 10月8日に「漱石山房」について書いた千駄木の家がそうだとばかり思っていたら、きょうの朝日新
聞にそれは新宿区早稲田南町にあったということだ。いまは区立漱石公園となった旧居後には「漱石山
房」はない。千駄木の家はたしかに漱石や森鴎外が住んでいたことがあり、これは名古屋の犬山の明治
記念公園のなかに移築されている。
◆ その時代の文士は自分の家を持たず借家に住んでいた人が多い。それは環境の良い家が安価に借りられ
たからでもある。今のように一生を家を持つために長い年月を働きずくめで求める時代からすれば夢の
ような話で、一種の財産と考える現在の家に対する価値観と昔の考えは違っていたのだろう。
金田一京助などは、持ち家かどうかは検証していないが、狭い本郷界隈を転々と5回くらい転居してい
る。鐙坂(あぶみざか)の辺りにはおそらく戦前からのものではないかと思われる小体な木造の古い住居
が残っていて、金田一京助の住まいである看板が立ててある。成金の仰々しい家と違いなかなかヒュー
マンスケールのしっとりとした木造2階屋のいい家である。
「神保町の古本祭り」 10/30
この前昼飯に家に帰る前に後楽園から神田神保町を廻ってみた。秋晴れの気持ちの良い日で面白い旗を見た。
「なんだかんだ西神田」というだじゃれの文字を表した垂れ幕というか、旗というか橙色の目立つものがつ
るしてあった。建設中の現場には「安全・安心」、労働運動には「団結」などの文字を書いた布切れをやは
り旗と呼ぶようである。
神保町の交差点を駿河台下の方へ歩くと「神田古本祭り」をやっていた。今日が最終日なのだろう、車道側
の俄造りのベニヤの書棚はおおかた空になっていた。古本屋の店先にうずたかく積んだ名のある文豪や思想
家の紐で結わえられた全集物を見ながら私は歩いた。
あれもこれも欲しいのだが、難しい物に挑戦するための時間と積ん読のための空間に難があり、いつも諦め
ているのだ。しかしこれから歳を取るに従って、長時間にそして難解な内容に耐えるだけの気力が残ってい
るかが問題だ。お茶の水橋を渡って、順天堂病院の脇を通って家へ、約一時間の散歩をした。
「奇妙な看板」 11/2
◆ 真砂図書館の傍、鐙坂(あぶみざか)と炭団坂(たどんざか)に挟まれた北斜面の閑静な土地がある。
1メートルくらいの通路は自動車も通らず、緑の多い散歩道だからよくその道を通るのだが、一寸その
雰囲気にそぐわないなものを見付けた。「中村さん・高島さん土地返して」という看板である。自分の
土地を浸食されたのであろうか、深刻そうであるのに「返せ」という命令口調ではなく「返して」とお
願いしているところが、妙にとぼけた滑稽さ与えていてなかなかいい。
◆ 以前に安部譲二だったと記憶するが「南進木」(なんしんぼく)という木が出てくる小説を読んだこと
がある。どのような筋だったかは判然と記憶していないが、詐欺師の物語だったように思う。
自分の土地の南側の庭に隣地との境界を示すその「南進木」を植えると、毎年少しづつ成長するに従っ
てその木は南に進むらしい。だから10年もたてば南側の隣地を浸食してじぶんの土地が増えるといっ
た内容で、確かに植物は太陽の方向に生長する性質を持っているから、ありそうでなさそな話である。
◆ 依頼された建物を計画してもいざ建設しようとするとき、隣との地境で揉めることがある。「境界はこ
こではない、もっとそっちだ」などとお互いに主張し合い、何世代も前からの不満が一気に吹き出すこ
とがある。長い間積もり積もった隣への不信感がたとえ数センチ数ミリのことなのに、もはや一家の存
亡を掛けた戦いとなり簡単には解決しない場合がある。共同住宅の音や、ペットの匂いや、嫉妬や妬み
といった感情を起こしやすい相隣関係はなかなか難しい問題だ。
「絵の解説−神田明神」 2008/10/28
O氏 から「万華鏡」の表紙絵の解説をという要望に応えますが、何時も上手な人の作品ばかりで、当
人にとってはなんとも不肖の分身をいきなり晒されたような気分で居心地が悪いのであります。まだ銅販画
を習いたての技法もろくに習得しない作品で、屋根瓦の線のなんと乱暴なことでしょう。まさに「どうでも
よかやんねー」という私の性格を表しているようであります。
神田明神は家から近く時々散歩のついでにお詣りします。この絵と違い赤い朱で塗られた楼門は実にあっ
けらかんとした派手さです。江戸時代の地味な街並みと対立させることで「晴れ」の空間をつくり出すこと
を目論だのでしょう。九段にあるイタリア文化館の赤い色や楳図かずお邸の白と赤のストライプに病的な嫌
悪感を持つ人もいますが、この神田明神もそれに劣らず、この世ならぬ法悦さえ感じさせる代物です。しか
し今でもなんら違和感を感じません。本郷通りを隔てて学問の神様として孔子祭った湯島聖堂がありますが、
この建物は反対に黒の漆で塗られていて凄みがあり、神田明神との対比は見事です。
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