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55
:
α編集部
:2014/02/22(土) 02:41:53
東京散策 (1)
東京散策2007
「飛鳥山公園散策」 6/9
◆ 地下鉄南北線で飛鳥山公園に行く。7年前だったか失念したが、丁度佐賀の郷里から東京へ戻ってきた
あくる年だったと思う。ここ飛鳥山の紫陽花を見に来たことがある。
◆ JRの線路側の公園の崖下に折り重なるように紫陽花が咲いている。ポツポツと降り出した小雨の中、
王子駅に向かって歩いた。駅を通り越した先のおにぎり屋で昼食をする。そのあと地下鉄に乗り後楽園
の丸善に本を探しに立ち寄る。梁日石の「血と骨」は見つからず帰宅した。
「無題」 7/5
◆ 6:15起床。散歩に出掛ける。今日は菊坂を下り、樋口一葉が通った質屋の横を左に曲がる。1Mにも
満たない路地を抜けると高台に出た。そして白山通りと春日通りの交差点を左にまがり、真砂坂(旧富
坂)を登って家に帰る。約30分。
「朝の散歩」 7/6
◆ AM5: 30起床。少し仕事をして散歩に出かける。壱岐坂を後楽園に向かって下り、途中で神田川にむ
かって左折。神田川をお茶の水駅方面へ左折。順天堂病院、東京医科歯科大学を通り抜け、聖橋のたも
とを左折して、湯島聖堂を横目に湯島天神に向かって行く。結構坂道が多くて運動になる。さらに途中
で左折して湯島小学校を右手にみながら帰る約40分。シャワーを浴びて朝食を取る。
◆「同人α」のメンバー16人の名簿を完成。皆にインターネットで配布する。
「神田川」 7/7
◆ AM6: 00起床。散歩に出る。壱岐坂を後楽園に向かって下る。左折して神田川沿いにお茶の水橋へ。
神田川の緑地には澤胡桃の実が実っている。萩の灌木があった。そして楠は小さな青い実をたくさん付け
ている。つぶせば良い香りがするだろう。子供の頃の楠の実鉄砲を想い出す。順天堂病院の栃の実も大き
くなっている。今植物が盛んに育っている様子が判る。
◆ 木原公生君の通夜に行く。
過日、熊井君から木原君の容態についてお知らせしておりますが、昨日7月5日15時35分亡くなり
ました。残念です。
つきましては、葬儀等につき下記のとおりお知らせいたします。
記
・喪主 木原 日出子 様 (奥様)
・式次第 通夜 7月7日(土) 18時から19時
告別式 7月8日(日) 10時から11時
・式場 戸田斎場 本館 一階
住所 東京都板橋区舟渡4丁目15番1号
? 03−3966ー4241〜3
交通機関
都営地下鉄「三田線」
蓮根駅下車 タクシー5〜6分 徒歩20分
西台駅下車 タクシー5〜6分 徒歩30分
JR埼京線
浮間舟渡下車 タクシー5〜10分 徒歩25分
なお、生花一対を「佐賀高校同窓生一同」としてお供えしました。 以上
「入谷の朝顔市」 7/8
◆ 最近は家の廻りの朝の散歩に精を出している。今日は入谷の鬼子母神まで足をのばした。東大竜岡門の
近くの、春日の局にゆかりの麒祥院の横に沿った細い猫道を抜け、無縁坂を下り不忍池に出る。蓮の葉
が茂る中、すでにちらほら大きな花がぽっくりと
咲いている。完成された形状とうすいピンクの花びらが涅槃を偲ばせる。それから上野公園を抜けて日
暮里駅の陸橋を越えて、朝顔市の沿道を歩く。はじめて朝顔の一鉢を買った。
足の痺れを覚えてから半年ばかり経って、いよいよ不安になり東大病院に検査に行った。
まるで魚のようにあっちやこっちに転がされながら十数枚のレントゲンを撮られ、血液を抜かれた結果、頸
椎などの異常はないが糖の値が385で入院しなければならないと脅された。その385という数値が私にとっ
てはどのようにシリアスなことなのかさっぱり判らない。なにせ35年間も体の検査をしないまま、自覚症
状もなくそれなりに健康で意欲も充実していたから、知らない間に考えもしない病気を背負い込んでいたこ
とに驚いた。
そのごの診断で入院は免れたが、食事と運動と睡眠に気をつけて気長に治すようにとのこと。そういう訳で
朝の散歩と寝る前のダンベル体操を日課にしている。
「肥と筑」の感想」 7/12
◆ AM5:30起床。体重66kg。今日は順天堂病院の横を通りお茶の水橋を渡って右へ回る。
神田川沿いに水道橋駅方面へ坂を下る。珍しい木があった。なたまめのような薄くて長い鞘豌豆を十倍
くらいした実がなっている。横に銘板があり「皀角坂」とあった。
説明文をよむと「さいかち」の木が多かったとかいてある。どうもその木は「さいかちの木」らしい。
マメ科の落葉高木。山野に自生し、栽植もされる。枝や幹にとげがあり、葉は羽状複葉。夏に緑色の小
花を多数総状につけ、秋、ねじれた扁平な豆果を結ぶ。豆果は古くは石鹸(せつけん)の代用とされ、漢
方で利尿・痰(きよたん)の薬とする。河原藤。
[季]秋。
◆ 水道橋駅を右に曲がり来た道の反対側の神田川沿いを遡る。途中で左に曲がり、10匹ちかい野良猫の
たむろする路地を通る。途中猫じゃらし3本を摘んで帰る。 五十分の散歩。
「神田明神・湯島聖堂散歩」 7/16
◆ AM6:00起床。細君と蔵前橋通りを下り、神田明神の階段を上り裏門から表門に抜ける。湯島聖堂を
回ってサッカーミュージアムの脇をすり抜け帰る。
湯島聖堂では漢詩・十八史略・易教・甲骨金文字・論語素読などの講座が開かれているので、時間が出
来れば講義を受けたいと思う。
◆ どうも記述の仕方が悪く誤解を招いたようですので訂正します。十四代までさかのぼれると母が言って
いたのはともかく、わが古賀家が江戸時代の大学者古賀精理の縁者という風に受け取れる書き方、一般
論として「古賀という姓」と書くべき所「古賀家」と書いてしまったのがいけなかったようです。同じ
名字ですからまんざら縁の無いわけではないでしょうが、訂正とお詫びいたします。
◆ 確かに長岡さんが示唆されたように嬉野市塩田町にも丹生神社がありました。私も実は戦後暫く塩田に
住んだことがありました。父が復員して来て初めて鋳物工場を始めた土地です。いま思うと漫然と父が
この土地を選んだ訳ではなさそうです。一つはその神社があるように鋳造に関するなにかの目に見えな
い因縁があったかも知れません。もう一つはこの塩田は有明海沿岸・朝鮮・中国などの間の物資の集散
の地になっていたもので、私の父は十九歳ころまで海運業として二本マストの帆船で二週間掛けて釜山
まで往き来したもので、塩田はその船の港だったのです。そのころまではこの町も旧長崎街道にあった
ので白い漆喰壁と銀色のいぶし瓦の大店が並んでいました。
◆ 丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)をまつる神社は全国にあり、その数約170カ所にもおよびま
す。それは朱砂(水銀)を採掘する一族が祀る神であると考えられています。古代における水銀の用途
は、朱(弁柄)、赤土(丹土)と共に朱砂が顔料として用いられていた他、アマルガムメッキ用に水銀
が用いられていた。特に奈良東大寺の虞舎那仏像(大仏)の建造の際には、熟銅73万7560斤とともに、
メッキ用に金1万436両、水銀5万8620両、さらに水銀気化用に木炭1万6656斛が調達されていると
のこと。私はこれらのことから、全く素人考えですが日本の有史前後にこの技術を持ち込んだのは帰化
人ではないかという思いがするのですが、如何でしょう。
「湯島聖堂」 7/17
◆ 先日朝の散歩に神田明神と湯島聖堂を巡った。神田明神の生命力に満ちた鮮やかな朱色と対照的に黒で
統一された聖堂は学問の奥深さを秘めているようなたたずまいである。学問の神様として湯島天神はあ
んなに混み合っているのに、孔子を拝するここはひっそりと静まりかえっている。学問を志すならこち
らが本場だろうにと不思議に思う。
◆ 長岡さんの小説に興味を持ったゆえかもしれない、無意識のうちに聖堂の門の前にたっていた看板が目
に入った。そこには漢詩・十八史略・易教・甲骨金文字・論語素読などの講座が開かれている。時間が
出来れば講義を受けたいと思い、そしてまた長い間本棚眠っていた白川静著の「字通」を拾い読みし出
したところである。
「傑作な看板」 7/18
◆ AM5: 00起床。一時間仕事をする。6:00、今日は竜岡門から東大校内に入り、三四郎池を廻って正
門から出る。本郷三丁目の角の三原堂は今立て替えの工事をしているが、工事用シートに大きく「立て
かえ最中」の文字が目に付いた。おやっ、名物の大学最中(だいがくもなか)」のほかに「たてかえも
なか」を発売したのかと一瞬思った。普通たてかえの工事中であれば「立て替え中」とかいて「最中」
とは書かないだろう。これは三原堂の受けねらいのユーモアなのか。きっとそうに違いない。
◆ 長岡さんへ
さっそく湯島聖堂の講義のパンフレットを取り寄せて見ましょう。それから「除福」について、名前は
頭に隅にあったのですが、調べてみるとこれほど身近なとことにつながっていたとは思いもしませんで
した。
徐福一行が最初にたどり着いたのは杵島の竜王崎(佐賀県杵島郡白石町)であった。
と有明町の海童神社にある石碑に書いてあるとのこと。両親の里であったのですが、いつも通る道のす
ぐ脇の岩山に何か神社があるのは知っていましたが、横目で通るだけで迂闊にも私は一度も訪れたこと
はありませんでした。そのような重要な伝説を見逃すとは。こんど帰省したら早速訪ねて見よう。
「相思相愛」 9/18
初恋」の感想を書く前に相思相愛の場面を見付けました。東京医科歯科大学の病院の裏手で、とても考えら
れない物同士が情熱的に抱擁しているような情景をみました。自転車に巻き付いた昼顔は不思議な自分達だ
けの世界を作っているように私にはみえました。野暮なことはしないでこのままそっとしておきましょう。
「面白い看板」 9/19
am6: 00起床。いつもの散歩に出る。お茶の水橋を右に曲がり、アテネフランセを脇にみて飯田橋へ。そ
の途中にドキッとする看板を見た。「イノチシラズ印」の袢纏を売る店である。たしかに昔はいなせな火消
の衣装として命を張ったに違いない。それにしても「イノチシラズ」とはよくも名付けたものだ。
刺し子の施された袢纏は現在はうん十万もするほど高価なものとか。いまでは鳶や火消しがお祭りの時にし
かみられない物だが、一度私も着て晴れがましい気持ちで歩いてみたい。
「猫道散歩」 9/22
今日は神田明神まで行って、男坂を下り湯島天神まで回り道をする。最近は路地裏の「猫道」をよく歩く。
そして野良猫の生態を観察すると結構面白い。
野良猫は人間にたいして不信感があり警戒心がつよく、なかなか近づけない。つねに車の下や狭い塀の間の
逃げ込む場を意識しながら行動している。いくら近所の人が餌を与えている様子でも野生の性質が抜けなく
て、人が近づくと物陰に走り込む。
仕官先の庇護のもとに安定した暮らしと愛情をうけている飼い猫はその点、人間を敵と見なさないので、近
づいて触れてもすぐに逃げ出すことはない。写真は家の中から余所の猫を見ている5匹の飼い猫達。
「木造3階建の家」 9/23
散歩途中、本郷5丁目あたりの路地裏で木造3階建てのアパートを見付けた。多分戦前に建てられて、戦火
を免れた強者であろう。もはや現在の建築基準法の構造や防火規定に抵触することは確実で、このような物
は再び現れて来ないだろう。新しく立て直すとすればコンクリート造や鉄骨造などの確実に違った形態の物
を要求されるだろう。しかし、五十年以上も生き延びた建物には懐かしさがこもり、尾崎 一雄の文学を目
指す若い青年とその恋人との貧乏長屋に暮らす芳兵衛物語を彷彿させるものだ。
久し振りに息子が尋ねてきたので、細君と私の三人で秋葉原に山荘に取り付ける照明器具を探しに行く。天
井が高いのでペンダントでないと新聞も読めない。しかしこの頃の秋葉原には照明器具を専門に扱っている
店がめっきり減った。山田照明も山際リビナ館も閉鎖になっていて、ゲームソフトやオーディオやコンピュ
ータ関連の物ばかりになっているようだ。そう言えば照明器具なんて新築の時一度購入すれば何十年も持つ
から、そんなに需要が無いのだろうし、デパートから家具が消えたのと同じ理屈なのだろう。
「里親募集中」 9/25
◆ 早朝の散歩の時に電話代を振り 込むために近所のセブンイレブンに立ち寄る。店を出ると、とある
ビルの壁面に「里親募集中」という子猫の写真のビラが貼ってあった。血統書付きの高価な猫ではない
ようだが、将来下町の看板娘になりそうな可愛い子猫である。
◆ 我が家のベランダから見るポケットパークの白の野良猫は、日がな一日空調の室外機の上に寝そべり見
事に怠けて何もしない。自転車でどこからかやってくる年取ったホームレスから食べ物を貰うときだけ
は、滑り台の上にお出ましになるのだが、夜は餌を探すとか、縄張りを見回るとか真面目に仕事らしい
ことをしているのだろうか。メールの返事を書くとか、部屋の掃除をするとか 、忙しい私にその「猫
の手」を貸してくれないだろうか。
◆ 動物が飼える環境であれば、犬もいいが私は猫を飼いたい。犬が飼い主に愛嬌を振りまき忠誠を誓う姿
をみるとどうも惨めに見えてきて、己の内にもそのような媚びやへつらいが潜んでいるように思えて閉
口する。その点猫は実に自己中心的で、死んでも嫌なことはしない、出来ない、といった風情が孤高の
精神を保っているようにみえる。
打算と妥協の渦巻く今の世の中でその姿を私は羨望のまなざしで見ている。
◆ 木原君を偲ぶ会
今回は金子君の都合が悪く、高木君も ? ですので、出席者は古賀・香月・田村・武藤・熊井の5人に
なります。
集合はいつもの汽車ポッポの前に27日17時半とします。
出来たら香月君、何処か予約をしておいてくらませんか?適当なところがなければ、またいつものビル
のどこかに潜り込みましょう。
「千社札」 9/29
◆ 散歩の途中「湯島御霊社」という小さな神社の境内にはいっていったら、千社札が臆面もなく真正面の
高い所に貼ってあった。千社札はもともと神社仏閣にお参りした記念とし奉納したもののようだ。
◆ しかしこっそりと人気のない時に貼るのであろうか、私はその現場を一度も見たことはない。高いとこ
ろは竿だけのような物で千社札をぺたりと付けて、しかもたわしみたいな物でなでつけると聞く。
◆ デザインや色やまた貼る場所にも拘るマニアがいるとか。より高いところに挑戦する者、隠し貼りとい
って人に見えないことにて悦に入っている者、長い年月で紙がはげ落ち文字だけがのこることを「抜け」
といって自慢する者などがいた。江戸の庶民は貧乏でありながらやせ我慢の美学を実践し、このような
禄でもないことに喜びを感じていたのだなあとあきれるとともに、その遊び心に感心する。
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