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43α編集部:2014/06/05(木) 20:53:30
山荘住まい 2013  前編
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          山荘住まい 2013 前編



     著者は2012年4月に移住したから、この年の一月から三月までは
     初めての定住生活で迎える一番寒い期間となったはずだ。月に一度訪
     れるかどうかの時とは、例え慣れているとは言え勝手が違うだろう。
     のんびりと自然を味わっているか読書三昧の日々のように読めるのだ
     が、冬を無事に越すことができたのだろうか。(編集部)




  冬



「新しい年」 2013/1/1
暮れより紳一郎が来る。いままで乗っていたジムニーがあまりにも古く、みっともないか
ら買い換たらという息子の提案で車のディラーに見に行き、彼が資金を出すといって即座
に三菱パジェロ・ミニを購入した。本来ならお年玉をあげなきゃならないのに、息子から
のでかいお年玉だ。




山荘便り/新雪 2013/ 1/9

??最低気温も−10°の日にもなる季節になった。 ところが本郷に住んでいた時と比べて
随分寒いだろうと思われるのだが、下着ととっくりセーターと薄手のダウンジャケットの
三枚のままで過ごしているのである。「ここら辺は−20°になるよ」とばかりに山荘を建
てるときの職人さん達にさんざん脅かされていたので、当然零下の世界が相当に過酷なも
のだとばかり想像していた。しかしこれも慣れなのか、現に民家もあるわけだからいざ住
んでみると死ぬほどのこともないことが判った。

??雪の日は朝早く起きて山道を散策する。誰もいない、新雪を踏みしめるキュッキュッと
いう自分の足音以外は無音の林の中の時間を独り占め出来るのは幸せだ。
そしてそこにはいろいろの動物の足跡を見つけ、これは何だろう、猪かウサギ、鹿、猿、
栗鼠、モモンガ、貂かと思いを巡らせて推し量るのは実に楽しいことである。しかし足跡
の大きさ、形態、歩幅の間隔を見て、自分の中で想像している動物の足跡と一致しない故
に、それらの実態はまだ解明出来ていないのである。このまえ台所の地窓に両手を着け、
中をのぞき込んでいた黄色の毛をした貂の姿は愛嬌があって可愛く、もう一度その姿を見
たいと思った。




「雪が降る」2013/2/19

 息子がやって来て、雪のなかの自分の車−パジェロ・ミニを初めてみる。

    

    





     寡黙な人からの山荘便り 投稿者:同人α総務??投稿日:2013/1/9

     投稿が少ない文芸「同人α」は無口な人が集まったようだ。
     αの掲示板「ニューロン・カフェ」を「沈黙のウェブサイト」と表現した
     同人もいた。

     無口の象徴でもある、山暮らしを始めた「死霊」に出てくる緘黙の矢場徹
     吾のような人が、時を置きポツリと山の様子を書いてくる。静かな掲示板
     にふさわしい、静かな山の暮らしをポツリと書く。
     少ない投稿の中でもめったに登場しないシリーズだからかつい眼を懲らし
     て読んでしまう自分がいる。写真がなくとも、ないからこそ?山の暮らし、
     風景が十分(勝手に)想像でき、伝わるシリーズだ。
     ああこの同人は元気に生きているのだなと少し安心したりもする。

     引っ越し能力・願望は判らないが、貂(テン)は狐や狸を上回る化身能力
     を持つ生き物だ。じっと考え事をしている人間に興味をもち、部屋の中を
     覗いていたのだろう。
     次に現れたとき、矢場徹吾、いや赤松次郎はこの貂と黙って化かし合いを
     するのかもしれない。

     総務としては緘黙の掲示板が気になることが多々あったが、だからこそ丁
     寧に書く、丁寧に読む、そんな場所なのかもしれないと思い始めている。




山荘便り/素数 2013/ 2/12

 東京新聞2013/02/07に「これまでで最大の素数」を発見というニュースを報じていた。
素数好きとしては見逃せない記事で、それについていろいろと調べて見た。
「1742万5170桁という、 現時点で最大の素数を、 米国の素数探索団体がプロジェクト
「GIMPS」の参加者が発見したという。 素数の中でも特に珍しい「メルセンヌ素数」の
48番目になる。」という。素数とは 「1と自分自身以外に約数を持たない数」 のこと。
ただし1は素数に含まないという。
 どうして大きな素数を見つけようと血眼になるのか、そしてまたいま現在では円周率π
の小数点以下の計算は2011年現在では10兆桁まで計算されているというが、それらの値
を再現もなく追求することにどのような意義があるのだろうか。しかし単なる好奇心と
も言えない。そのひとつとして
◆素数の効用
 それは第三者に通信内容を知られないように行う特殊な通信(秘匿通信)方法のうち
 通信文を見ても特別な知識なしでは読めないように変換する表記法(変換アルゴリズ
 ム)のことである。通信だけでなく保管する文書等の内容を秘匿する方法としても用
 いることができる。その鍵として、十分大きな素数を二つ選び掛け合わせて公開鍵暗
 号を作る等、現実に行われている手法である。

◆自然界の素数
 自然界に現れる素数の一例として、素数ゼミと呼ばれるセミの一種がいる。アメリカ
 合衆国に分布するこのセミの成虫は、ある周期ごとに、13年ないしは17年間の周期で
 大量発生する。成虫になった後は、数週間だけを地上で成虫として過ごし交配と産卵
 を行う。
 このセミが素数周期で発生する理由として、寄生虫や捕食者に対抗するための進化で
 あるという説や近縁種との交雑を避けるためであるという説がある。つまり、もしこ
 のセミが12年の発生周期を持っていた場合、 12の約数である2,3,4,6年の寿命を持つ
 捕食者と同時に発生してしまうことになり、捕食対象にされやすくなる。また、地理
??的に近い場所で12年周期と15年周期のセミが存在した場合、 60年ごとに2種は同時に
 発生し、交雑してしまう可能性がある。すると、雑種は発生周期がズレてしまい同種
 のセミとの交尾の機会が失われる。 素数の周期を持つものは交雑が起こりにくく、
 淘汰されにくいと考えられる。
    以上Wikipediaによる。

兎に角、数字は面白い。さらに素数好きは奇人変人が多いのかも知れないし、絶滅危惧
種ではないかという疑いがありそうだ。




山荘便り/ルーティンワーク 2013/ 2/16

 アランの幸福論にあるように、人は身の回りの悩みや漠然とした恐れや不安などによっ
てもたらせれた滅入る気持ちに陥った時、その原因を一心不乱に探したり、反省や自責や
悔いることで,ますます頑なになっていく。体の筋肉は硬く緊張し、肺は新鮮な空気を取
り入れる力はなく、血液はうまく循環することはできず滞り、腸は働きを止め活動が鈍く
なってくる。
 そんな時は思考を停止して、体を動かし筋肉を和らげ、深呼吸等をして精神の安定を取
り戻す方がよい。背伸びをしたり、屈伸運動をしたり、顔や手を洗ったり、お茶などを飲
み、音楽を聴き、散歩したりする。
 私はある作業や仕事や創作に倦いたときは、それらの達成のために必要な義務感や意志
の力に強いられることなく、すぐさま別のことをすることにしている。たとえばコンピュ
ータの前で設計図を作成したり、物語の構想を練ったり、難しい本を読んだりすることに
飽きると、家を出て林に分け入り薪ストーブを焚きつけるに最適の杉の枯れ葉を集めたり
近所の大工さんから貰った白樺や唐松の丸太を小さく切ったり割ったりして薪にする。ま
た少し疲れたり腰が痛くなると山荘の周りの山道を小一時間ばかり散策し、赤松や唐松、
杉、木楢、椚などの姿や葉の色を観察したり、動物の足跡を探したりする。
 この歳になり多少の余暇の時間が多くなってみると、諸々のルーティンワークも考えよ
うによっては効能があるのではないかと思えるようになった。
 まず、朝起きて窓のカーテンをすべて開け、薪ストーブに火を付ける。コーヒーを飲ん
だ後二摘みのピーナッツを小さく砕き、小鳥の餌台に載せる。ヤマガラやコガラがその餌
を啄むのを眺める。掃除とか洗濯、食事の用意、ゴミ捨て、薪拾い等の生産性のない毎日
繰り返される些細な仕事を、嫌だと思ってしまえばこれほど面白くなく不毛な行為だと思
え、苦渋を感じることもあるだろう。しかしまったく自堕落な生活でも可能な者にとって
も、そのルーティンワークは一日の生活の一定のリズムを作る効果、また仕事や趣味に倦
いたときのリフレッシュという効能を考えると、精神的にも肉体的にもあながち悪ことば
かりとは言えないのではないだろうか。
 しかし、この文章を我が細君に見つかると、「だったら毎日の三度の食事作り、洗濯、
風呂の掃除などなどのルーティンワークをすべてやってよ」とこれ幸いに反撃をしてくる
にいまっている。  あぶないあぶない。




山荘便り/ヤマガラ 2013/ 2/19

 この山荘に移って来てからまもなく、小鳥の餌を毎朝与えている。蛇や鼬鼠や貂などの
鳥の天敵がよじ登れないようにと考えて、ハンガーからチェーンで中空に吊った、コール
タール焼き付けの小さな鉄製の餌台だ。
 今のところ集まってくるヤマガラやコガラは、店で買った小鳥用の麻の実などよりも、
ピーナッツを2ミリほどに砕いたものが好きなようである。正確に数えたわけではないが
特にヤマガラは10数匹が四方の林から入れ替わり立ち替わり飛んできて、朝早くからま
だ何も入っていない餌台をまだかまだかと催促しているように揺らしている。

 この前はいつも通らない山道に踏み行った時、大きな罠を見つけた。
この近くの害獣の指定された猿や鹿、猪、熊等を捕獲するためのもので、太い鉄筋を竪格
子状に組んで作られた幅1メートル、奥行き2メートル、高さ1.5メートルの、すこぶ
るゴツイ代物である。奥に吊してある餌(鶏だろうか?)をくわえると入り口の扉がスト
ンと落ちるようになっている。まだ実際に罠にはまった動物は見たことがないが、ある日
山道の入り口に、お揃いの柿色のシューティングベストを着た猟友会のメンバーが忙しく
出入りしていた。犬が吠えていたのでたぶんなにかが罠にかかったのだろう。
 人が餌付けしている訳ではないが、最近人里へ頻繁にそれらの野生動物が出没する。
どうもゴミ置き場の餌になるものを漁るらしい。

 そういうことを考えると、小鳥に餌を与える方がいいのか、与えてはいけないのではな
いかと考える。 野生動物に対して餌付けが行われるのは、大きくは二つの目的がある。
給餌による保護を目的とする場合と、観察を容易にするためである。
 絶滅危惧種ならともかくそうでもない動物たちに、安易に餌を与えるとその種だけが繁
殖したりしないか。野生としての餌を探したりする能力、飢えに耐える能力が失われるの
ではないか。人間に対する警戒をゆるめさせるのではないか。特にある種の物だけが増殖
してその環境が変化して、自然のバランスが崩れないかという懸念だ。

 ヤマガラは神社のお祭りで「おみくじ芸」をするほど、人になれやすく学習能力も高い
ので、たぶんそのうち私の手の上のピーナッツを啄むようになるだろう。だがそこまで馴
らしてみようとは私は思っていない。家の外に出ると餌をせがんでいるかのようにチチッ
チチッとうるさく鳴くようで、最近は餌台に通うヤマガラ達は少々肥満になったように見
えるのだが、思い過ごしだろうか。




  春


山荘便り/訪問者「モロ」2013/ 3/1

 一週間程前に迷い猫が台所の窓を見上げていた。ちょうど数年前に貂が覗いていた様子
のことを思い出させるシーンだった。そしてまた昨年の春、そっくりの白ろ猫が数回訪れ
たことがあったが、その猫は遂に居着かなかった。近所の人に聞くと親猫は車にひかれて
死んだという。そう言えば山の下の集落で親子をよく見かけていたが、今の迷い猫はあの
子猫か思った。

 毛並みは全体的に白っぽいが、野良猫生活で薄汚れたのだろう、真っ白とは言い難い。
額と足と尾に微かな灰色の虎模様が入っているので、猫図鑑で調べて見たがどうも混血ら
しく判然としない。それでもトンキーズという種類に雰囲気が似ている。まだ人に馴れて
いないので、捕まえて詳しく調べることができない。だから年齢も子供なのか大人なのか
雄か雌かの性別さえも判らない。しかし目の色はすこぶる美しい。アクアマリンの宝石の
ような魅惑的で上品でエキゾチックな異国の薫りが漂う。

 細君は「モロ」という名前を勝手につけて餌をやっている。その名前のいわれを問いた
だすと、ミラノ公 ルドヴィコ・イル・モーロ(1452〜1508年)から取った名前「moro」
であるという。私に相談することもなく、またそのよりどころも説明することもなかった
が、しつこく聞くと今読んでいるマキャヴェッリに関する本に出てくる人物の名前を頂戴
したという。ミラノ公と言えばレオナルド=ダ=ヴィンチが仕えた主人であり、ミラノ公の
愛妾チェチリア・ガッレラーニをモデルに描いた「白貂を抱く女性」が有名である。

 この「moro」はこのところ家の外の零下10度を耐えて生きているのだから結構タフ
にちがいない。餌をやったり寝床を提供したりしているが、家の中では飼わない主義であ
る。また都会のペットのように着物を着せたり、抱いたりはしないつもりだ。だからこの
家が居心地が良ければ居着くだろうし、自由な野良の生活が望ましければ、また山の下の
民家が恋しければいつの日か自らここを出て行くだろう。私はだから「moro」の好き
なようにさせようと思っている。

    




山荘便り/へたな職人 2013/3/10

??先日ポール・ハーディング著「ティンカーズ」(小竹由美子訳 白水社)という本を読
み終えた。ちなみに題名の「ティンカー」とはどういう意味か。辞書によると「いかけ屋」
「へたな職人」とある。
 物語は時計修理人の主人公ジョージ・クロスビーが死ぬまでの八日間に、父親のハワ
ードや家族との思い出とともに、様々な幻覚をみるという筋である。その父親は森のなか
の人々の要求を叶えるために、ティンカー、ティンカー、ティン、ティンとバケツやナベ
などの金物のぶつかる音をさせながら、荷馬車で色々な生活雑貨を積んで売り歩く暮らし
をしていた。時には鋳掛け屋、鍋細工師としての仕事もしたが、たいていはブラシやモッ
プの行商人だった。

 主人公ジョージの死の床での思考はすでに朦朧としていて、白昼夢にちかく時系列に従
わないもので、読者の私にとっては筋を追うことに難儀をした作品だ。とはいえ、私の読
書傾向は推理小説や冒険小説や時代小説のように筋を追う物語よりは、意識の流れを描く
ものが多いようで、いつも苦労している。しかし好みとはやっかいなもので、謎解きや事
件の進行など喜楽に読める作品でも、好みでないものはすぐに途中で投げ出してしまうの
だ。それに名前と場所と環境を変えただけで同じプロットで繰り返されるシリーズものの
小説等、その作り手の安易さ、読者の興味を刺激することばかりに気を配った作品、最後
にどんでん返しを得意とする技巧をこらした作品にはうんざりだ。

 作者ポール・ハーディングの創作方法が私の日頃のそれによく似ているので驚きである。
作者は教職の空き時間に、ノート型パソコンや手近の紙に、時系列は関係なく思いついた
シーンから文章を紡ぎだしては記録していった。プロットを構築するのではなく言葉やイ
メージを追いかけた手法はハーディングに合っていた。そして最後に彼は書いたものをす
べてパソコンに打ち込んでプリントアウトし、床に並べ、絵画で言うコラージュのように
切り貼りして構成を整えるという。
 しかし今時、パソコンやワープロを使わないで、完結するまで原稿用紙に手書きで書き
進める人は、私にとっては驚くべき才能に思われる。小さな訂正や添削はあっても、全体
の流れや筋を頭に入れながら入り口から出口まで完璧に作り上げるのは私にはとても出来
そうもないのである。




山荘便り/春一番の花 2013/3/26

??春の山で一番早い花
ここは藪椿など冬に咲く花木がないために、杉や檜、樅の木以外は枯れ葉色一色の山肌に
なる。そして一番早く花を着かせるのはキブシとサンシュの花である。
 コブシは蕾は膨らんではいるがまだ咲かない。キブシは夏、房状になる青い実を見て、
植物図鑑を探したが何の木か判らなかった。今日その花を見たので再び調べた結果それだ
と判明した。気になっていたことが解けてちょっと頭が軽くなった。
 サンシュは夏の樹形はまったく覚えがないが、春の先駆けに黄色い花が咲くのを覚えて
いた。どちらの木の花も控えめに咲くので、あまり華やかさはない。人工的に栽培した色
鮮やかな花々で満ちている都会と違い、色のない山肌にささやかな生気のある芽生えが私
の気持ちを前に進ませる。その稀少さが他の派手な花々より効果が大きいといわねばなら
ない。

キブシ(木五倍子) Wikipediaより
樹高は3m、ときに7mに達するものもある。 3-5月の葉が伸びる前に淡黄色の花を総状花序
につける。長さ3-10cmになる花茎は前年枝の葉腋から出て垂れ下がり、それに一面に花が
つくので、まだ花の少ない時期だけによく目立つ。

サンシュユ??「ハルコガネバナ」
内部にある種子を取り除き乾燥させた果肉(正確には偽果)は生薬に利用され、 山茱萸
(やまぐみ)という生薬として日本薬局方に収録されており、強精薬、止血、解熱作用が
ある。果肉は長さ1.4 cm程の楕円形。牛車腎気丸、八味地黄丸等の漢方方剤にも使われる。




山荘便り/僕の嫌いな人達 2013/3/31

??私の嫌いな10人の人びとを読んで
変人、奇人である哲学者・中島義道の本「私の嫌いな10人の人びと」が、貸していたとこ
ろから数年ぶりに帰ってきた。不思議なことに私の本だということがよく分かったものだ。
その人は本棚の整理をするとき、小難しい、しかもひねたことが書いてある書物を読むの
は、私しか思いつかなかったからだと私は憶測した次第である。 それほど世間の常識に
楯突くことを書き連ねていて、 一般には受け入れられている行為を糾弾しているようで
常識人は不快になるのだろう。

 1 笑顔の絶えない人
  ・笑顔の絶えない顔は気持ち悪い
 2 常に感謝の気持ちを忘れない人
  ・感謝の気持ちを他人に要求する人
  ・日本的商人道徳への違和感
 3 みんなの喜ぶ顔が見たい人
  ・家族至上主義
 4 いつも前向きに生きている人
  ・考えない人
  ・厭なことはみんな忘れてしまう人
 5 自分の仕事に「誇り」をもっている人
 6 「けじめ」を大切にする人
 7 喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人
  ・対立を嫌う人々
 9 「おれ、バカだから」と言う人
10 「わが人生に悔いはない」と思っている人
  ・さっさと満足して死になさい

 中島義道の言わんとするところは、常識的な心地よい言葉ですましていることへの不信
である。その言葉の底の底まで考え抜くということをしないで、美辞麗句を使っていれば
すべてうまくいくという割り切り方、安易さが嫌なのだと思う。本の帯にも「いい人」の
鈍感さが我慢できないと書いてあった。
 たとえばボランティアなどを進んで行う人には敬意を払うが、自発的で無償な行為であ
るはずのことを人に言いふらすのは、何かの見返りを求めているようで見苦しい。そこに
はしてあげる」という意識が有りはしないかなどの解釈が成り立つだろう。
 しかし吉田兼好も言っているように「何もしない批評よりも偽善でも行動を」第85段は
大して何もしない私にはぐさりと胸に突き刺さる言葉である。

 ちなみに変人・奇人の作家はドストエフスキー、カポーティ、シラー、ジェイムス・ジ
ョイス、夏目漱石、江戸川乱歩、夢野久作、太宰治、吉田健一、久生十蘭、内田百間、
泉鏡花、坂口安吾等々。




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