したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

alpha-archive-06

22α編集部:2014/04/13(日) 20:25:18
男と女
.


????????????????        男と女




    作品の中にも掲示板の中にも、男と女のドロドロ、かけひき、情愛、
    といったものはほとんど出てこない。鈍色の世界、狭間、この範疇
    にも該当しないようだ。著者にとっては男女のことは秘密の小箱入
    りのようである。記事の中からやっと拾い出した。





男女の差違について

面白い話題なので、以前「斜光」にこの問題について書いた拙文を載せます。
男と女の生物学的差異については多田富雄著「生命の意味論」によれば、女の染色体はX
X、男の染色体はXYであるが生物としての生命の基本型はどうも女であるらしく、人間
はもともと女になるべく設計されているという。染色体Xは生存のための必須の遺伝子で、
血液凝固・色覚・免疫細胞などを作るのに必要な遺伝子であり、染色体Yは最後に男をつ
くるためだけの遺伝子らしく、遺伝子Xを二つも持っている女の方がもともと丈夫で長持
ちするようにできているのである。人間の胎児は受精七週間くらいまでは、まだ男でも女
でもない状態であり、基本型がきまってから「夏目漱石曰く『でも・しか』すなわち男に
でもなるか、男にしかなれない」などといった程度のもので、Y遺伝子のためにむりやり
女の体を加工して男にさせられた結果だという。だからアダムの肋骨からイブが作られた
のではなくイブ(女)からアダム(男))が作られたということである。
だから今でもかみさんに頭があがらないのであります。
2007/12/20(木霊)






「性についての雑考 の感想」より

 私としては今更我が性について改めて考え直す気はない。もともとこの手の話題は苦手
で、時代に取り残された部分をまだ心の片隅に潜める方だから、あまり興に乗らないので
ある。また渡辺淳一の小説は一偏も読んだことがないから、彼がどのような高邁な考えを
お持ちか知るよしもないが、ここに書いてあるようなことを訳知り顔に、くだくだと述べ
て一般化することはおこがましいと考えた。
 エロチシズムはもともとどういう言葉であるかを辞書で引くと
 「愛の神エロスに基づく。本来は精神的な愛を意味する」
  (1)愛欲的・性欲的であること。好色的。色情的。
  (2)芸術作品で、性的なものをテーマにしていること。官能的であること。
とあり、私はむしろ原点に戻って精神的な愛を含む性的なものと考えた方がいいような気
がする。だからブログ写真の作者ように何かを求めて彷徨う姿や、コメントの物語のなか
にほのかなエロチシズムを感じるのである。

2009/4/7(旧α掲示板)





「色模様 を読んで」より

◆ブログの写真を見て
 O−chanは不思議な人である。まるで剣客塚原卜伝の「無手勝流」の使い手のよう
 に、一見隙だらけのように思えて観客をハラハラさせるが、結局は己のなすがままにち
 ゃっかり勝利を手にしているという希な人である。
 その姿もクレオパトラか楊貴妃か藤原紀香のように傾城の美女という訳ではないが、男
 の心を惑わすような妙な魅力が備わっていて見飽きない。女優でいえば「足ながおじさ
 ん」に出たレスリー・キャロンか、「アパートの鍵貸します」のシャーリー・マクレー
 ンあたりだろうか、好き嫌いは別として・・・。

◆さて本題の「色模様」の感想を書くが、一言でいえば信子の「心模様」を見事に書きき
 ったもので、いよいよ私好みの「純文学」の世界へ入ってきた作品と言えよう。何が「娯
 楽小説」でなにが「純文学」かは人によって解釈が違うようだ。だからこの問題は微妙
 で一筋縄ではないようだから、こうであると今私が断じることはなるべく避けたい。参
 考として先日朝日新聞2009/3/25の「文芸時評−「結末」の問題−齋藤美奈子」はこう
 言っている。
 娯楽小説と純文学の相違は議論のつきないテーマだが、両者には明らかに感触の違いが
ある。何を描くか(what)に力点があるのがエンタメ系、表現の仕方、すなわちいかに
描くか(how)に力点があるものが純文系、を目安に考えてきた。だが最近、別の定義を
思いついた。
 起承転結全てが揃っているのがエンタメ系、起承転結に拘らない、あるいは起承転結を
壊すのが純文学。ときには着地を決めずに、マットの上でコケる。あるいは着地寸前でト
ンズラしてもいいじゃないか。
 強引に起承転結の揃った「出来のいいお話」、美しい結末に回収される物語はそこで終
わり、あとに引きずるものがない。
◆そこで「色模様」については、足を絡ませたり。耳を噛んだり、指を絡ませる等の肉体
 の接触で男女の関係を表しているが、この辺は通俗小説じみている。しかし「私が首に
 なって路頭に迷ったらあなた面倒見てくれる?」の会話における男と女の心理が面白い。
 男は自分の立場上不可能なことだと必死で説明し自分を守ろうとする。女は無理だと判
 りながら「安心しなさい、ずっと面倒見てあげるよ」という言葉だけでも言ってもらう
 ことでふっと湧いた不安が癒されるのである。そのへんの機微が男には判らない。私も
 細君にそのような問い掛けをされたとき、真剣に理屈をくどくど説いて、答えを出そう
 ともがくのであるが、「女の気持ちがちっとも分かっていない」「言葉は只、慰めを言
 わない手はない」などと叱られるのである。世間を見ると「歯の浮くような」言葉をよ
 くする男の方が、女性を幸せにするのかもしれない。だが私みたいな朴念仁にはなかな
 か出来ない辛い仕事である。

 男と女の繋がりは、一緒に側に居たい、それが心地よいと思うかどうかの問題で、不倫
だろうとなかろうと当事者以外が問題にするようなものではないと私は思う。男も女も今
の相手と違った魅力の人々が一杯いるわけだから、それぞれの人を好きになってはいけな
いという倫理感は、他人に押しつけるべきではない。そういう面での信子の生き方には、
決まり切った世間の通念に囚われない心の自由を感じる。だから今の彼との間に何らかの
束縛感を覚えたとき、信子はすんなり別れてしまいそうな気がする。
この小説は、そのような結論の出ない、たゆたいのなかの信子の暮らし振りが非常によく
書けていると私は思う。また筋の纏まりもよく一人称で語られているので人間関係も判り
やすい、よくできた作品と私は思う。

2009/4/20?? (旧α掲示板)





「*沈みゆく家 第六回 合評のお礼その4」より??*同人α19号
http://2style.in/alpha/19-10.html

1.「少女特有の希望といわれない不安」という一文が思わず大きな話題になりました。む
 しろ私の考えを早めにお答えするよりは、皆さんの侃々諤々の討論のままにした方がよ
 かったのではないか今は思っています。
 性差の違いは空間把握能力や言語認識能力などで違うといわれていますが、私は基本的
 な思考力や感覚においては、大きな性差はないと思っています。確かに子供が産める、
 産めないといった肉体的な差異や、社会的な環境において男の生き方、女の生き方とい
 った、長い年月をかけた刷り込みがあったのは確かで、そういう傾向をまだ引きずって
 はいるのだから男と女の違いの考えがあるかのごとき言葉を使ったことを反省している
 訳です。
 もし、性差による大きな思想や感覚の違いがあるとすれば、その謎は実に魅力的で、イ
 マジンさんの言われる「女性の神聖」は解き明かしたい衝動にかられます。実は私も少
 年のころにはそう思っていたふしがあります。お隣のホームページ「木霊」で企画され
 た「七夕様へのお願い事」に「二度生まれ変わりたい、一度は女性に、もう一度はその
 結果をみてどちらかに生まれ変わりたい」と欲張ったお願いをしました。でも今は同じ
 人間としての基本は変わらないと思っています。

4.柴田翔の「されどわれらが日々」の優子のセリフが少女特有の心理を表現しているのか、
 いつか読んで考えて見ましょう。

2009/8/6 (旧α掲示板)





*◇評者 ◆著者

「*鈍色の空 合評のお礼−1」より *同人α23号?? http://2style.in/alpha/23-3.html
万理さんへ
懇切丁寧に読み込んでくださって有り難う。以下設問に応じて・・・というより何がなに
やらとりとめもなく勝手に話を進めさせていただきます。

◇1から遡って読んでみると、様々な女性が出てくることに改めて気づかされた。のこと
について

◆今まで女性との関係を詳細に記述することがありませんでしたが、今回はそのことを意
 識して描きました。私はとにかく若いときからいままで女性にたいする定見を持ち得な
 かったので、むしろ性別を超えた独りの人間として接しようとしてきたと思っています。
 若いときは女性をすべて自分を超えた存在として、憧れの目で見ていたようです。想念
 の世界でアリサやレナール夫人に思いをはせても、現実の世界ではそのような純粋な思
 いが持続するとは思えませんが、人は未だにそれを求め、文学や演劇や映画の世界に浸
 るのでしょう。実際はほとんどの人生においては、逃れられない些末な雑事がほとんど
 の時間を支配していて、夢見るような幸せな恋心だけでは生きては行けないことはとっ
 くに判ってしまいました。

2010/6/25



「鈍色の空 合評のお礼−2」より

神野佐嘉江さんへ
◇「著者のポートレートとコメント集」を見たよ。近影かと思ったら数十年前 のだとい
 う。驚いたね。古賀君は昔も今もちっとも変わっていない。ただ、 ジーンズの前の辺
 りの紺が濡れ色だね。するとこれはおもらしか。それなら 近影と思えなくもない(笑)。

◆「ゆき」の中の「ゆきこ」との道「ゆき」は唯一次郎の女性にたいする微妙 な心の動
 きを詩情として感じていただき非常にうれしかった。その1から最 終回までを通じて
 これが書きたかったといってもいいでしょう。「じろうさん、じれったい」といみじく
 も長岡さんが書いたように、遠くばかり見ている次郎の女性にたいする晩成の性格を表
 し、内省としての記述はしませんでしたが揺れ動く若い次郎の心情が表現出来ればいい
 と思いました。

2010/6/26



「鈍色の空 合評のお礼−3」より

長岡曉生さんへ
◇これら全てが鈍色である。とは言え、この尾形の肺炎が、後段の主人公とゆきことの間
 の、かそけき思い出を作る一つのきっかけに成って居るのが、また作者らしい巧みな話
 の進め方と言える。

◆高揚感と現実のままならない憂さとの対比は長岡さんのいうように出来るだけ前後して
 際立たせました。人は何かのきっかけを作っては心の中の澱を希薄しようと試みます。
 私は酒を飲んで憂さを晴らすというと思ったことは一度もありませんでしたが・・・。

◇敢えて交情と書いたが、作者は常に露骨な表現を避け、対象とは距離を置いて淡々と描 写している。これは、作者が持つ想念世界への憧れとそれがもたらす一種の潔癖性なの か。それとも、そのような作中文体に表現を限ろうとする、意図的試みなのだろうか。

◆お礼その2で書いたように私はロマン主義的な傾向があり、「誰かがそれを」のなかに
 出てくる「入れ歯」とか「生理」とか、あまりにも直接的な露骨な表現を避けるきらい
 があります。事実ではあるがあまり余韻のないものを、いかに別の言葉に置き換えて表
 すかはいつも推敲するところで、直截的な言葉や一般に多く使われているものに対して、
 安易に使用して済ますことを厭うからです。これは個人的な趣味の問題かもしれません。

2010/6/27




新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板