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:
α編集部
:2014/04/12(土) 04:19:24
「詩学」/西脇順三郎
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「詩学」/西脇順三郎??2011
詩学をよんで−1
先日、北君から借りた西脇順三郎の「詩学」を今読んでいる。西脇といえば日本に於ける、
我々が目指す「オキシモーラン」のメタファの先達だと認識している。
西脇は「詩学は自然科学や社会人文科学とは根本的にその性質が違う。『詩』というもの
は科学の対象になるものとその性質が違うということである。
『詩』は純粋に想像された世界である。だから詩学というものもみな想像されたものであ
る。想像された超科学的なものを科学として解明が出来ない。それ自体矛盾である。」と
書いてある。
そしてさらに「『詩』という言葉にはそれ自体二つの違った意義が含まれている。内面的
な意味と外面的な意味に分けることが出来る。それで内面的な意味の時は、私は『ポエジ
ー』という名称を付けたい。それは詩の精神とか詩作を読んだときに感じた意識としての
情念である。
外面的な意味のときは私は『詩作』(詩の作品)という言葉を用いることにする。それは
一定の韻やリズムなどの形式の作品をいう。『詩学』という意味に私はポエジーというも
のは何であるかを学ぶという意味である。」とまずその本の序に書いている。
2011/11/24
詩学を読んで−2
さて、西脇順三郎の「詩学」の要点を表題ごとに纏めてみようと思う。そうすればきっと
私の頭の中でその課題に対する分析と理解が増すであろう。私はいままで感銘を受けた本、
たとえば最近ではマイケル・マンデルの「JUSTICE」やアラン全集などを自分なり
に纏めてみたことがある。その結果、一回の読書では半分も理解しないで読み飛ばしてい
ることがほとんどであることが判った。世で言う速読や、一月に50冊読んだという自慢
げな多読者に比して、私の読書は遅々としてはかが行かないので、そんなに知識量は期待
できない。その代わり一つのことを反芻して行くうちに、いままで難しかった学説や理論
や用語の意味が突然実感として理解出来る時がある。まさに理論が情念と一致する「悟り」
となるのである。
2011/11/25
詩学を読んで−3
3−偶然
「偶然」ということは神学とか宗教家の間で言う神の世界、絶対の世界、永遠の世界に対
立して有限の世界、自然の世界、人間の宿命の世界を「偶然」という。
ポエジーはボードレール的に考えれば、精神と肉体との対立の上に立っている。この見地
からすればポエジーは無限と有限との結合の上に立っている。精神を認めると同時に肉体
も認めなければならない。ポエジーは非常に肉体的でなければならないと同時に非常に精
神的でなければならない。ポエジーは「アイロニー」であり、矛盾である。
そういえば止揚という哲学用語があった。wikipediaによると、
ドイツ語の aufheben には、廃棄する・否定するという意味と保存する・高めるという二
様の意味があり、ヘーゲルはこの言葉を用いて弁証法的発展を説明した。つまり、古いも
のが否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古い
ものが持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される。
このように、弁証法では、否定を発展の契機としてとらえており、のちに弁証法的唯物論
が登場すると、「否定の否定の法則」あるいは「らせん的発展」として自然や社会・思考
の発展の過程で広く作用していると唱えられるようになった。
国語辞典などでは、違った考え方を持ち寄って議論を行い、そこからそれまでの考え方と
は異なる新しい考え方を統合させてゆくこと、という説明がなされることがある。
ポエジーは「アイロニー」という意味は、現実の世界と絶対世界の対立、矛盾の狭間で苦
悩しながら遂には最も価値あるものに昇華されると言うことか。
2011/12/9
詩学を読んで−4
4−想像
ポエジイはいつも新しい関係を創作することによって人間の自然法則と現実をより深く感
じさせるという価値を持っている。すべての存在は関係的である。物質の原子でさえもプ
ラスとマイナスという方向の違った二つのエネルギーの結合から出来ている。
ピカソは「芸術というものは自然と違ったものだから、同じものになり得ない。芸術によ
ってわれわれは自然でないものの観念を表現するのだ」、また「私の場合は一つの作品は
破壊の合計である」ともいっている。
もちろん破壊されたことだけでも一つの新しい関係を結ぶことになるが、それだけではす
ぐれたポエジイではないだろう。その新しい関係が、なにかしら永遠という神秘的な意識
を象徴し、なにかしら哀愁を人間に感じさせなければ、それはすぐれたポエジイではない
と思う。
ポエジイが創作する思考は非現実(イレエール)ではあるが、そうした方法でなければ「永
遠」といったような神秘的意識やあの分析の出来ない哀愁という現実にふれることは出来
ない。ポエジイは感じることであって、理解するものではない。
詩作の目的は超自然または超現実の世界を創作することによってポエジイを人間に感じさ
せることである。
私の場合はこの超現実的創作に従えば、単に自然を写実するだけの具象画に興味を見いだ
せない自分がある。すなわち現代日本画や細密の写実画などの見られる、ただ物体の再現
を目指すもののなかに「アイロニー」や「シュール」さや「現実でない神秘的意識」「哀
愁」といったポエジイを表現していないとみえるからだ。
われわれが目指すオキシモーランの目的は、「現実の世界」と「想念の世界」の鬩ぎ合い
のなかで、理性では感じられない情感を表現することにあると思った。
2011/12/15
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