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α編集部
:2014/04/08(火) 07:49:13
本のある暮らし8 2012
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本のある暮らし8 2012
「無限回廊 第六回」を読んで
2012/1/3
今回は私的な問題で、評を書く時間を持つことが出来なかった。だから万理さんの懇切
丁寧な分析と評に相乗りして、重複を避けるために詳細は語らないでおこうと思う。
これはまさに犬と雷が嫌いだったジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」の
小説の神髄ではないか。現と夢、現在と神話、偶然と必然、地球と宇宙の世界を、時系列
的記述ではなく、意識の流れのように縦横無尽に自由に飛び交う想念の物語ではないか。
またこの小説の古代中国、ヘレニズム、ヘブライズムの古今東西に渡る膨大な知識はまさ
に圧巻である。
ちなみに「フィネガンズ・ウェイク」に込められた言葉は神話的世界と現代を取り込んだ、
駄洒落や比喩やゴロ合わせなどの言葉遊びに満ち満ちている。また日本語への翻訳は柳瀬
尚紀というとてつもない訳者を得て、その物語の異界さを充分感じさせられるものである。
「フィネガンズ・ウェイク」にあってはハンフリー、イエス・キリスト、トリストラム
卿、トリスタンの恋人イゾルデ、アダム、イヴ等々であり、「無限回廊」にあっては、神
農炎帝、季炎、赤松子、ヘルメース、アフロディーテ、アイネイアース、壽夢、七娘、季
礼、孫悟空、ザインなど、その飛び方は並ではない。
また一見博覧強記でとりつく島もないほど理屈っぽく、頑固で妥協を知らない「異風者
(いひゅーもん)」の典型みたいな作者が、とてつもなく洒脱で「剽げ者(ひょうげもん)」
でユーモア、ウイット、諧謔、隠喩に富むセンスの持ち主であることを、親しく付き合わ
ない人達には想像もつかないであろう。とにかく「無限回廊」に登場するバード・ブレイ
ン、グレイ・ブレイン、エヴァー、カミノの物語はこれからも、それぞれの個性のもとで
回し書き物として面白いものになるとあらためて確信した次第である。
参考:Wikipediaより
原題 Finnegans Wake はアイルランドの伝説の大工ティム・フィネガンの物語にちなむ。
ティムは屋根から転げ落ちて死んだが、その通夜に生き返ったという。Wake はゲール語
で「通夜」を意味すると同時に英語で「覚醒」を意味する。また英語の Wake は航跡、
すなわちフィネガンの人生の行程を意味する。ここでタイトルにアポストロフィがないこ
とに注目したい。『フィネガンズ・ウェイク』のフィネガンは一人のフィネガンではなく、
複数のフィネガン、つまりは人類全体を暗示する。この作品の主題は、だれか特定の人物
の物語ではなく、人類の原罪による転落と覚醒であり、円環をなす人類の意識の歴史なの
である。
はからずも、このテーマはまさに「無限回廊」と同じくするものである。
英語による小説ではあるが、各所に世界中のあらゆる言語(日本語を含む)が散りばめら
れ、「ジョイス語」と言われる独特の言語表現が見られる。
なお、物理学における基本粒子クォークは、この作品の中の鳥がquarkと3回鳴いたとい
うところから、3種類の性質を持つクォーク理論の提唱者であるマレー・ゲルマン自身に
よって命名された。
「窓辺にて―そして、それから」より (同人α31号作品)
2012.4月
◆読書のこと
『月とかがり火』
最近チェーザレ・パヴェーゼ著の「月とかがり火」という本を読んだ。この本が仕事場
のサイド・テーブルに積まれた十冊ほどのなかにいつ紛れ込んだのか記憶がなかった。た
ぶん唯一の女性同人・M女史が数ヶ月前に置いていった四・五冊の本の中に混じっていた
ものであろう。発行年月日は1992年10月20日、出版社は白水社とあった。
私は時々銀座の教文館に出向き、西洋小説のシリーズものを出版している白水社のUブ
ックスを探訪することを楽しみにしていた。そして三十年前まで、日に40本吸っていた
煙草の脂(やに)で褐色に変色した我が家の「チボー家の人々」や「モンテーニュの随想録」
「アラン全集」「シェイクスピア全集」などのお気に入りの本も白水社のもので、質のい
い本を企画している出版社だという思い込みが私にはあった。
そういう先入観で「月とかがり火」を読み始めた訳だが、案に違(たが)わず主人公の生
き様を描いた深い内容の本だった。ファシスト、パルチザン、ドイツ軍などといった、違
った主張や価値観が複雑に混在する第二次大戦下の閉ざされた北部イタリアの田舎を舞台
に過ごす主人公。その後その村を出てアメリカに渡り、転々と職を変え遂には裕福になっ
てジェノヴァに住む。しかし出自の判らない私生児として生まれ、ジェノヴァが故郷とい
える係累(けいるい)もなく喪失感を覚える彼は、少年から青年にいたるまで過ごしたその
村を故郷として位置付けようとしてそこを再び訪れた。昔の想い出とともに語られる自然
の美しさ、そこに住む人々の人生を静かに懐かしく優しい目で語る文章には、作者の奇(き)
を衒(てら)わない性格と故郷にたいする深い愛情が感じられて、いい物語を読んだという
感慨が残った。
私は最後にこの「月とかがり火」という題名が何を象徴しているかと考えた時、「田舎
の故郷と文明の都会」「脱出と帰郷」などの内容から、月はまだ見ぬ憧(あこが)れの「外
の世界」、かがりびは祭りなどで灯される村の生活を象徴する「内の世界」を表している
のではないかと解釈した。
作者は、1950年6月に長篇「美しい夏」(「丘の上の悪魔」「孤独な女たち」併録)によ
ってストレーガ賞を受賞。続く新作「月と篝火(かがりび)」も注目を集めていた1950年8
月、トリノ駅前のホテルの一室で服毒自殺する。享年42歳であった。
作者の詩のなかに「ランゲは不滅だ」とある、ランゲの作曲「花の歌」は、次のURLで
そのピアノ演奏が聴ける。
http://www.youtube.com/watch?v=k4enxSzqJvg&feature=fvwre
『日本語が亡びるとき』
山荘に越してきて荷物の整理やインターネットの環境設定など、住み付くための仕事で
疲れた夜、早寝のベッドの中で読むページ数は少ない。ほっとしていざ本を読み始めると、
三ページもしないうちに眠りに落ち込んでしまう。しかし一眠りした後の夜中、目が冴(さ)
えたときにも読むから合計すると結構捗(はか)が行くものである。既にナイトテーブルの
上にはたまに来るとき再度順繰りに読み返していた小林秀雄全集やアラン全集のうちの一
冊が載っているのだが、今回購入して読まないまま友人に貸していた水村美苗(みずむら
みなえ)著の「日本語が亡びるとき−英語の世紀のなかで」をやっと思い立って読んでい
る。
水村美苗(みずむらみなえ)の紹介文には「エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を戦後日本
を舞台に書き換えた『本格小説』で2003年読売文学賞を受賞。2009年には『日本語が亡
びるとき』で小林秀雄賞を受賞している。また夏目漱石の未完の小説「明暗」の続きを書
いて「續明暗」で1990年芸術選奨新人賞を受賞する」とあり、いろいろの点に目をつけ
て問題提起するという、単なる物語作家というよりも意欲的な作家のようである。
この本は「現地語」「母語」「国語」「普遍語」「話言葉」「読み言葉」等、独自の術語を
用いて国語について述べている。
水村によれば、話し言葉は発せられたとたんに、その場の空中であとかたもなく消えてし
まう。書き言葉は残る。何度も何度も繰り返し読むことができると言っている。
確かにローマ時代カエサルのガリア戦記にあるガリー人(ケルト人)は知識レベルは高
かったというが、知識階級である僧侶たちが学問を独占していた。それは記録に残すこと
ではなく、暗記することで伝えられ、文字での記録を残すことを許さなかったという。そ
の一握りの特権階級の知識人達は文学、法律、天文学、医学を学び終えるまで二十年以上
も掛けて暗記したと言われている。だから彼等ガリー人はほとんどの文化を後世に残すこ
とはできなかった。
明治維新のころ文部大臣の森有礼(もりありのり)は英語の国語化を提唱し、前島密(ま
えしまひそか)が漢字廃止論を、梅棹忠夫は日本語ローマ字化論を唱えている。
さらに著者は言う。質と量において、日本文学は世界の最も主要な文学であるといって
いる。その国の長い歴史の中で育てられた文化はその国の言葉でしか表現できないものが
ある。だから表意文字「漢字」と表音文字「かな、カタカナ」交じりの複雑で表現豊かな
文字で書かれた日本文学は、普遍語(英語など)で書くことは不可能であると言っている。
小林秀雄全集は昭和43年度版にも関わらず、旧漢字、旧仮名遣いを使っている。「文
体→文體」「文学→文學」「解釈→解釋」「想い→想ひ」など、作者が戦前書いた原稿のま
ま復刻してある。もし国語が漢字の廃止や仮名文字またはローマ字化されたら、日本文学
の古典は読めなくなるだろう。
私は懐古趣味(かいこしゆみ)ではないが、群青色(ぐんじよういろ)や亜麻色(あまいろ)、
浅黄色(あさぎいろ)、鈍色(にびいろ)など日本古来の色彩の名称や旧漢字の表記に興味が
あり、忘れ去られた言葉などに郷愁(きようしゆう)を覚える方だ。話し言葉でしゃべるよ
うに書かれた文、漢字変換のミスや間違った記述などの修正もされずに捨て置かれる文な
どは、何の感銘も受けないし、肝心(かんじん)の書き手もその間違いを恥じて修正すると
いう処理をしないところをみると、二度と自分の文を読み返さないのだろう。要するにそ
の程度の安易な記述であり、読者もまた人の書くものに対しては真剣に読むことをしない
のだろう。
そう、話し言葉と同じように発せられたとたんに、その場の空中であとかたもなく消えて
しまう程度の内容なのだから、目くじらを立てて憤慨(ふんがい)するのも余計なことで、
カラスの勝手でしょうと開き直られるのが落ちであろう。
水村が言っているように、普遍語(英語等)を全国民が血眼になって学習する必要はな
い。単に普遍語で日常のことを会話できるというだけで高邁(こうまい)な思想を語れる人
がどれだけいるのか。母国語できちんと思想や歴史や文化を習得していなくて、何を共通
語で語れるというのか。
この本を読んで私は、「斜光」第17号に投稿した「人は死して何を残すのか」という、
我ながら恐ろし気な命題を掲げた一文と相通じるものを今更ながら感じている次第である。
色について」
2012/5/26
神野佐嘉江氏の万理さんへという投稿をみて、色の表現がこんなにもたくさんあるのか
と驚いた。ずっと以前、神野氏が第二版の『日本国語大辞典』へ買い換えるときに、それ
まで使用していた第一版を無償で譲ってくれたことがあった。それがいま山荘の書棚に鎮
座している。私は今朝ひんやりした空気のテラスでコーヒーを飲みながら、その第二巻の
「いろ」の項目を調べて見た。あるはあるは、色という字の頭に付く表現がおそらく250
〜300もあるのである。このことを見ても日本語の豊かさは行き着く所のない奥深さだ。
ちなみに神野氏の挙げた言葉のなかで目に付いたものを調べて見ると、
色大将:遊興、情事などに最も巧みな者
色奉公:妾や遊女として勤めること
色風:なまめかしい風。色っぽい風
それだけこの世が生々しい生の世界であることを感じる。色即是空の悟りはどこへやらで
ある。
参考:『日本国語大辞典』 小学館
第一版 20巻21冊、1972年出版
第二版 14巻15冊、2000年出版
「表現の技術」
2012/7/1
朝日新聞2012.07.01に高橋卓馬著の「表現の技術」−副題:スキルを身につけるには−
という本の紹介があった。そのなかで「起承転結を壊す」「物語を説明しない」という面
白いテーマが説明してあった。
例えば緊張の表現として、どちらにより説得力があるか。
A:「くそう、緊張してきた」と言う。
B:無言で煙草に火をつける。その灰皿はすでに火のついた煙草がある。
それはBということが分かるが、なぜか、と問われると、答えに窮してしまう。これは
鍛錬することで身につくことだと言っている。
ではどうやって鍛錬すればいいのか。それは「起承転結を壊す」「物語を説明しない」
というナナメからのアプローチ法や外の面白い物語の構造を応用することだという。
◆「起承転結を壊す」
物語を作るに於いて「起承転結」という方法は確かに文を書く人にとっては一つの指針
になることではあるが、初心者からだんだん修練を積んで自分なりの言葉の表現とか物
語性とかの個性を見つけると、「起承転結」といった固定した法則は必要なくなるであ
ろう。またそうでないとその人独特の匂いというか、味わいというか、それを表現する
作品に行き着かないのではないか。
◆「物語を説明しない」
TVのミステリー・ドラマでうんざりするのは、犯人捜しの物語の終わりの15分間、犯
人がどこかの断崖絶壁の寒い風の吹くなかで、何人もの刑事や被害者の関係者を取り巻
きにして犯罪の経緯を延々と説明する場面である。これなどは物語を作る側の策のなさ
を示しているに過ぎない。見る側はそのような状況はとっくの昔承知しているのだ。そ
れに、なかには二重三重の理屈に合わないどんでん返しを得意とする作家がいるようで
ある。「物語を説明しない」はまた、作者の解説や裏話の暴露といった、まったく「花
伝書」も真っ青な代物になることへの警句だと言えよう。
面白い記事があった。
世界の雑記帳:「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言5月16日、
「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士が、
英紙ガーディアンのインタビューで、「天国も死後の世界もない。天国とは闇を恐れる
人のおとぎ話にすぎない」とし、死後の世界があるとの考えを否定した。
(毎日新聞 2011.05.18)
人間の生が精神と肉体の両方で成り立っている以上、どちらが欠けても人間として自立し
て生きてはいけない。死は疑いのない肉体の死滅である以上精神や魂だけが生き続けるこ
とはない。だから天国や来世があるということは物理的に無理な考えだ。
ただ子孫に引き継がれた遺伝子の連綿とした情報があるかぎり、一度生を受けた人の痕跡
は残り、それを来世と言えないこともない。
また、アメリカの女優シャーリー・マクレーンは南米の霊的な経験をもとに「アウト・オ
ン・ア・リム」という本を書いた。その中に「たとえ肉体は死んでも、原子は死滅せずこ
の世界に残る。それがふたたび植物や動物に取り込まれて生命を造ることになる」という
輪廻転生の意味づけをしている。なるほどそういう理屈もあるのかと思った。
「続生活の探求」を読む
2012/7/27
数年前島木健作の「生活の探求」「続生活の探求」という絶版になった本を、日本の古
書データベースから探し出して、富山だったか−兎に角思いもよらない地方の書店にある
昭和16年発行、壱円八拾壱銭、弐円弐拾銭の二冊を求めた。太平洋戦争に突入した年に出
版されたこの本は、時代を反映する倹約の証のような凹凸のある荒いザラ紙の上に薄いイ
ンクで印刷されたもので、目の悪い私に読破することに数年苦労を強いたものだ。いま神
田の古本屋にも滅多になく、遠い地方の本屋にひっそりと残っていたと言うことは、小林
秀雄も実に好意的な論評を書いているのだが、地方ではなおさらのことこのようないい本
を読む人も少なかったのではないかと思われた。
杉野駿介という大学生が都会の生活に疑問を抱き、学校をやめて故郷の農家を継ぎ、い
ろいろの苦労をしながら自分の生きる道を探すという物語である。
「すべての政治的組織運動には、権謀術策を伴うよ。嘘をつくこと、偽ること、欺くこと、
裏切ること、陥れること、憎み合うこと、非人情を敢えてすること」と友人の志村に言わ
せている。また「彼の言っている言葉に、彼自身の言葉は一句だってなかった。彼のしゃ
べった言葉は、みな彼の周囲の誰彼から聞かされたものばかりだ」と、駿介は二年ぶり上
京して本郷の大学で一緒だった友人の、生まれのいい秀才顔の後輩である三井の議論を聞
いて、そう思った。
世の中の不条理や不満を言葉多く、声高に、政治的に託つのではなく、真面目にそして
真摯に身の回りの貧しい農民の生活のために努力する杉野駿介の生き方もまたあっていい
と思った。またもっとこの本は読まれてもいいとも思った。
「ブラックベリー・ワイン」
2012/8/31
最近、ジョアン・ハリス著の「ブラックベリー・ワイン」を読んだ。
ベストセラーで映画にもなった「ショコラ」と同じフランスの片田舎が舞台。少年のころ
の追憶と、大人になった現在の物語を交互に語るという方法で書かれた、ちょっとミステ
リー調の物語である。
この本を読んで不思議な巡り合わせを私は感じた。今回α32号へ私が投稿した「歪ん
だ風景−鐵橋」を書いた山荘が通称ブラックベリー・コテージであり、また「結界を張る」
についても二つの物語の要素を同じくしているからだ。たまたま読んでいる内にそれらの
言葉の符丁に驚いたものだ。
この物語の語りは確かにうまく最後まで読ませるが、表現される警句や比喩やアフォリ
ズムは村上春樹が時々放つそれに似て、私の感覚に刺激を与える程でもなく通俗的であま
り好きではない。またロンドンを脱出して田舎暮らしを試みたのも、ピーター・メイル著
の「南仏プロヴァンスの12か月」も多少意識しているようだ。
ところで、我が通称ブラックベリー・コッテージにはブラックベリーが有るのかと問わ
れそうだが、有ります。この山荘を建てた時からその山荘の名に恥じないようにといくつ
もの苗を植えたのだが、五年間一粒も実らなかった。しかし今年は十粒くらいが実り、今
青から赤に染まり始めた。もうしばらくすると漆黒のつややかなブラックベリーになり、
朝食に添えられるであろう。
「ブルックリン」
2012/9/1
コルム・トビーン著の「ブルックリン」を読んだ。
アイルランドの若い娘が、故郷では職がえられないためアメリカへ渡る。ブルックリン
に住んで、あるデパートの売り子として働きながら、夜は簿記の学校に通う。
訳者あとがききに「家族間に結ばれる暗黙の義務感、運命を受け入れる静かな諦念。ジェ
ームズ・ジョイス、ジョン・マクバガン、ウイリアム・トレヴァーといった書き手たちが
切り開いたアイルランド人の内面世界を、新たに掘り下げてみせる」とある。
ここで ウイリアム・トレヴァーが出てきたのでなるほどと思った。以前彼の著書「アイ
ルランド・ストーリーズ」を読んだときも運命にあらがえない女性の静かな姿を鮮やかに
描いていたからだ。
「ブルックリン」の主人公アイリーシュが姉の突然の死にあい、婚約者の元を離れてア
イルランドに帰郷した。そこで会った顔見知りの青年との二週間足らずの付き合いに、ブ
ルックリンに残してきた婚約者の影が薄れ、いま現に目の前にいる青年に心が移る予感を
持った。若さ故の迷いもあることではあると、読者である私もそう納得してしまいそうで
あった。だとすれば単なる若い主人公の生き様を画いただけの単純な小説だと思った。し
かし最後に主人公はブルックリンに戻る決心をして故郷を旅立つ。そこには感情のままに
故郷に残って青年と一緒になるということが、婚約者を裏切ることへの罪の意識のなかで、
情と理の狭間で揺れ動く心の葛藤を画いたもので、最後の決断は彼女の生きる上でのしっ
かりとした彼女自身規範を示したものである。
この結末はその苦い味を表現した秀作だと私は思った。自分の心に正直であれという自
由奔放な生き方をした終わりであれば、通俗的な物足りない物語になっただろう。そして
これからも主人公は感情のままに後ろめたい行動に迷わされることなく、理を通して前を
向いて生きていくことだろうと私は感じた。
「語り」と「ことば」
2012/9/25
「語り」と「ことば」・ハイデガー「存在と時間」
「語り」と「ことば」の両者の関係は、「語り」が外に向かって発言されたときとば」
になる。このとき「語り」は共同存在として属しているところの世界・内・物わかりを「意
義をあたえながら」分かつことである。聴く人は承諾したり、勧告し拒絶したり、警告し
たりしながら、言葉を受け取り、話合う。
こうして語りは世界・内・存在の開示性を世界・内・存在を構成する。伝達は共として
の了解力を「分かつ」ことになる。しかし語りは、ことばの表現だけに限定い。音の抑揚、
転調、話のテンポ、「話っぷり」のあらわれである。したがって語現は、詩的(演技的)
な要素も要求され、全体的なパフォーマンスとして存在するこれらが了解に達するには、
それを語ることと並んで、「聞くこと」がある。語と聞くことは、了解にとっては一つの
セットである。語ることと同じく、聞くことても構成される。またその中には「黙ること」
も同じ意味を持っている。逆に、長ゃべることは了解の保証にはならない。「沈黙は金な
り」という言葉もあります。
とは、沈黙の方が意味が大きいことを意味する。
しかしここでいう語りは単なる「おしゃべり」とはちがう。おしゃべりは、
「根無という性格を持っている。おしゃべりは相手が開示したことを了解することとは限
らそれを覆ってしまう。受け売り、自慢、吹きまくりといったおしゃべりは、根無しへ間
断なく流れてゆく。(荒木 清著「一冊で哲学の名著を読む」のなかの解説文)
北大路魯山人の「昆布とろ」
2012/11/3
久しぶりに青空文庫を開いてみた。北大路魯山人の「昆布とろ」というエッセイが電子
図書に復刻されていた。夏の朝、食事の進まないようなとき、あるいはなにを食っても口
が不味いとき、日ごろの三杯飯は、知らず知らず五杯飯になること請合いである、と書い
てある。今時ご飯を三倍食べる人は珍しいだろうが、どうも美味そうである。
また東京人の舌は杜撰で荒っぽい、例えば、くどい味、油っ濃い味、粗野な味、手っ取り
早い味、落着かないせかせかした味、甘ったるい味というところに嗜好が動く、と続く。
そういえば私が上京した半世紀前の東京の掛け蕎麦やうどんの汁は真っ黒くて、しょっ
ぱいだけの、ギョッとするような色と味だったことを思い出した。いまではどうも関西系
の味が流行っているらしく、すこし清まし風になり昔の江戸の味も変化しているらしい。
高田郁著の「澪つくし料理帖」にも、肉体労働者の多い江戸は濃い味を好むとあった。
ちなみに、澪とは船の通行に適する水路
澪(みお・水緒)とは舟の通った後に出来る軌跡
澪つくし(澪標)とは航路を示す標識
昔、息子の寝床で読んでやったユリ・シュルヴィッツの絵本「よあけ」のなかに出てく
る、まだ日も上がらない薄暗い山間の湖、澪を引くボートの印象的絵を思い出す。最近で
は「きみに読む物語」という映画で、これもまた朝まだきか夕暮れか失念したが、薄暗い
湖をレガッタで澪を引いて漕いでいるの最後のシーンが印象的だった。
それにしても昆布とろとは美味そうだ。晩秋の鄙びた里の仕舞た屋で魯山人の料理を一
度食してみたいと思った。
「澪標ふたたび」
2012/11/8
??????????大阪市章
??????????
テレビを見ていたら見覚えのあるマークが出てきた。たしかにあれは澪標(みおつくし)
だと直感した。先日北大路魯山人の昆布とろの感想を書いたとき、高田郁著の「澪つくし
料理帖」まで思いを広げ、澪標の意味を調べたがこの本にはいろいろの意味を含められた
のが判るような気がした。
澪標の描かれた旗は大阪市の市章であった。すなわち「大阪の繁栄は昔から水運と出船
入船に負うところが多く、人々に親しまれ、 港にもゆかりの深いみおつくしが、明治27
年4月、大阪市の市章となった」と言うわけだ。
「澪つくし料理帖」の二重の意味とは、 主人公の澪(みお)は大阪生まれであるとい
うことと、 澪標によって舟が安全に進むことにように澪の料理の修行を記述しているの
ではないかと私は思った。それにしても、日頃は何気なくやり過ごすこともこのように一
つのことが重ねて目に写るのは、身の回りの騒音や義理の付き合いや無駄な情報が少なく
なった環境に心が浄化されたゆえなのか。そうだといいが。
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