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11
:
α編集部
:2014/04/06(日) 15:05:01
詩 散 策 4 2011
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詩 散 策 4
?? ??2011
「人の像をした美しい青い地球を読んで」 2011/1/10
前編の〔皮膚が乾き〕〔氷嚢は甲斐なく〕〔臓器岩石〕〔地球爆発〕はすべてのものの破壊
を表しているようです。
中編の〔焼け跡から小さな青い塊が〕〔青い塊は弱い子かもしれない〕〔光の好きな連中〕
〔プリズム〕〔夜の女神ラートリ〕〔薮の中へ蛍〕〔裸だろう曇るだろう〕〔人参は胃の腑
でマグマと〕〔消化には〕は破壊された混沌の世界を表しているようです。
後編の〔糞は鉱物片〕〔きらめき汚物〕は混沌の中からの新しい芽生えを表しているよう
です。
すなわち、既成の概念や価値観を全部破壊し尽くした後、新しい思想、秩序が生まれそれ
を繰り返すという「ツァラトゥストラは語りき」「この人を見よ」のニーチェの永劫回帰
の思想をこの詩のなかに見ました。
「西脇順三郎−オキシモーランの会」
2011/6/3
朝日新聞 2011.6.3 に「詩を変えた西脇順三郎」という記事があった。言葉をつむいだ
のは現代詩の創始者とされる西脇順三郎のその生涯と作品がテレビ番組にまとめられた。
「エッジスペシャル 新しき美を求めて、詩人・西脇順三郎」というCS放送、18日夜9
時45分に再放送されるらしい。残念ながら私のTVではCSが映らない。
西脇順三郎の詩は読者にとって、その意味もつながりも情景すら定かに浮かばない、メタ
ファーの世界である。例えば「旅人かへらず」の詩は
旅人は侍てよ/このかすかな泉に/舌を濡らす前に/考へよ人生の旅人/汝もまた岩間か
らしみ出た/水霊にすぎない/この考へる水も永劫には流れない/永劫の或時にひからび
る/ああかけすが鳴いてやかましい/時々この水の中から/花をかざした幻影の人が出る
/永遠の生命を求めるは夢/流れ去る生命のせせらぎに/思ひを捨て遂に/永劫の断崖よ
り落ちて/消え失せんと望むはうつつ/さう言ふはこの幻影の河童/村や町へ水から出て
遊ぴに来る/浮雲の影に水草ののぴる頃
私はこの新聞記事を読んで「オキシモーランの会」の活動を再び活動する意欲が湧いてき
た。2007/11/26日の日記には「もう7・8年になるだろうか、北君が「オキシモーランの会」
を作ろうと提案してきた。それは西脇順三郎の詩におけるような二つの異質なものの結合
によって新しい世界を作り出そうという趣向で、今の彼の作風を示すものだった。私もい
くつか試みたものがあった。それは言葉を単なる記号と冷徹に見なし、エクセルの縦A列
は名詞をB列は修飾語をC列動詞をと、それぞれ言葉を100ばかり創りABC列それぞれ
に乱数をコンピューターで発生させて番号をつける。その後ABC列の番号をそれぞれ若
い順にソートして並べてみると「資本論は忍術である」となったり、「民主主義における
無限級数は小さな階段を這い上がって死に絶えた」などと判じ物のようなものが出来上が
った。」と書いてあった。
これが詩なのかどうか、その価値があるか判らないが言葉遊びとしては結構面白い。また
システマチックなことの好きな私としてはエクセルという感情抜きの乱数配列のなかに、
人間的な情感の言葉を紡ぐという遊びもまた魅力を感じている。「オキシモーラン」の運
動、果たして新しい遊びになるかどうかは、好奇心の豊かな人の数と情熱の度合いに頼る
ばかりだ。
「詩学」をよんで−1
2011/11/24
先日、北君から借りた西脇順三郎の「詩学」を今読んでいる。西脇といえば日本に於ける、
我々が目指す「オキシモーラン」のメタファの先達だと認識している。
西脇は「詩学は自然科学や社会人文科学とは根本的にその性質が違う。『詩』というもの
は科学の対象になるものとその性質が違うということである。
『詩』は純粋に想像された世界である。だから詩学というものもみな想像されたものであ
る。想像された超科学的なものを科学として解明が出来ない。それ自体矛盾である。」と
書いてある。
そしてさらに「『詩』という言葉にはそれ自体二つの違った意義が含まれている。内面的
な意味と外面的な意味に分けることが出来る。それで内面的な意味の時は、私は『ポエジ
ー』という名称を付けたい。それは詩の精神とか詩作を読んだときに感じた意識としての
情念である。
外面的な意味のときは私は『詩作』(詩の作品)という言葉を用いることにする。それは
一定の韻やリズムなどの形式の作品をいう。『詩学』という意味に私はポエジーというも
のは何であるかを学ぶという意味である。」とまずその本の序に書いている。
「詩学」をよんで−2
2011/11/25
さて、西脇順三郎の「詩学」の要点を表題ごとに纏めてみようと思う。そうすればきっと
私の頭の中でその課題に対する分析と理解が増すであろう。私はいままで感銘を受けた本、
たとえば最近ではマイケル・マンデルの「JUSTICE」やアラン全集などを自分なり
に纏めてみたことがある。その結果、一回の読書では半分も理解しないで読み飛ばしてい
ることがほとんどであることが判った。世で言う速読や、一月に50冊読んだという自慢
げな多読者に比して、私の読書は遅々としてはかが行かないので、そんなに知識量は期待
できない。その代わり一つのことを反芻して行くうちに、いままで難しかった学説や理論
や用語の意味が突然実感として理解出来る時がある。まさに理論が情念と一致する「悟り」
となるのである。
「詩学」をよんで−3
2011/12/9
3−偶然
「偶然」ということは神学とか宗教家の間で言う神の世界、絶対の世界、永遠の世界に対
立して有限の世界、自然の世界、人間の宿命の世界を「偶然」という。
ポエジーはボードレール的に考えれば、精神と肉体との対立の上に立っている。この見地
からすればポエジーは無限と有限との結合の上に立っている。精神を認めると同時に肉体
も認めなければならない。ポエジーは非常に肉体的でなければならないと同時に非常に精
神的でなければならない。ポエジーは「アイロニー」であり、矛盾である。
そういえば止揚という哲学用語があった。wikipediaによると、
ドイツ語の aufheben には、廃棄する・否定するという意味と保存する・高めるという二
様の意味があり、ヘーゲルはこの言葉を用いて弁証法的発展を説明した。つまり、古いも
のが否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古い
ものが持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される。
このように、弁証法では、否定を発展の契機としてとらえており、のちに弁証法的唯物論
が登場すると、「否定の否定の法則」あるいは「らせん的発展」として自然や社会・思考
の発展の過程で広く作用していると唱えられるようになった。
国語辞典などでは、違った考え方を持ち寄って議論を行い、そこからそれまでの考え方と
は異なる新しい考え方を統合させてゆくこと、という説明がなされることがある。
ポエジーは「アイロニー」という意味は、現実の世界と絶対世界の対立、矛盾の狭間で苦
悩しながら遂には最も価値あるものに昇華されると言うことか。
「詩学」をよんで−4
2011/12/15
4−想像
ポエジイはいつも新しい関係を創作することによって人間の自然法則と現実をより深く感
じさせるという価値を持っている。すべての存在は関係的である。物質の原子でさえもプ
ラスとマイナスという方向の違った二つのエネルギーの結合から出来ている。
ピカソは「芸術というものは自然と違ったものだから、同じものになり得ない。芸術によ
ってわれわれは自然でないものの観念を表現するのだ」、また「私の場合は一つの作品は
破壊の合計である」ともいっている。
もちろん破壊されたことだけでも一つの新しい関係を結ぶことになるが、それだけではす
ぐれたポエジイではないだろう。その新しい関係が、なにかしら永遠という神秘的な意識
を象徴し、なにかしら哀愁を人間に感じさせなければ、それはすぐれたポエジイではない
と思う。
ポエジイが創作する思考は非現実(イレエール)ではあるが、そうした方法でなければ「永
遠」といったような神秘的意識やあの分析の出来ない哀愁という現実にふれることは出来
ない。ポエジイは感じることであって、理解するものではない。
詩作の目的は超自然または超現実の世界を創作することによってポエジイを人間に感じさ
せることである。
私の場合はこの超現実的創作に従えば、単に自然を写実するだけの具象画に興味を見いだ
せない自分がある。すなわち現代日本画や細密の写実画などの見られる、ただ物体の再現
を目指すもののなかに「アイロニー」や「シュール」さや「現実でない神秘的意識」「哀
愁」といったポエジイを表現していないとみえるからだ。
われわれが目指すオキシモーランの目的は、「現実の世界」と「想念の世界」の鬩ぎ合い
のなかで、理性では感じられない情感を表現することにあると思った。
「網膜症(糖尿病黄斑症)回復手術入院」
2011/12/26
網膜症(糖尿病黄斑症)回復手術入院 2011.12.19〜12.26
第1日−−−*
第2日−−−* (*割愛 編集部)
第3日〜第6日
後は静かに寝ているだけの生活で、「詩学」と「悲しみのゴンドラ」と「アラン全集」を
読み、ちょっと仕事をして事務所に図面を送る。入院中の仕事のために息子よりラップト
ップパソコンのMacBook Airを貰う。無線ランは借りる。
“グレープ”のアルバム「わすれもの」に収録された曲が見つかった。
蛍茶屋から 鳴滝までは 中川抜けてく川端柳
他人の心を 胡麻化す様に 七つおたくさ あじさい花は
おらんださんの 置き忘れ
思案橋から眼鏡橋 今日は寺町 廻ってゆこうか
それとも中通りを抜けてゆこうか
雨が降るから久し振り 賑橋からのぞいてみようか
この詩はまさに私が路面電車の終点の「蛍茶屋」の古い屋敷の二階に間借りしてい
た頃の情景そのもので懐かしい。
また、 アジサイは毒性があり、ウシ、ヤギ、人などが摂食すると中毒を起こす。症状
は過呼吸、興奮、ふらつき歩行、痙攣、麻痺などを経て死亡する場合もある。
釈迦の誕生を祝う行事の花祭り(4月8日)に飲む甘茶(あまちゃ)は、ユキノシタ科の落
葉低木ガクアジサイの変種であるアマチャ(学名:Hydrangea macrophyllavar.thunbergii)。
また、その若い葉を蒸して揉み、乾燥させたもの。およびそれを煎じて作った飲料、だが
全く紫陽花の葉とそっくりであるから用心しなければならない。
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