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テーマ前書き集

20編集部:2014/06/12(木) 16:54:53
第36号 「古 典」
第36号 「古 典」 2013/11

          


古典への視座

 古典を見る自分の目は、先の東北大震災によって変わった。大震災からひと月ばかり経
った頃、《そういえば『方丈記』に地震の記述があった》と思い出し、かくて久しぶりの
何十年ぶりかでこの本をひもといた。

「又同じころかとよ、おびたゝしく大地震振ること侍りき。そのさま、世の常ならず。
山は崩れて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり」という大地震の描写では、《文がいい》
とその把握に感心したりした。
「地の動き、家の破るゝ音、雷にことならず」。なるほど。「家の内にをれば、忽ちにひ
しげなんとす。走り出づれば、地われさく」。なるほど、なるほど。

 他のタイプの天災の記述もあった。
「また養和のころとか、久しくなりて覚えず、二年があひだ、世の中飢渇して、あさま
しきこと侍りき。或は春、夏ひでり、或は秋、大風、洪水など、よからぬことどもうち続
きて、五穀ことごとくならず。むなしく春かへし、夏植うるいとなみありて、秋刈り冬収
むるぞめきはなし」。 飢饉の記述である。
 民はどうしたかというと、「これによりて、国々の民、或は地を棄てて境を出で、或は
家を忘れて山に住む」。「念じわびつつ、さまざまの財物、かたはしより捨つるがごとく
すれども、更に目見立つる人なし」。
 世では「さまざまの御祈はじまりて、なべてならぬ法ども行はるれど、更にそのしるし
なし」。これが初年度だという。
 次の年も続く。「前の年、かくの如く辛うじて暮れぬ。明くる年は立ち直るべきかと思
ふほどに、あまりさへ疫癘うちそひて、まささまにあとかたなし」。
ついに人々は「はてには、笠打ち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに家
ごと乞ひ歩く」。この者達は「かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち
倒れ伏しぬ」。そうして「築地のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知
らず」。世はどうしたかというと「取り捨つるわざも知らねば、くさき香世界にみち満ち
て、変りゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。いはむや、河原などには、馬
・車の行き交ふ道だになし」。
 こうした遺体を数えたお坊さんがいた。それによると、「四、五両月を数へたりければ、
京のうち、一条よりは南、九条より北、京極よりは西、朱雀よりは東の、路のほとりなる
頭、すべて四万二千三百余りなんありける」。夥しい数の遺体が放置されていたのだ。さ
らに、「いはむや、その前後に死ぬるもの多く、また、河原・白河・西の京、もろもろの
辺地などを加へていはば、際限もあるべからず」。さらにさらに、「いかにいはんや、七
道諸国をや」。

 僕はいつの間にか、彼我の社会を比較する視点で文を追っていた。この飢饉、今の時代
だったらどうだろう。この度の大震災を念頭に置くと、もしいったん起これば、人々は直
ちに救援の手を伸べる。人々ばかりでなく、各自治体、村から町、市から県、国まで手を
差し伸べて、手厚いだろう。さらに国内ばかりでなく海外からもこれでもかこれでもかと
援助の手が伸びるだろう。
 『方丈記』の時代は、この手の援助が見られない。人々は被災しても放置されたままだ。
彼これを比べると、社会の「密度」が違うことが感じられる。社会は間違いなく「進化し
ている」のだ。予防措置が講じられることも考え合わせると尚更のことだ。人が社会を作
ったのも、相互扶助のためだと考えられるが、その実が得られたとの思いである。

 ここに至って自分の古典の読み方が今までと違っていることに気付いた。若い時からず
っとこの方古典は「お習い申し上げる」という態度で接していた。自分の人生を照らす展
望、役に立つ教訓などを得ようとしていたのだ。いま、自己観照してみると、『方丈記』
には、社会の彼我比較という姿勢で接しているではないか!

 『方丈記』の読書から二年ほど経ったこのほど、『更級日記』に目を通した時もそうだ。
やはり「お習い申し上げる」的態度ではなく、やはり彼我の比較という視点で読んでいた。
今回、「実存空間」が、その彼我の比較の視野に入っていた。
 『更級日記』は、著者である少女が今の千葉県から京都へ旅するところから始まる生涯
の日記であるが、その記述に「恐ろしい」「心細い」という内容が幾つもあった。
 「足柄山といふは、四五日かねて、おそろしげに暗がりわたれり」。
 「をさかなかりし時、あづまの國にゐて下りてだに、心地もいさゝかあしければ、これ
 をや、この國に見すてて、迷はむとすらむと思ふ。人の國の恐ろしきにつけても」
「母いみじかりし古代の人にて、初瀬には、あなおそろし、奈良坂にて人にとられなば
 いかゞせむ。
 石山、関山越えていとおそろし」
「冬になりて上るに、大津といふ浦に、舟に乗りたるに、その夜、風雨、岩も動くばか
 り降りふゞきて、雷さへなりてとゞろくに、浪のたちくるおとなひ、風のふきまどひた
 るさま、恐ろしげなること、命かぎりつと思ひまどはる」
などなど著者は様々の場面で「恐ろしさ」を感じている。かの頃の、実存空間は「恐ろし
かった」のだ。
 またそれは、「心細く」もあった。
 「片つかたはひろ山なる所の、すなごはるばると白きに、松原茂りて、月いみじうあか
 きに、風のおともいみじう心細し」
 「いとゞ人目も見えず、さびしく心細くうちながめつゝ」
「父はたゞ我をおとなにしすゑて、我は世にも出で交らはず、かげに隠れたらむやうにて
 ゐたるを見るも、頼もしげなく心細くおぼゆるに」
「おはする時こそ人めも見え、さぶらひなどもありけれ、この日ごろは人声もせず、前
 に人影も見えず、いと心細くわびしかりつる」
「又の日も、いみじく雪降り荒れて、宮にかたらひ聞こゆる人の具し給へると、物語し
 て心細さを慰む」
「人々はみなほかに住みあかれて、古里にひとり、いみじう心細く悲しくて、ながめあ
 かしわびて、久しうおとづれぬ人に」
 などなど「心細さ」の記述が散見される。

 かくて今と比べて、『更級日記』を読んで、《かの時代(およそ今から一千年前)、「恐
ろしくも心細い」実存空間だったのだな》と思った次第。


 僕の余生も残り少なくなったせいもあろうか、古典の読み方が「お習い申し上げる」か
ら変化していることを感じるのである。諸君におかれてはいかがだろう。

神野 佐嘉江


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