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テーマ前書き集

13編集部:2014/06/12(木) 16:02:05
第30号「沈黙」
第30号「沈黙」 2012/2

          


「沈黙」前書き   饒舌と緘黙の狭間で           古賀和彦

 「沈黙」と書いてみるとすぐ思い浮かぶのが、遠藤周作の「沈黙」と埴谷雄高の「死霊」
を思い出す。この二文字を思いついたのは、あまりにも推敲されない文字の氾濫に辟易し
たからだ。事象について断定的であったり、まったく普遍性のない言葉での個人的体験談
や日常茶飯の些事が、生理的要求でもあるように放埒に垂れ流されている現状は憂うべき
現象に思えるのである。この生活空間に流されているTVや雑誌やニュースや評論などの
膨大な量の情報が、はたして人に幸せをもたらすと信じていいのだろうか。 人間の基本
的な生命維持に必要な情報はそんなに人を溺れさせるほど多くはないはず。その他のほと
んどは報道の繰り返しや、病気や生命等の危うさを強調する脅迫宣伝や、パチンコや競馬
競艇、宝くじなどの射幸心をくすぐるものや、空白の時間を埋めるためだけのくだらない
お笑い番組ではないか。そして自分に都合のよい情報だけを加工して評論し、それが怪し
くなると挙げ句の果ては自己弁護を繰り返す似非文化人や、空白な時間への恐怖で語り続
けることを止めない人や、まったく物事を深く考えることをしない人などが多くて、軽薄
な己の姿を世間に晒していることさえ考えがおよばないようである。

 私は語りは現実の世界、沈黙は想念の世界と思っている。
書いたり語っているときは現実の世界で活動している。
物事の本質を見極めようとするとき想念の世界に入り込む。すなわちそれは沈黙の世界で
ある。
これは同人αの第2号で書いた有限と無限の私個人の理解の仕方と同じである。有限は現
実の世界、無限は想念の世界。この二つはまったく交わることがないようだが、そうでは
ない。マルクス・エンゲルスが唱えた学説が現実にロシアやその他の社会主義国家を作っ
たように、単なる想念の産物である思想が現実の人の生活に影響を及ぼして来た。その逆
もまたあり得る。現実の世界から得た経験や事実が想念の世界の思想を導くこともあり、
お互いに密に影響しあっているのである。
 また私たち人間は「より正しい答え」を導くために「より正しい考え方」を模索してき
た。その思考法として演繹法と帰納法というものがある。
演繹法は一般的原理から論理的推論により結論として個々の事象を導く方法。
帰納法は個々の事象から、事象間の本質的な結合関係(因果関係)を推論し、結論として一
般的原理を導く方法である。
帰納法は現実のなかから本質を抽出し、演繹法は想念のなかで想定した結論を推論したも
のだといえる。これはまさに現実の世界と想念の世界の代物ではないか。

 遠藤周作の小説は、迷う信者に対して神は救いの手をさしのべなかった、なにも示唆し
なかった。 ただ静かに寄り添っていただけだという。 「弱者の神」「同伴者イエス」と
して黙して語らなかったというような内容だったと記憶している。
また埴谷雄高の「死霊」に出てくる、主人公三輪與志の異母兄弟で、精神病院にいれられ
た黙狂の矢場徹吾は、「無限大」、「存在」、「宇宙」、「虚體」、「自同律の不快」な
どの謎に立ち向かっているのであろうか。黙狂が失語症の故なのかそれとも吃音に悩まさ
れた故なのか判らない。 この喧噪の世の中、吃音に悩まされたことがある私は、そんな
沈黙の世界に魅せられるのである。


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