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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板
794
:
中嶋康博
:2019/09/27(金) 00:04:50
『平成の文学とはなんだったのか』
『平成の文学とはなんだったのか』(重里徹也・助川幸逸郎共著 はるかぜ書房 2019)
平成文学の収穫を小説分野にみている御両人の対談は、私が読んで理解できるかどうか始め不安でしたが、「昭和の負債の清算をせまられた平成」という共通認識をもって、何がどのタイミングでどう変わったのか、まずはこの30年の時代を腑に落ちるかたちでわかりやすく説明した上で、問題ごとに合わせて著者・著書を並べて論じてゆく、謂わば「文化論」の趣きが濃いものであったので惹きこまれました。
沢山出てくる小説家の名前については、ですから未読の人にとっては「ああ、そういう立ち位置にある作家なのか」と、俯瞰図の中に道標を立ててくれる感じ、読み巧者にはタイトルと不即不離の「平成の時代とはなんだったのか」という問いについて一緒に考えるよう、次々に話題としてふってくる感じ、でありましょう。
も少し具体的には、作家を通して顕在化される世間の深層で求められている空気というものが、リーマンショック・東日本大震災(原発事故)を境に、
「孤高の天才」や「アウトロー」の主人公が活躍するバブリーな物語から、
「集合知」でもって「連帯」や「配分」を模索するサステナブルな物語を志向するものへと変わってきているということ。
グローバリズムが将来した新自由主義の擡頭を止められなかった、リベラリズムの教養主義が失墜して、
「地方」住みの主人公から発信される、過疎や高齢化に向き合った、都会との波打ち際での物語が多くなってきたこと。
そんな内容の対談を、側で聞かせてもらってウンウン頷いておりました。
個人的には「古典は必要か」の条りにおいて、古典不要論者に対して「決定的に古い」と、彼らが一番に嫌がるレッテルを貼りつけてやった(104p)のに、痛快を覚えました。成功者は国を捨てて逃げてゆく、そうならぬよう人材をつなぎとめておくのが教育(国際人として自国の古典を語れる誇り)なんだ、という視点は、正くその通りです。(しかし身もフタもない彼らは「逃げてゆかないようにするのは教育ではなくシステムだよ」と、さらなる減らず口を叩きそうな気もします。)
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000967.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000967_2.jpg
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