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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

651やす:2013/01/11(金) 11:18:32
『菱』180号 モダニズム詩人荘原照子 聞書連載20回 松江の人々
 鳥取の手皮小四郎様より『菱』180号を拝受。ここにても御礼を申し上げます。ありがたうございました。

 今回の荘原照子伝記連載は、終戦前後の松江在住時代が対象になってゐます。乏しい資料を補填するため、新たに現地に赴いた手皮様が当時の教会関係者にインタビューをされてゐるのですが、紀行的な運筆は導入部に故・杉山平一先生との手紙でのやりとりを配し、昭和初期の布野謙爾・景山節二ら松江高校文学圏を回想するとともに「椎の木」の分裂騒動が今一度言及されてゐます。さきの「季」97号での木股初美氏の記述はその先生側からの回想であることが判明しましたが、杉山詩の紹介など特段の配慮をたいへん嬉しく、拙サイトの紹介や、私信で御紹介与りました詩人菊池美和子の御遺族情報も忝く存じました。布野謙爾のプチブル資質をしっかり指摘されてをられるところには、手皮様らしさを感じます。

 さて詩人の在松時代の関係者から聞き取った内容と、詩人自身の聞書きテープとを照合する過程で、聞書きに現れなかったネガ証言として、故意に記憶から抹消されたと思しき鈴木といふ謎の女性のことが炙り出されて参ります。疎開といふべき田舎暮らしのなか、ハイブロウな芸術論談義を唯一共有できたといふこの同居人とは時に激しく議論を闘はせてゐたとのこと。すでに詩壇でも名を馳せてゐた彼女にとって一家言ある無名の後輩との共同生活の記憶は、総括すれば余り快いものではなかったのかもしれません。そしてこの地で洗礼し、正式なキリスト者として終末医療現場に身を置き、患者の心の支へになる一方で、自身の宿痾も悪化してたうとう長期入院することになったらしい。しかしその費用はどう工面してゐたのでせう?同居してゐた母は?

 死の恐怖・日々の生計と直面するのっぴきならぬ生活を送ってゐた彼女は回復の後、終焉の地となった鳥取へ移住し、手皮様と出遇ふこととなります。存在は知られてゐたものの永らく確認できなかった当時の写真が発見されるなど、判明した事実と疑問と、鳥取時代に入る直前の時代が一旦整理された格好の今回。羸弱な体でしたたかに詩作する面影は、聞書きから引かれた当時の歌「コツコツと小鳥の如く叩く音 いばりふと止めわれ応えたり」などといふ一首がよく伝へてゐるもののやうにも感じました。


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