したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

526やす:2011/01/10(月) 23:45:45
収穫報告ほか
 さて週末土曜日は神田神保町を一年ぶりに散策。以下はその収穫報告まで。
まづは大沼枕山門下、信州佐久郡の禅僧魯宗(字:岱嶽/号:不及)の漢詩集『不及堂百律』(文久3年序、慶応2年跋私家版)。慶応二年当時まだ四十代後半といふことは、つまり枕山師匠とは同年輩らしく、江戸では駒込の諏訪山吉祥寺の旃檀林学寮にゐたといふ全く無名の人ですが、掘り出し物でありました。

 山を出ることを勧む人に答ふ

風月、番々(順次に)として性情に適ひ、眠りに飽きて几に凭れば、小窓明らかなり。
山僧、影に対して談話少なく、杜宇(ホトトギス)、空に向ひて叫声多し。
葷酒、常に辞すは法を畏れるに因り、文詩、偶ま賦すも名は求めず。
鶺鴒、棲み止まるは一枝にて足り、膝を容るる草堂、錦城に勝れり。

 昨年お世話頂いた『春と修羅』の御礼を述べるべく挨拶に立ち寄った田村書店では、再び収穫がありました。安西冬衛の詩集『渇いた神』。漉き上げたままの「耳付き紙」を表紙に、余白を極限まで活かした意匠は「これぞ椎の木社」と掛声を掛けたくなる造本ですが、同装丁の詩集が4冊あり全て昭和8年中の刊行に係ります。内容もエキゾチックで奇怪なロマン(物語)の創造に努めた詩人の、当時の到達点を示した名詩集なのですが、漢字離れの激しい今日、ネット上では一昔前の相場が未だに幅を利かせてゐて、限定300部の稀覯本ながら9冊も晒されてゐる残念な状態が続いてゐます。(本屋には厚手薄手の二種があって、並べて写真を撮らせて頂くことを忘れたのが残念でした。)
 おなじく格安で購入した『新領土詩集』もモダニズム詩集ですが、こちらは戦前の代表詩誌の名をそれぞれ冠して編まれた山雅房版のジャンル別アンソロジーの一冊。『四季詩集』『コギト詩集』『歴程詩集』『培養土(麺麭詩集)』とともに昭和16年に刊行されてゐます。今回「耳付き詩集」と共にわが書棚で「揃ひ踏み」を果たしましたが、ネット上ではカバー付き刊本であることが却って祟ってをり、やっぱり稀覯本らしくもなく複数冊が稀覯本価格でヒットします。

 かうした稀覯詩集をめぐる状況・・・ことの序でですから、年末に催された大学図書館研修会で広報担当者が宣伝してゐたことを繰り返しますが、今年は国立国会図書館「近代デジタルライブラリー(ネット上の公開資料)」の進捗状況に目が離せません。「現在は主に大正期と昭和前期刊行図書の拡充を行っております。」とのことですが、デジタル化のネックとなってゐるのは主に「序文跋文の執筆者に関する著作権」といふことです。これについてどうチェックが進んでゆくのか、そんなもの削ってでも所謂「幻の稀覯本」と呼ばれてきた本は先行ネット公開して欲しいところですが、「提供された情報により収録可能」ともなるやうですから、或は私達が著作権に関する情報を積極的に寄せ、本来著者の意思(遺志)を非営利に表明してゐる詩集分野でのデジタル化とデジタル公開をどんどん求めていったらいいのかもしれません。さすればテキスト封印を盾とした一部の古書価格は瓦解しませう。原質としての詩集の価値がネット公開によって(増すことはあれ)減ずることはなく、あらためて内容と装釘に即した価格が付け直されて、書物愛好者の間に行はれることになる筈です。また漢詩集の場合はすでに「江戸期以前の和漢書約7万冊」が平成23年3月までにデジタル化が完了してしまふ予定らしく、こちらはいつネット公開が開始されるのか、(さきの近代ものについても、デジタル化=即ネット公開といふことではないらしいのですが)待ち遠しいところです。拙サイト上の公開コンテンツも、その有用性や進め方について今後再吟味が迫られることになるかもしれません。

 さて帰宅したら机上で待ってゐたのは、手皮小四郎様から送られた『菱』172号。追って御紹介したいと思ひます。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000681.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000681_2.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000681_3.jpg


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板