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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板
518
:
やす
:2010/12/12(日) 06:27:53
『左川ちか全詩集』新版
さて昨年『山中富美子詩集抄』を世に問うて詩壇の話題をさらった森開社から、今年『左川ちか全詩集』の新版が、実に27年ぶりに刊行されました。内容の充実を図る一方で、愛蔵に相応しい旧版に比して軽装とすることで価格を抑へ、また別種の意が注がれてゐるやうです。個人的には贅沢を極めた旧版が今回の改訂を以て無価値にならぬやうな、編集上の配慮を同時に感じることができた点が嬉しかったのですが、久しき絶版に対する愛好家の渇望を癒すべく、限定500冊は不取敢一般書店に並べられることはなく直接購読制で売り捌かれるといふことです。その一方で、図書館員の私としては今度こそ多くの基幹公共図書館には所蔵して頂きたいとも思ってをります。言はずもがなのことですが、この詩人こそ、本を案外買はない人種であるところの書き手としての詩人、特に現代の若い表現者に対して、今なほ古びぬ、スタイリッシュな訴求力をもって迎へられるものと信じるからであります。
もとより彼女に限らず、モダニズム詩に限って「女流」などといふジャンルは不要でありませう。むしろ戦前の日本に於いては、少々乱暴な物言ひが許されるなら、「モダニズム」といふ概念自体が「ロマン派」と対峙したところの女性的概念のやうにも私は思ってゐます。その最良の感性といふのは、理論など持たぬ優れた若い女性たちの一握りによって、いつも軽々と表現されてきたのだと、そのやうに考へてゐるわけです。これはモダニズムを抒情の方便としか考へられぬ私ならではの偏見で、同様に外国では真逆のこと――「モダニズム」を男性的概念、「ロマン派」を女性的概念と思ひなして面白がってゐるのですが、果たしてそんな自分が彼女の詩をどこまで理解してゐるのか、といふより感じることができてゐるのか、といふ段になると、それは旧版全詩集に収められた「椎の木」追悼録で田中克己先生が書いてる以上に、性差にとらはれた、甚だ心許ない解釈に落ちることを白状せぬわけにはいかないのかもしれません。
新版刊行に寄せた一言まで。詳しい書誌と購入方法はこちらの「螺旋の器」 ブログにて。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000672.jpg
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