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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

479やす:2010/04/10(土) 21:02:27
荘原照子聞書 第10回目 金沢時代
 鳥取の手皮小四郎様より『菱』169号を御寄贈いただきました。

 詩人荘原照子の聞書、第10回目となる今回は、彼女ら一家が岡山で食ひ詰めて金沢育児院に移住した1ヵ年半の出来ごとについてです。ともすれば主観に流れ、思ひ込みに固執する聞書が、手皮さんのフィールドワークと稀少な地元文献の博捜によって補強・訂正され、伝記的事実として明らかにされてゆく様は、毎度のことながら説得力に富んで聞書の域を超えてをります。
 この昭和6、7年といふのは詩人にとって、中央詩壇にデビューする直前の最も暗鬱な時代、といふ位置づけが「結果的に」なされるやうですが、後年のモダニズム詩人が生活苦のあげく、伏字の施されたプロレタリア詩さへ書いてゐたといふ事実はまことに衝撃的で、当時はモダニズム系の詩誌でも、例へば「リアン」のやうにマルクス主義を標榜するやうになるグループもあるにはあったのですが、彼女がキリスト者であったこと、羸弱であったこと、さうして末尾の年譜で手皮さんがおさへてをられるやうに、この年の「詩と詩論」に左川ちかや山中富美子が華麗なモダニズムを挈げてデビューしてゐる事実を思ふとき、ルサンチマンの極にあった詩人の精神生活が、革命思想に向かふことなく、むしろ一種の頽廃を宿したモダニズムの美学を許容してゆくことになる、この時代は正にそんなどん底の分水嶺、蛹の時代であったのかもしれない、と知られるのです。

 これは何といふ哀しい馬だ
 骨と皮ばかりの
 何といふかなしいゆうれいり馬らだ!
  (中略)
 これらよはいものたちの吐息をはつきりきいた
 否!否! じつにそれことは
 サクシュされ利×され 遂にはあへぎつつゆきだほれる
 わたしたち階級の相(すがた)ではなかったか!

 その日
 第××××隊がガイセンの日!
 わたしは病む胸を凍らせる
 北国の氷雨にびしよぬれ乍ら
 とある町角に佇ちつくしてゐた!
 ふかい ふかい 涙と共に!

   「我蒼き馬を視たり」部分(『詩人時代』2巻12号1932.12)


 「利×」が「利用」とわかっても、「第××××隊」について「育児園近くの出羽町練兵場で上海事変から帰還した歩兵第七連隊の兵士を迎えた時のものと思う」とさらっと書くには、調査の労と教養の下地の程が思はれるところです。物語は次回、いよいよ一家で上京、さらに夫・子供たちとも別れて独り横浜に移った彼女が中央詩壇にデビュー、といふことになる由。一体どういふ事情なのか、さうして詩がどのやうに変態を遂げて羽ばたいてゆくのか、手皮様からの報告を見守りたいと思ひます。

 さて新年度を迎へて慌ただしいなか、「季」の先輩舟山逸子様より「季」92号を、富田晴美様からは図書館用に『躑躅の丘の少女』をもう一冊御寄贈にあづかりました。

 御挨拶も不十分で申し訳なく存じますが、ここにても再び皆さまに対しあつく御礼を申し上げます。ありがたうございました。


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