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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

473やす:2010/03/14(日) 00:48:12
『春と修羅』の製本について
 この『春と修羅』ですが、初版本を手にしてみて初めて気付いたことがあります。研究者や古書店の間では知れ渡ってゐることなのでせうが、まず16ページではなく8ページ分を一枚の紙に刷ってゐるらしいといふこと、それに合せて製本が普通の本のやうな「糸かがり」ではなく、「打ち抜き」と呼ばれる原始的な方法に依ってゐるといふことです。
打ち抜き製本とは、一冊分の丁合をとった束にブスブス穴をあけて紐で綴ぢたもので、図書館で雑誌を合冊製本するときなんかに使ひます。小倉豊文氏は「『春と修羅』初版について」のなかで、地元花巻の印刷屋には手刷の小さな機械しかなかったことに触れてをり、もちろんそれが原因でせう。
ではなぜこの田舎の印刷屋を使ったかといふことになるのですが、同じ町内のよしみで、とか、風変りな段組や使用字の指定には一々指示を出す必要があったから、とか考へられはしますが、費用節減のためといふのが一番の理由でせう。丁合作業はたいへんですが手伝へばいいのだし、小さな印刷機で刷れ、綴じる手間もこの方法が一番安く済む…なにしろ私自身が田中克己先生の日記を刊行する際に採用した方法ですから(笑)。
 小倉豊文氏の文章で「殆ど毎日校正やその他の手伝にこの印刷屋に通い」とあるのは、だから「殆ど毎日、印刷現場に立ち会ひ、丁合をとる手伝ひにもこの印刷屋に通」った、といふことではないでせうか。「往復の途次には 校正刷を持って関登久也の店に立寄り」とありますが、もしかしたら校正刷りではなく、近世活字本のやうに順次刷りあがっていった現物を持って行ったのかもしれません。だって毎日「校正」に通ったにしては、あまりにもこの「心象スツケチ」、誤植が多いですから(笑)。でもって誤植があまりにもひどいページだけは切り取り、そこだけ一枚あとから差し込んで繕ってあったりする。或は同じページを2度印刷しちゃったんでせうか。ここ(202-203p)には「製本後に」切り取られた紙が残ってゐるのですが、落丁ではないのです。
 目立つことなので、すでに誰かが書いてゐることだとは思ふのですが、詩人の作品については語る言葉をもちませんので、どうでもよいことを一応紹介しておきます。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000626.jpg

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