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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

438やす:2009/09/23(水) 15:39:28
彼岸の中日
 どこにも遊びに行けなかった連休の最終日は先考の展墓。祝日法でも秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」といふ趣旨なのであるらしい。戦前は「秋季皇霊祭」といふ名でしたが、これは明治になって歴代天皇の忌日をまとめて奉祀するために作った新しい祝日だったやうです。ぢゃあ江戸時代はどう天皇をお祀りしてゐたのでせう。
 神仏混交の時代、天皇家も仏式で葬儀供養が行はれてゐた訳ですが、写真は、先週『五経』の揃ひを買った際に「おまけ」で付けてくれた折本です。中には崩御した天皇が日にち順に列挙してあるだけ。発行元は八幡様の総本社である宇佐神宮のやうです。
 これを見ますと・・・つまり三十日以外の毎日が誰かの命日なんですね。開巻劈頭、天照皇大神から天忍穂耳尊〜日向三代の計五柱の御名をつらね、神武天皇が朔日に薨じたといふところから始まってゐます(旧蔵者は「暦ニハ見ヘズ」と頭書)。おそらく神事と関係するのでせう、晦には該当者がをられぬことになってゐるのも意味深です。
 天皇家の菩提寺とは別に、江戸時代も神社ではこんな記録をもとに何らかの「日々のおつとめ」を行ってゐたのでありませうか。さうして当時の庶民は、これ買って一体どうしてたんでせうね。
 とまれ、珍しい「おまけ」付きの『五経』11冊の揃ひはなんと\1000でした。こちらの方は、読めもしない私が買って一体どうしたものかと(苦笑)……最近の収集物から、でした。

『天皇御崩日記』安政6年3月15日 豊前國宇佐宮 岩坂大神健平 謹撰

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