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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

416やす:2009/02/07(土) 19:51:56
詩集『揚子江』
山口融さまよりは、先日(1月18日)紹介しました父君正二氏の戦塵詩集『揚子江』(昭和51年私家版)の御寄贈に与りました。本来戦争中に出る筈だった詩集ですが、戦後手許に戻ってきた原稿を改作せず、30年後に再び刊行することにしたといふ代物。内容は掲示板で予想した通り、日中戦争で実際に戦った当事者の、のっぴきならぬ現実が、思想ではなく詩想を通じて吐露されてゐました。巻末には「文字、仮名づかい、何れも原文のまま」とし、読みづらいのは「それはとりもなおさず戰爭を知らないと云ふことに庶(ちか)いのではなかろうか」と記されてゐます。たしかに仮名遣ひの他にも、当時の中国語が説明無しでたくさん詠みこんでありますが、もとより生き残った知友の机辺におくるため、自ら孔版を刻し、たった200部刷って製本した私家版の詩集です。味方を疑はず、敵を蔑まなかった一日本兵の心情が、生のままに感ぜられ、当時抱いた詩情と真(まこと)を、そこにそのやうにしか在り得なかった青春を、三十年後の著者が併せて懐かしんだ。そのやうにみるべき作品集でありませう。序詩を紹介させて頂きます。

  (序詩)軍艦旗
              山口正二

おれはもうおれのおれではない
理窟も議論も無く、さうなんだ
おれが獨りのおれの時は
社會とか、秩序とか、
生きる爲の方針とかについて、そして又時々は見榮と謂った
こと等や、極くつまらない損とか得とかの區別までも、
ちゃんと考へてゆかねばならなかった。
そんなに多く、持ち切れない條件を背負ひまはっても、
おれは矢張り阿呆の様にしか生きてゐなかった。
おれは
今、もう棒ッ切れの様に單純だ
唯、鬪へばいいのだ。
大きなカのほんの一つの細胞となって
敵に打つかればいいのだ。
そして、勝てばいいのだ。
戦ひは勝てばいい様に、
おれは、誰の爲にとも、何の爲にとも考へる必要はなくて、
唯もう撃ち出された彈丸の様に、眞ッ直ぐに翔ペばいいのだ。
こんな簡単なことが、
おれを数倍も偉く感じさせる。
ともかく
おれはもう充分満足して、おれの動くのを凝視めてゐる。
おれの腦髄にも、網膜にも、
ああ、體中に、
はたはたとはためく軍艦旗
おれは
いっぽんの軍艦旗になって進む。
                    『揚子江』より

詩集の現物を手にすれば、飛騨高山で同じく謄写版印刷を生業とした和仁市太郎の詩集と同じ「手作り感」を実感できます。昨今の、小綺麗で均一装幀の自費出版詩歌集ブームの中にあって、慥かにこの「紙碑」は内容と同等の異彩をを放ってをります。いづれホームページで全文が公開されるのを俟ちたいと存じます。
ここにても厚く御礼を申上げます。ありがとうございました。

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