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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板
406
:
やす
:2009/01/17(土) 18:14:14
初荷のキコー本
旧臘は、上京した折に見つけた村瀬太乙の初刊行書『菅茶山詩鈔』(嘉永6年序)が「買ひ納め」でしたが、本年の記念すべき「初荷」もまた、長戸得齋の紀行文集『北道游簿』(天保10年序)と、津田天游『天游詩鈔別集』(昭和2年)と、御当地美濃の漢詩文集となりました(ニコニコ)。『北道游簿』は、かつて明治古典会七夕古書入札会で美本を手に取るも、やりすごした紀行本の稀覯本。冒頭にわが町長良村の風景も述べられてゐて、佐藤一斎は跋文で、歴史がてんこ盛りのところが凡百の紀行と違ってゐて宜しいなんて云ってますが、ここはやはり当時の郷土の風景をもっと報告して欲しかったところ。『天游詩鈔別集』は、『美濃の漢詩人とその作品』(山田勝弘著)のなかで、後半の一章を割いて詳しく紹介されてゐる詩集。序文を書いてゐる矢土錦山の扁額を入手してゐることもあって、気になってゐた詩集です。幸運にも二冊とも入手が叶ひ欣喜雀躍。昨日の五反田展『堀辰雄詩集』(デッサン欠\40,000)は残念ながら外れたのですが、これ以上望んだらバチが当ります(笑)。
『北道游簿』(冒頭) 美濃 長戸譲士譲著
文政己丑[12年]季夏、余旧里に帰る。先塋を掃展し、勢・尾間の諸友を訪ふ。還って岐阜に至り、姉夫安藤正修の百曲園に寓すること弥月[満ひと月]なり。路を北陸に取って以て江戸に赴かんと欲す。北勢の原迪齋の、其の子玉蟾を托して遊学せしむに会ひ、是に於て鞋韈千里も蕭然ならざるを得たり。乃ち其の行程を記し、以て他日の臥遊に供す。
七月二十六日。午後啓行[出発]。藍川[長良川]を渡り、長良村を過ぎる。百百峯[どどがみね]を乾[北西]の位に望む。織田黄門秀信の岐阜に在るや、其れ良(まこと)に百々越前守安輝[綱家]なる者、其の地に居れり。山の名を得たる所以なり。土佛[つちぼとけ]の峡を踰(こ)えて異石有り。晶瑩として鑒(かがみ)なるべし。呼びて「鏡巌」と曰く。所謂「石鏡」も葢しまた此の類なり。飛騨瀬川[一支流]を渡りて白金村[関市]に抵る。路岐れて二つと為る。右に折れて二里、関村に出るべし。昔、名冶[刀鍛冶の直江]志津・兼元有り、此に住めり。今に至って其の鍛法を伝へ、良工多く萃(あつま)る。左に転ずれば、下有知[しもうち]松森の二村を歴て上有知[こうづち]に抵る。地、頗る殷盛たり。市端に欝秀たる者、鉈尾山なり。一名を藤城山、佐藤六佐衛門秀方の城趾に係れり。秀方、総見公[織田信長]に仕へ、実に吾が師[佐藤]一齋先生の先[先祖]なり。夜、村瀬士錦[藤城]を訪ふ。置酒して其の弟秋水、及び族太一[太乙]、門人田邉淇夫[恕亭]数輩をして伴接せしむ。酣暢縦談して更深に至って始めて散ず。士錦嘗て頼子成[山陽]に業を受け、其の得る所を以て教授す。就学する者、稍衆(ややおお)し。秋水は画に工みなり。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000547.jpg
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