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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

396やす:2008/12/17(水) 23:38:43
梁川星巌の手紙
『梁川星巖翁 附紅蘭女史』読書ノート (閑人専用)

 梁川星巌の伝記と全集を机上にでーんとひろげ、ひきつづき『星巌集』の版本を拾ひ読みしてゐます。いな、詩を読むといふより、星巌の詩を通じて中国の故事を勉強してゐるといった方が正しいです。不審に思ったことを調べるのは、いまや漢和辞典よりさきにgoogleに頼る有様。様々な賢者隠者仙人詩人の名と字と号が、次々に現れては覚えられず忘れられてゆくのですが(笑)、肩の力を抜ける場面もあって、食べ物やかみさんが出てくると、俄然生彩を帯びてくるんですね。版木で摺られた漢字の字面から直接ウィットやユーモアを感ずるのは、時を超えて鮮烈かつ何とも云へぬ温かい読書体験には違ひありません。

 食香魚
芙蓉紅浅雨初凉 [魚發]々銀刀落夜梁 一段人生快心事 香魚時節在家郷

 香魚を食ふ
芙蓉、紅浅くして雨初めて凉し。溌々たる銀刀、夜梁に落つ。一段人生快心の事。香魚の時節家郷に在り。


 旅夕小酌示内
燈火多情照客床 残瓢有酒且須嘗 又労袖裏繊繊玉 一劈青柑[口巽]手香

 旅夕小酌、内に示す
燈火多情、客床を照す。残瓢、酒有り、しばらく須らく嘗むべし。また袖裏の繊繊玉を労すれば、一劈の青柑、手に噴いて香ばし。 (繊繊玉・・・勿論おべんちゃらです。)

 さて美濃大垣の田舎には金森匏庵といふ後輩がゐて、旅先から星巌にいいやうに使はれてゐるのですが、何とかを送ってくれだの、誰々の書を斡旋してやらうだの、さういふ物に即した細々した消息を記した手紙が、全部遺ってゐるんですね。地元産の奇石を二人で欲しがった結果、値段がつり上がってしまったことを愚痴ってみたり、古書の購入を依頼して「しかし五両弐三歩ならば、尤も妙に御座侯、・・・(されど) 実は六両にても高き者には無之侯」なんて、金払ひの未練がましいところは、全く私と変りません(笑)。
 さらに「頼氏は口腹家ゆゑに一度話し申し侯ことは一向に忘れ申さず候につき、困り入り申し侯。」って云ってますけど、山陽のやうな駄々っ子でないだけで、私は星巌先生の方が食ひしん坊だと思ってます(笑)。如亭先輩には敵はないかな。
 そんな当時の、180年前の今月今夜の手紙も引いてみました。

 梁川星巌書翰(金森匏庵宛 文政11年12月12日)
峭寒御勝常奉賀侯。小生無事に勤業仕侯、御放念可被下候。扨て石之義、(郷里の)舎弟より、追々かけ合申侯処、先方にて申候は、大垣魚屋嘉兵衛(金森匏庵)より至て懇望にテ、金三両より下にては、売り不申侯旨にて、初よりは、金壱両斗り価をあげ申侯故、舎弟も大に困り、小生方へ右之趣き申越侯。無拠右之価にて買取申侯。小生も買かけ申侯物故に、三分や壱両之事は思はれず、右之段御推察季希上侯。来春は、先便に申上侯通り、伊賀に遊歴、帰途は必御地に向、曾根へかへり申侯。僅の石にて、交際に隙を生じ侯てはあし(悪)く、石は来春迄、小生あづかり申置、何か様(いかさま)共可仕侯間、左右に御承知可被下侯。
○明史(『欽定明史(1739)』4帙40巻?)之義、急に御謀り之程奉希上侯、今年中に、小生方に参り申候様奉願上侯。
○珊瑚之義、急に御はからい奉願上侯、何卒急便に御返書奉願上侯。
○餘清斎法帖(王献之の摸刻)、御望も無御座侯ば、見せ本は御返し可被下侯。
○此間名硯出で申侯、価は金拾五両と申し候得共、此節之事、十両位には可仕侯。厚さ貳寸五分斗りにて、紫端溪、うらに眼三つ御座候。何分御返書急々奉願上侯。
西征詩不殘出来申候。委曲は後便に付し申候。草々不喧
 十二月十二日
                          緯上
煙漁老兄


 梁川星巌書翰(金森匏庵宛 文政11年12月17日)
十家詩話(『甌北詩話』)、尾州に無御座侯はば、此方より差上可申侯間、御申越可被下侯。本月十二日発御手帖接手、益御勝常之由奉賀侯。明史の義、御懸合被下侯処、六両位よりは引不申との事、何卒六両にても不苦侯間、急に御買取の程奉希上侯。しかし五両弐三歩ならば、尤妙に御座侯、明史は小生読かけに御座侯に付、何卒して求め置度、何分今年中に落手仕侯様急に奉頼上侯。実は六両にても高き者には無之侯、此節価少々あがり申候。珊瑚、餘清斎法帖慥に落手仕候。繻子之義は先御預り置可被下侯。其内売候はば御売り可被下侯。萬一一向に望む人も無御座候はば、御戻し可被下侯。〇細香よりの繻子之切、並手帖御伝達、慥に落手仕侯。○今春御托し横巻下の巻も、年内に落成可仕侯、後便には必ず差出し可一申侯
○中島(棕隠)先生(美濃遊興)の義、委細承知仕侯。実に遊歴中之拙計(不詳)可発一笑。帰途彦根へ立寄申候様子、一昨日帰京、小生方へ今朝参り申、暫く話し帰り申侯。
○頼(山陽)氏へ鴨を御送りの由、頼氏の横巻も、急に謀(計ら)ひ可申侯。頼氏に鴨御贈之節、別に一つ御求め可被下侯。是は小生より価を出し可申侯。小生も頼氏に鴨を約束いたし置候処、時々催促にあひ困入申侯。其かはりに、横巻を謀り可申候。頼氏は口腹家故に、一度話し申侯事は、一向に忘れ不申候に付、困入申侯。
○石之義、舎弟より度々かけ合申侯様子なれ共、彼理九郎(谷利九郎)、なかなかむつかしき男にて、兎角かたつき不申困入申侯。
○全唐詩之義、今一往高田梅二郎へ御かけ合可被下侯。何れ一帙は上木いたし度者なれ共、先づ半帙にても口あけをいたし度、何分急に御かけ合可被下侯。全唐詩の十両と申す本も、此方に引とどめ、吉治方にあづけ置申候。年内無余日寒気之節御自重奉頼侯。何分明史之義は、急に御かけ合、御越し奉頼侯、其かはり何にても又々御世話可申上侯。猶重便に期候。草々不一
 十二月十七日
                         梁緯拝上
煙漁老兄 文案下

 今月号の「日本古書通信」でも誠心堂書店の御店主が解説してをられましたが(連載「江戸の古本屋」)、「見せ本」といふのは、見計らひの為の見本のことで、仕官せず生計を立てることができるやうになったといっても、詩人は自らの潤筆料だけに頼る訳にもゆかず、講詩・校讐に加へ、書画骨董の斡旋まで何でもしてゐたんですね。


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