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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

339やす:2008/04/11(金) 07:26:34
中島棕隠の「穢名」
『菅茶山』読書ノート (閑人専用)

特にコメントも必要ないやうな頼山陽お得意の悪口雑言。( [??]やす補注)

「京儒、名を挙げ候様、仰せられ下さり候へども、所謂「中風暇乞ひ嫁女」の外は、させる大将もこれ無きと見へ候。近来、梅辻春樵(中風先生の門人)と云ふ詩家、流行り申し候。その友に、かの中島文吉(同門)と申す、是は御存じの先年、穢名あり候者、近来、江戸より帰り、『鴨東四時詞』と申す小冊を出し、竹枝六十五首、猥褻瑣細を極め申し候。元来、竹枝と云ふもの、如何の物と云ふ事を知らぬ様に相ひ見へ候。それはともあれ、あの通の名を被りて、また帰郷、誰も取り合はぬ筈のところ、ヤハリ用ゐ申し候者もこれ有り候、世は広きものに候。その内、京人はただその才か否かを論じ、賢、不肖を論ぜず、その貧富を問ひて、その貧廉を問はず、廉恥と云二字などは夢にも知らぬばかりり多く御座候。春樵は、妻を娶り、その帯び来たる所の金を収め、而して後これを出し候人に候。海保儀兵衛(旧名彦六)[海保青陵 1755-1817]は、江戸吉原にて、儒者彦と云ひし太鼓持なりし。彼の「嫁女先生」に続き候位に御座候ところ、これまた中風仕り候。その外、医者より素読師匠に変じ、只今だいぶん大医などの息子を弟子に致し居り候は、朝倉玄蕃と申すものこれ有り、号は荊山に候[1755-1818]。故岩垣[龍谿 1841-1808]の門人に、遵古堂[塾名]と云ふもの御座候。同門に猪飼敬所と申すもの御座候。これは自身腕は立ち申さず候へども、人の文などを指摘させ候へば、尤もなる事を申し候者に候。皆川[淇園1735-1807]門の小儒、大分これ有り、その巨擘は北小路大和之介[梅荘1765-1844]と申すものに候。先づこれらにてこれ有るべく候。外は斗量帚掃[升で量り、箒で掃き捨てるほど多い]、相応に茶粥は啜り居り申し候と見へ候。襄[のぼる:山陽の名]のごとき新来、控磬其間、御存じの京人之気にて、一年にても古きものを用ゐ申し候ゆゑ、孤立無援に候。登々[庵]などは、親祖父を信服させ候に妙を得申し候ゆゑ、大分よろしきと見へ候。そしてその渡世の致し方は、襄に比して更に倹薄、筆硯書画などの好事は、毛頭これ無く候。楽なる人に候。」
 「中風暇乞[致仕]嫁女」というのは村瀬拷亭である。梅辻春樵、中島棕隠とは、茶山もやがて數年後に相い識ることになるのである。武元登登庵が親祖父を信服させる腕前を持っている一方、生活ぶりが簡素で、書畫骨董の癖もなく“氣樂に暮しているというのは、彼の案外な一面を語っているものと言えよう。(下巻309-310p)

「いつぞや京儒列挙、尊問に応じ候。此節、一珍儒これ有り候。西依(成齋[1702-1797]の子墨山[1739-1798])社中に、井川何某と申もの、同社の衣什を盗窃、講席にて見台に向ひ居り候ところを、快手[捕手役人]踏み込み、高手小手に戒め、座に有り合はせた諸生両輩も再び捕へ、罪に極め候。おのれ等は盗[人]の講釈を何の為に聞きに行くぞ、べらぼうめ、と叱られ候のみにて、諸生は逐ひ返へされ候。去々年は、合田何某(栄藏)と申す儒者の心中を致し、死に候者これ有り(北野の妓と相対死す)。今年は、此の盗儒これ有り、人間[ジンカン]には好對これ有るものに候。文吉の盗は大賊ゆゑ、今におけるも縄を漏れ居り申し候。□□□□名教を汚[血+蔑][おべつ:血を流して汚す]候はなし、先生長老の耳に入れるべくもあらぬ事に候へども、あまり珍事ゆゑ申し上げ候。」
 山陽はこの書簡においても、「文吉の盗は大賊故、於今漏縄居申候」と中島棕隠の悪口を言っているが、その棕隠の非行とは、どんなことだったのだろうか。(下巻313-314p)

 「棕隠の非行」については、大賊すぎて捕まらぬ盗みといふのですが、盗作疑惑なら、いづれ冗談に類した山陽の穿った臆測でせうし、前者の穢名と同じことを指すなら、或は巷間「粋は文吉」とサゲの部分で歌はれる元となった逸事、例へば梁川星巌同様、若き日の風聞があったのかもしれません。彼の詩を江戸贔屓の中村真一郎が買はなかったことからも分るやうに、「粋」が文事の艶に関るものでなかったことは明白だからであります。「先年、穢名」とあるやうに、本人の思惑を超えた儒者にあるまじき事件、しかし側から見れば江戸っ子が囃したてたくなるやうな逸事、つまり誰かお偉い様の鼻を明かすやうな「荒事」を起こして、故郷の京都へ逃げ帰って来たのでせうか。

 それにしても「いつぞや京儒列挙、尊問に応じ候。」なんて、報告の内容まで茶山翁に責の一端があるかのごとく最初に断るところ、強の者です。菅茶翁も、言葉には残らなかっただけで若い頃は毒舌家だったといふから、火にくべるべき往復書翰の山陽の分だけが残ったのかもしれません。それなら律義なのはむしろ山陽の方なのですが(笑)。


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