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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

29:2005/04/25(月) 03:04:56
ご返信ありがとうございました。
藤澤清造氏がお亡くなりになったのは1932年、大木氏が20歳くらいの頃であり、砂小屋書房に勤務し始めたのは26歳くらいだから、砂小屋書房とは無関係のように思われます。20歳前後の大木氏は勤務先が休みのときには関谷忠雄とか杉江長英とか木山捷平だとかいう先輩の文学者のお宅をなかば強引に訪れていたようです。(大木氏といえば控えめなことで有名らしいのですが、私はそんな大木氏も人間くさくて大好きです。)藤澤清造氏を訪れたのも不思議なことではありません。(大木氏は当時小説家希望でもあったのですから。)藤澤氏は赤貧あらうがごとき貧乏をおくびにも出さず大木氏を近所の食堂に誘い、何でも好きなものを食べるようにと言った。ところが、大木氏は後日藤澤氏が行き倒れになったことを知る。大木氏の胸中やいかに!煮魚の味が涙とともに甘くしょっぱくよみがえってきたのではないでしょうか。「夾竹桃」という作品は大木氏が書かれた作品のなかでも極めて完成度の高い作品であると思われますが、どうしてもこれだけは言いたいというやむにやまれぬ真情がそれを可能にしたのではないでしょうか。ところで、やすさんのこのホームページ、四季の詩人についての情報が満載。私の知らないことだらけで、とても勉強になります。四季の抒情こそ日本抒情詩の正統的伝統です。戦争責任という大義名分のもとにそれを抹殺し自分たちの党派の伸長をはかった党派抗争的グループ。(詩は政治なんですか?)またそのあとに登場した言語遊戯的グループ。(さすがですね、言葉の使い方のうまさ、かないませんよ。サーカスの曲芸を見る思いです。でも、それがどうしたんですか?詩って言葉のサーカスなんですかねえ?)ストリップ的女性詩のグループ(女性がセックスのことを書けば、たいていの男はそれだけで喜ぶんですよ)みんなみんな仇花なのではないかと思われます。文学史に残っていくのは、四季の伝統を踏まえた櫂グループの詩人たちおよびごく少数の詩人たちのみ。(たぶん)その意味でも、やすさんのこのホームページは貴重です。エールを贈らずにはいられません。がんばってください!

http://www1.ttcn.ne.jp/~nango


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