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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板
265
:
:2007/06/10(日) 17:45:41
たびたびですみません
やすさま
たびたび、やすさまのDiary欄を拝借して(というよりは占拠しているようで)、相すみません。四季そしてコギトの詩人山岸外史に免じてお許しくださいますよう、お願いいたします。
アクレーノスケさま
ご丁寧なご挨拶をありがとうございました。悪麗之介氏のブログはときどき拝見しておりますので、『煉獄の表情』の紹介文や、山岸藪鶯についての記述は承知しておりました。いやー、これは強敵が現れたなと思っていました、というほどの競争心はありませんが、資料が蒐集しにくくなるなとは思っていました。しかし、山岸外史を評価する人が一人でも多く現れるのは心強いですし、私の名前と『評伝・山岸外史』の名を挙げてくださっていますので、うれしくありがたいことと感謝しております。ちなみに、山岸藪鶯の『空中軍艦』など、見たこともなく、あなたのブログの写真で初めて目にしました。
サーニン氏のお名前も、他のブログで承知しておりましたが、お二人が同一人物だとは気付いていませんでした。
さて、『評伝・山岸外史』は、山岸外史のご長女晶さんのご主人佐野竜馬さん(中央公論社の取締役)のお骨折り・ご援助で一冊にまとめられたものでした。自分で申し上げるのは気が引けるのですが、同人誌「青い花」に連載中から割合内外での評判がよく、一冊にまとめなければいけないかなと考え、同人の先輩須田兼吉氏(筆名:須山哲生、当時は、すばる書房の編集長)の紹介で別の出版社から出そうということで、序文も青山光二先生の了解をいただいていました。青山先生は、直接山岸さんとの縁はありませんが、私が直接師事し尊敬する作家でしたので、おそらくわが生涯で唯一の本の巻頭を飾っていただこうと考えていたのです。
そこへ、佐野さんから「友人が新しく出版社を始めるので、自分も援助するからそこから出さないか」というお話があり、須田さんにも断わったうえで、万有企画から刊行することになったものです。なにせ佐野さんはプロ中のプロの編集者なので、佐野さんの装丁・造本によりあのような立派な本が出来上がったものです。
表紙には、川添一郎さんが所有していた彫刻家本郷新描くところの山岸外史の肖像画を拝借し、ウラ表紙のカットには佐野さん所有の阿部合成の絵を使ったもので、本郷、阿部のお二人とも山岸外史に縁の深い芸術家なので、よくぞ実現したものだと、この上ない幸せを感じました。ただし、川添さんからは「池内くん、この絵は喜んでお貸しするが、山岸先生はこの絵を嫌っていたよ。本郷さんに描いてもらったけど気に入らないと言って、ぼくが先生からもらったものなんだ。最初本郷さんの落款は押してなかったんだけど、山岸先生からもらったその足で本郷さんの所へ駆けつけ、落款を押していただいたんだよ」との注釈がありました。
なお、この絵の山岸外史の鼻の先が尖っていますが、最初本郷新の描いたものは鼻先がもっと丸かったのを、山岸さんが気に入らず、元の線を消して修整した結果このようになったそうです。天下の彫刻家本郷新の描いた絵に、簡単に手を加えてしまうところに山岸外史の奇人振りがうかがわれます。
この本にはお二人の方の跋文が載っていますが、山下肇先生には私から、林富士馬先生には佐野さんからお願いした後私からも直接お願いして、快諾していただいたものです。お二人とも序文は固辞されて、跋文が二つになったものです。
こうして『評伝・山岸外史』が1000冊出来上がったのですが、最大の誤算は当初の話と違って、万有企画が書籍の卸会社に口座を持てなかったことでした。流通経路に乗せることができなかっかた『評伝・山岸外史』は、大量に売れ残る結果となり、というよりはほとんど売れず、初期費用に加えて更に在庫の大量買取により著者に打撃を与えるという結果に相成ったものです。
このように、主人公の山岸外史と同じく不遇な『評伝・山岸外史』ではありましたが、読んでくださった方からの評価は高く、見知らぬ方からの賛辞の手紙も届くなど、感激を味わったものでした。
そんな中にアクレーノスケさんもいらっしゃったのですね。田村書店さんとは、本の売買を通じてだけではなく、私が中学校と大学の後輩になることなどから好意的に接してくださって、当初何冊かをお店に置いてくださったものです(もちろん先輩用には1冊謹呈しました)。いつでも持ってきていいよ、とおっしゃっていただくのですが、お店の棚に並んでいるのを見るのがつらく、ほんの最初だけでした。同様に扶桑書房さんにも1冊謹呈し、3冊ほど買い上げていただきました。そういうわけで、田村書店さんでお買い求めいただいたのだと思います。
この20年間一貫して置いていただいているのは、けやき書店さんです。けやき書店の隠れたベストセラー(^.^)なのです。というのは冗談で、この20年で30〜40冊くらい売れたのでしょうか。しかし、著者としては大変ありがたく、けやき書店さんには頭があがりません。
『煉獄の表情』について書きたいことなどもありますが、またまた長くなっておりますので(やすさま、ゴメンナサイ)、『正岡子規』について記して終わりにします。
『正岡子規』は結局刊行されなかったようです。山岸外史年譜の昭和22年の項に載せた不明をお詫びして訂正しなければなりません。最近も若い方が山岸外史と太宰治の二人の年譜を作るというユニークな試みをなさっているのを知り、参考文献の一つに拙著を挙げていたので、あわてて訂正のメールを差し上げたことでした。(アクレーノスケさんと同様、10代で太宰治への傾倒から山岸外史に関心を抱き、まだ大学1年生という多才・多感な若い方です。)
脱線しかけましたが、『正岡子規』が刊行されなかったとの結論に至ったのは、次のように関係者の方から証言をいただいたからです。
まず、南風書房に縁の深かった眞鍋呉夫氏に、『正岡子規』刊行の広告の載った雑誌(詩風土)のコピーを同封した手紙を差し上げて尋ねたところ、「自分の記憶では刊行されなかったように思うが、確かなところは南風書房で編集実務を担当しており、のちに北川晃二氏(亡)と結婚した北川冨美子さんに照会したらはっきりすると思う」と北川冨美子様を紹介していただきました。そこで九州の筑紫野市にお住まいの北川様にも同様に手紙で問い合わせたところ、「御申越の山岸外史先生“正岡子規”は広告にあるように予定はあったと思いますが、刊行は出来ませんでしたので、真鍋さんの仰る通りだと存じます」とのお葉書を頂戴しました。そこで、長年にわたる疑問も解け、刊行されなかったことがはっきりした次第です。
以上、特に発表の場を持たない身でありますので、やすさまのお人好しをいいことに、またもやダラダラと書きつづってしまいました。やすさま、申し訳ありません。そして、ありがとうございました。
それでは、アクレーノスケさま、ご懇篤なご挨拶に再度お礼申し上げ、今後ともいろいろご教示たまわりますようお願い申し上げまして失礼いたします。
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