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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

262やす:2007/06/07(木) 21:58:45
「ランプの灯りに集う」Vol.3
 さて本日、丸山薫研究会(豊橋市文化市民部文化課)から会誌「ランプの灯りに集う」Vol.3の寄贈が図書館にありました。これも職場に国文学科があったころ、詩の講義をされてゐた冨長覚梁氏が代表をつとめていらっしゃる会なのですが、今回の会誌には拙掲示板でも告知しました愛知大学で行はれた昨年の会合「丸山薫の魅力」における八木憲爾氏の講演録が収められてゐて貴重です。生憎仕事で参加できませんでしたが、今後丸山薫を語る際には避けて通れないやうな創見をお話しされたやうです。冒頭に、
「それは兎も角、従来「丸山薫を語る」となると、まずその出自、それに絡んだ解説や鑑賞がなされてきました。が、それらの多くは、私にはピンとこなかった。」
と世の丸山論のピントはずれ(それは「四季派=消極的戦犯詩人」とみなした戦後現代詩人達の、彼を批判の俎上から救はうとした成心も含んでゐるやうに思ひますが)を牽制してをられますが、それに続くお話では
「萩原朔太郎、丸山薫、稲垣足穂、江戸川乱歩、この四人は藝術の上で、同じ血筋」
「果たして、丸山薫は、その影響を――モダニズムの洗礼を、強く受けただろうか。私には思い至らないのです。そのように見えるものは、薫が天性持っていたものではなかったか。これは大切なことで、いままでいわれてないことですが、薫には、生来、シュールレアリストの気質が多分にあった、といってもいいかと思います。」
と、出版のお世話にはじまり、詩人と家族の身近にあって一番に気を許された人ならではの卓見が並ぶのです。ことにも詩篇「汽車にのって」の解釈は見事としか言ひやうがなく、
「汽車に乗って、あいるらんどのような処へ行けますか。船に乗って、ではないのです。悲しい少年の、愉しさをあこがれる、あどけない空想だからです。それゆえに、ついで「窓に映った時分の顔を道づれにして」とくるのです。」
といふところは読みつつ胸が熱くなってしまひました。
 続きはまたブックレビューに(笑 こればっかり)。

 写真は復刻版『帆・ランプ・鷗』(1965 冬至書房版)の扉に入った識語。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000379.jpg


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