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筑波大学生活支援学研究室
89
:
徳田克己
:2017/03/19(日) 18:38:41
山陽新聞にコメントが載りました
光となってー点字ブロックの半世紀(2)全国、世界へ 広がる評価 70カ国導入
「開発した当初は高度経済成長の真っただ中。福祉の思想はまだほとんど浸透していなくてね」
点字ブロックの普及に取り組む一般財団法人・安全交通試験研究センター(岡山市北区駅元町)の応接室。理事長の三宅三郎さん(75)がしみじみと振り返る。ブロックを考案した兄と共に当初から開発に携わった人物だ。
部屋には、誕生から半世紀のブロックの変遷を示すパネルが展示されている。表面の突起は丸や小判形、線状とさまざまな形が生まれ、ブロック1枚当たりの数も丸形の場合、49、36、25個と移ろったことが分かる。飾り気のないその1枚のパネルには「社会の理解が広がるまでに相当な時間がかかった」(三宅さん)というブロックの歴史が凝縮されている。
1967年、岡山市に設置された第1号の点字ブロックはセメント色だった。三宅さん兄弟は弱視者が認識しやすい黄色に改良し、全国の福祉事務所や関係省庁に資料を送ったり、岡山をはじめ京都、大阪、東京などに実物を贈呈したりして普及に努めた。だが、注文どころか問い合わせも来ない。資金が底をつきかけ、やめようかとも考えたという。
転機が訪れたのは70年。駅のホームに導入するよう大阪の盲学校の教職員が陳情し、当時の国鉄で初めて我孫子町駅(大阪市)に登場した。72年には東京都が視覚障害者向け施設が多い新宿区の高田馬場駅前に敷設。現場を直後に歩いたという東京都盲人福祉協会長の笹川吉彦さん(83)は「道に視覚障害者の歩行を助ける目印がなかった当時、安全効果を強く感じた。都内の他の所にも広めてほしいとの要望が次々に湧き起こった」と述懐する。
大都市での動きは地方へも連鎖。74年に当時の建設省や厚生省関係者、大学教授らに三宅さん兄弟が加わった研究会が発足し、点字ブロックの形状や敷設方法の標準化へ動きだした。
2001年には点字ブロックの日本工業規格が定められた。横断歩道前や進行方向が変わる地点などで注意を促す「警告ブロック」と、進行方向を示す「誘導ブロック」の2種類(ともに30センチ四方以上)を規定。突起は前者が丸形で25個以上、後者が線状で4本以上とされた。
現在の国内での普及ぶりを示す統計はないが、国土交通省によると、道路や駅などへの敷設の必要性が06年の省令で定められ、都市部を中心に身近な存在になっている。
さらに「1990年代には既に輸出され、アジアや欧州、南米など少なくとも70カ国に広がっている」と、岡山市出身で世界の点字ブロックを調査している筑波大医学医療系の徳田克己教授(バリアフリー論)。視覚障害者の安全を足裏の感覚に訴えて守るアイデアが世界で評価されている―とみる一方で、付け加える。「今後は正しく利用する意識を社会全体でいかに共有できるかが、ますます問われてくる」
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