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匿名「PostingJoy」板

80トンチンカン信徒:2017/06/06(火) 03:33:56
〜七朝の国師夢窓国師について〜

〜一部省略してある〜
※<<上田:  高時のお母さんは覚海(かくかい)という方ですが、覚海(かくかい)夫人が、「鎌倉へ来て欲しい。教えを請いたい」というのを避けて土佐へ行かれるわけですが、厳命やむなく鎌倉へ行かれる。こういうのを見ても、夢窓が政権へ自ら近付くのではなく、むしろ、政治家が夢窓の智慧を利用するということではないでしょうか。
平田:  倒壊寸前の鎌倉幕府、それに対して、京都から後醍醐天皇が、「南禅寺で住職をして欲しい」言ってきます。南禅寺と言えば、無関普門(むかんふもん)が開山、亀山法王が大壇越です。朝廷が壇越になったという初めてのお寺です。その天皇の招聘を、夢窓は、「まだ聖胎長養中だ」と言って断ります。しかし、後醍醐天皇の「住職と言っても煩雑なことはしてもらわなくてよい。南禅寺に住んで仏法の話を私にして頂ければよい」という勅命があったので、南禅寺に行きます。しかし、一年でまた鎌倉へ帰ってしまいます。というのは、京都の街はすでに天皇を中心に倒幕の運動が起こっており、ごたごたするわけです。その間、夢窓は再び甲州へ入って、甲斐の恵林寺(えりんじ)を開きます。>>

夢窓国師は、臨済宗の禅師らしく、道元禅師と違い、街中に教え活かす、そうした、活力がありますね。
しかし、決して、学ぶ会の様な、勧誘伝導で無い、そこには、愛行伝導の精神である事が、お分かりいただけますか。

決して、山林だけが、宗教を求める場所では無いのです。

こうした、街中にも、救い求める場所がある。

足利尊氏公は、戦前朝敵の様に言われましたが、
果たして、これだ、敵の菩提を弔い、相手の方家族の幸せを念じていた方が、悪人にされるは、イエス様も、ビックリです。
それは、個人の思考に、お任せします。


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