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:
「考える」管理人◆日野★
:2017/02/07(火) 13:03:41
>>54
関東の古代史についても、私は色々と気になっています。
最大の争点は、いわゆる「ワカタケル大王」の稲荷山古墳出土鉄剣です。
原文は「今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時」となっていますが、これは定説では
「今(現在)、ワカタケル大王(獲加多支鹵大王)の寺(役所)が磯城宮にある時」
という風に解釈されていました。そして、定説ではこの「ワカタケル大王」が「倭王武=雄略天皇」である、としてきたわけです。
ところが、実際には倭王武の役所は「寺」ではなく、「府」です。「寺」は「府」のワンランク下に位置付けられる役所を指す用語です。
まさか、鉄剣製作者が勝手に「大王」ともあろう方を「降格」させたわけではあるまい。そもそも、ワカタケル大王と倭王武では年代上の矛盾もあります。
私は「倭王武は近畿の雄略天皇ではなく、九州王朝の王者だった」という説なので、この点は矛盾はありません。この場合、次に争点となるのは「雄略天皇」の宮殿に「シキの宮(斯鬼宮)」なるものは存在しない、ということです。
これについては、関東の大前神社が古代「シキの宮」と呼ばれていた、という説があり、この大王は九州の倭王武でも近畿の雄略天皇でもなく、関東王朝の王者が「大王」を称していたのではないか、という説もあります。
もう一つ、昨年になって、稲荷山古墳の石室が従来発見されている二つとは別にもう一つあったのではないか、そして、その石室こそが稲荷山古墳の「主葬者」だったのではないか、という研究結果が発表されました。
そうだとすると、古墳の主葬者について鉄剣で全く触れないのもおかしいですから、この「主葬者」こそが「ワカタケル大王」だったのかもしれない、という想像もできます。
ただ、私からすると、いずれの説にも決定的な証拠はありません。近畿天皇家と関東地方の関係を明らかにしないと、この地域の古代史は明らかにできないと思います。
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