したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

進歩と改革ネタ

24・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2007/12/28(金) 09:47:24
123 :名無しさん@八周年:2007/12/24(月) 16:15:51 ID:rVZ0JiUP0
http://homepage2.nifty.com/socialist-consort/Opinions/Katou/Katou040820.htm
↑このリンク先にあるのは社民党の賀東十貫氏による論文である。以下の抜粋にある通り、土井たか子
や福嶋瑞穂の様な社民党を代表してマスコミに登場する人の暴論に比して、まともな議論になっている
と思う。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「護憲平和」という空想的理念はあっても、「国民生活をいかに保障していくか」という現実的視点が
根本的に欠如している。実はこの点は、あらゆる憲法論争に当てはまる。
憲法とは、司馬遼太郎氏が言うところの「国のかたち」を定めるものであろう。国のあり方や方針、
目指すべき国家・社会像を提示するものであると同時に、国家の役割と位置づけを規定するものである。
「日本をどういう国にしたいのか」「世界の中での日本をいかに規定するか」などといった議論の中で
のみ、憲法の議論は成立しうるだろう。(中略)
有権者の投票行動の基準は、平和や憲法ではなく、漠然とした社会不安と将来への不安である。
その不安に対して有効な対策や理念を提示しない限り、支持層の拡大はなく、何度選挙しても同じ結果
にしかならないだろう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この人と当方では目指す方向が違うが、この人が抜粋部分で述べていることの立脚点には「日本と日本
国民」が据えられており、議論の土俵としてはまっとうである。
土井や福嶋の言説は一皮剥けば、日本と日本国民の幸福という視点が欠落しており、議論の前提自体が
思想優先、他国優先であり「話にならない」のである。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板