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アウトローに関する雑多なログ
57
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2005/02/18(金) 02:20:12
962 :名無しさん@3周年:05/02/17 08:56:31 ID:qgiAKLov
中曽根・土光路線ってのは戦後政治の総決算なんてものじゃなくて、
単に「田中角栄路線の総決算」を狙ったんじゃないのかなぁ。
「列島改造論」や日米繊維交渉、大店法等々に見られるように田中の手法は、
高度経済成長の果実を地方や中小企業に再配分する社会民主的
(いや社会主義的といって良いかも)なものだった。
それで地方が活性化したかどうかの問題は別にして、中曽根・土光派はそれを
都市部の住民が蔑ろにされているという方向で脱田中方式を図ったのではないかな。
大前研一なる人物が衆参同時選を行なえば都市部の投票率が上がって
自民圧勝というシュミレーションを出したり、都市部の農家を攻撃して農家から
「虚業家」呼ばわりされた事をネタにして都市部の農家vs「生活者」という稚拙な
対立構図を作り上げようとしていたのもこの頃だった。
一票の格差がしきりとマスコミを賑わしていたのもこの頃だし、市民団体も
利用されて訴訟に打って出たりもしたが結局一票の格差問題は抜本的に解決された
わけでもないのに有耶無耶なまま今日に至る。
話を田中に戻すけれど彼は官僚からの受けが良かった。
それ故に種々の社会民主的施策を実施出来た訳だ。
しかし中曽根・土光路線は審議会を多数新設して既存の審議会を飛び越える
一種の官僚封じ込めを行ないつつ官僚を取り込んでいく手法を多用した。
それが良いか悪いかと問われれば当時としてはそれも有効だったかなと思う。
しかし二十年経った今、流れが変わっているにもかかわらずまだその路線を堅持
するのは愚かだと思う。
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