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アウトローに関する雑多なログ
48
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2005/02/01(火) 02:48:03
282 :四元義隆を調べろ :03/06/21 03:21 ID:RhiDtJQ/
【四元義隆】は、1928年(昭和3年)4月、四元は東京帝国大学法学部に入学する。ここで、法学博士・
【上杉慎吉】が主宰し日本主義を標榜する、国家主義団体・七生社の同人となった。上杉慎吉の教え子
には他に【岸信介】がいる。
上杉の死後は、四元は【安岡正篤】が経営する金鶏学院に入り、その指導を受けた。
その後四元は日蓮宗の僧籍を持つ【井上日召】に出会う。四元は井上日召の思想信念に心服し、
その同志となる。こうして起きたのが、「血盟団事件」である。
「血盟団事件」とは、1932年(昭和7年)2月9日、小沼正によって前大蔵大臣・井上準之助が暗殺され、
3月5日には、菱沼五郎によって三井合名会社理事長・団琢磨が暗殺された事件だ。
3月11日、首謀者であった井上日召が自首し、血盟団は全員が検挙される。「血盟団事件」で、
四元義隆は学生組の中心的人物、参謀格として行動している。「一人一殺主義」を標榜する血盟団に
おいて、四元の担当するのは、大久保利通の息子であり内大臣であった牧野伸顕だったが、警戒が
厳重であったため、暗殺することはできなかった。四元は同志の連絡統制に当たり、菱沼五郎に
拳銃を渡すなど、各自が担当する暗殺計画を進行させた。
1934年(昭和9年)11月22日、四元は懲役15年の判決を受けて下獄される。1940年(昭和15年)、
他の血盟団員と同じく恩赦で出獄する。
四元は井上日召らと共に、近衛陣営の中枢部に参画する。1944年(昭和19年)には,翼賛壮年団理事
となり、1945年(昭和20年)からは近衛文麿の秘書や緒方竹虎のブレーンとして活躍する。
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