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アウトローに関する雑多なログ
36
:
カマヤン
:2005/01/23(日) 23:41
以下、過去に某MLへポストしたもの
多くの方が御存知でしょうが、文教族議員は、しばしば新興宗教団体を票田として持ってます。
たとえば神道議員連盟なんかに参加している議員が多いようです。神社本庁と関係があります。
戦中に戦争協力した新興宗教と文教族は、戦後も「左翼潰し」で協力関係にあります。
参照;K・V・ウォルフレン『日本/権力構造の謎』(早川文庫、1994年)上巻167P。
H・ビックス『昭和天皇』(講談社、2002年)上巻253p。下巻267−268P。277P。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/mori/youshi/16-2.html
http://www.monjiro.org/hokoku/iinkai/homu/000525.html
また文教族の選挙区は、かつて戦犯が政治家していた選挙区としばしば重なります。
たとえば森喜朗の選挙区は、ノモンハンの幕僚・辻政信が戦後政治家をしていたときの選挙区と
重なります。
戦後の文教族は、しばしば特高警察・憲兵上がりが就任してます。1953年に文部大臣に
なったのは、元内務官僚で、日本軍占領下でのシンガポール市長・大達茂雄です。
戦後文部官僚には、内務省官僚の流れがあります。
「指導要領」は、1957年から文部大臣をした、旧内務官僚・灘尾弘吉が、「占領政策の行きすぎた
民主化を是正するために」教科書統制を目的として、はじめました。教師の「勤務評定」も、
校長が日教組教師を恫喝する道具として、灘尾が導入しました。導入の際には流血もありました。
1959年ワシントンでの世界教職員団体総連合総会で、「日本の、教員の勤務評定」は教育にとっても
教員にとっても有害だと決議され、日本政府に抗議電報が送られました。
参照;K・V・ウォルフレン前掲書 上巻182−185p。
戦中戦前、機密費をもらった暴力団が右翼としてスト破りなどの暴力行動していた流れが戦後も
続いて、文教族から依頼されたのであろう暴力団が教職員組合をしばしば襲撃してます。
1968年9月には270の右翼団体が2620人の団員を動員して日教組大会を妨害しました。
児玉誉士夫の右翼組織『全愛会議』は松葉会などヤクザの支援を受け60年代に15万人以上の
会員数となり、労働争議で680人を入院させてます。
参照;K・V・ウォルフレン前掲書 上巻187p。カプラン『ヤクザ』(第三書館、1991年)120p。
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