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アウトローに関する雑多なログ
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・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/11/20(土) 04:50
864 名前: 朝まで名無しさん [sage] 投稿日: 03/01/09 02:13 ID:hUMeizBW
これらの政治家は、引退した外交官、ビジネスマン、CIAの前身のOSS(戦略事務局)の退役者からなるグループから支援を受けた。このグループのリーダー、ユジェーヌ・ドーマン氏は、国務省を1945年に辞めて、日本で逆行政策を促進した人物である。朝鮮戦争中、ドーマン・グループは、CIAの資金を使って大胆な秘密工作を行った。当時日本の保守勢力は資金を必要としており、米軍はミサイル増強に使う希金属のタングステンが必要だった。
「誰かが一石二鳥の名案を思いついた」と、この取引のアレンジを助けたジョン・ハーレー氏は語ったが、これにCIAが絡んでいたことは知らなかったという。
ドーマン・グループは、旧日本軍の退蔵したタングステンを米国へ密輸し、国務省に1,000万ドルで売却した。密輸者の中には、児玉氏や、第二次世界大戦中にカリフォルニアの捕虜収容所でOSSがリクルートしたスガワラ・ケイ氏が含まれる。スガワラ氏に関する調査ファイルには、この工作について詳しく書き記されている。CIAはタングステンの密輸工作に280万ドルを提供したが、この工作の結果ドーマン・グループには200万ドルの利益が残った。ハーレー氏は、「ドーマン・グループは、1953年の占領下での最初の選挙で、保守勢力の選挙運動にこの収益を注ぎ込んだ。目的を達成するには、正しい人へ正しい金を渡すべきだという教訓はOSS時代に
学んでいた」と語った。
1953年に米国の占領は終了し、逆行もうまく進行すると、CIAは対立する保守派閥と協力し始めた。そして1955年には、その派閥が合併し、自由民主党が設立されたのである。
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