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アウトローに関する雑多なログ

269・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2006/07/21(金) 09:08:45
探偵ファイルhttp://www.tanteifile.com/index.html
スパイ日記」07/19記事より


格闘技の裏に、金と政治あり〜少林寺拳法の場合〜

「少林寺拳法」という格闘技がある。よく勘違いされることなのだが、中国拳法の「少林拳」とは全く別のものであり、少林寺は日本発祥であることはあまり知られていない。今回書くのは、設立の裏側となったお話・・・。
原初は清王朝滅亡時まで遡る。

清王朝滅亡後に財宝は関東軍の手で建国した満州国に運び込まれた。財宝の管理は満州帝国皇帝・愛新覚羅溥儀ではなく、関東軍が管理し、終戦直後の混乱を機に日本に運び込まれる。
運び込んだのは、中国と当時貿易商をしていた笹川良一。関東軍のスパイ・川島芳子※の仲介による宗道臣(中野道臣)ら、日本軍の情報工作員他多数と協力してのこと。

※川島芳子・1948年3月25日に北平第一監獄で銃殺刑。(李香蘭「山口淑子」の語でその辺りは語られている)
李香蘭こと「山口淑子」、後に大鷹淑子として日本の参議院議員なったのも、この事件に協力した政治的関係であるとも言われている。

財宝は日本で主に二つの勢力に使われた。

一つ目。「元 衆議院議員」の肩書きと莫大な資産を使い、笹川良一は財団法人日本船舶振興会創設。これの資金を元に日本の右翼団体・国粋大衆党を結成。
総裁に就任し、個人としては非常な財力を持つに至る。最盛期には銀行団や理事会などの承認のプロセスを経ずに「1日で100億現金で集められるのは笹川、川崎定徳会、生長の家」という言葉が囁かれたほど。

そして二つ目。宗道臣(中野道臣)は1947年日本の香川県多度津町にて「日本北派少林寺拳法会」を創始。
後に、宗教法人「金剛禅総本山少林寺」認証を受け国に登記するに至る。
何と!手に入れた清王朝財宝で香川県・多度津町を街ごと少林寺拳法の総本山にしたのである!

そして、戦後の笹川良一と宗道臣は抗争の道を辿って行く。創設後は良い関係であったが、宗道臣(宗教法人・金剛禅少林寺拳法)が中国政府(共産勢力)に近づいた為、右翼である笹川良一(日本船舶振興会・国粋大衆党)と対立を始めた。
また当時、少林寺拳法に対抗する為に伝統4派【剛柔流、松濤館流、和道流、糸東流】の空手流派を統合し、【全日本空手道連盟】をを設立!全空連の会長として笹川良一が就任するに至る。

抗争の場面となった

一番の大事件は宗道臣が中国から中国拳法演舞団を日中友好として日本に招聘した時、大阪府立体育館前でその親善大会を妨害しようとした右翼団体と正面衝突した事件であろう。
これは「機動隊」・「少林寺拳法(全国より有段者招聘)」・「右翼団体(全国から招聘)」の三つ巴の凄い事件だったらしく、当時の参加した先生方はあまりこの事件の顛末は話してくれない。

ここまでの話、全て実話である。今でこそ武術はスポーツとしての側面を強くしているが、終戦直後は今よりも遥かに色濃く、金と政治が絡んでいたのだというお話。


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