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アウトローに関する雑多なログ

229・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/11/18(金) 13:41:15
 「ヤラれて引っ込んだらヤルことに効果があると思われてしまう。被害者として引っ込んではいけない責任もある。ですが…、ただぁ…、私は意地っ張りなところがあるんです」
 そして「相手の意向に逆らうというか」とニヤリ。「とはいえ、私怨(しえん)でヤルということではない、とは思っているんです」。
 「今回の本は、浅田氏と山口組幹部とのつながりが尋常ではないですから、書くに値することだと思ったんです。僕が刺された事件の後の九二年、僕の署名原稿がもとで、写真誌フライデーの編集者が殴られました。それも同じ幹部に関係していましたしね」
 刺された事件は毎年のように思い出しますか?
 「そんなことはないですけど、当初は、彼らは僕をヤルことで目的を達成したのか、それともヤリ損じなのか、ということは考えました。ヤリ損じならまた来る。それは恐怖だと感じておりましたね」
 早大時代、「早稲田大学新聞会」に入る試験を受けたら成績が良く、政治面キャップに「一面を書け」と誘われたが、文化面を志望した。「あんまり政治人間じゃないんです」と語る。
 六〇年安保と七〇年安保の間。先輩の抜てきに背を向けた“へそ曲がり”。だがこれが、「単なる告発とか断罪とかとはニュアンスの異なる、社会の表と裏とを繋(つな)いで日本全体を凝視しようとする姿勢と勇気と営為」(黒井千次選考委員)という“溝口流”の土台になっているのではないか。
 就職では「週刊誌をやれれば」と、講談社、文藝春秋、筑摩書房などを受けたがダメで、徳間書店に拾われた。日本版「ニューヨーカー」を目指した「月刊タウン」で山口組取材の書き手に同行。上がってきた原稿に納得のいかなかった編集長に「オマエ、代わりに書け」と言われて八日間、“カンヅメ”にされた。これが山口組との出あい。
 「もともと文学青年で、別に山口組でなくて良かったんです。でも、その記事が好評で、フリーになってから単行本(三十万部超のロングセラー『血と抗争 山口組三代目』)になり、その後も注文が来たんですね。組織と人間の絡まり合い。最もドロドロした関係が出ていて、ヤルことが極端。そんなヤクザに面白さを感じていったわけです」
 今回“帝王”浅田氏は取材に応じなかったが、本は読んだらしい。「オレの有名税やな。でもエライ高くついたわ」という感想が溝口さんの耳に入っている。
 奥さん心配しませんか。
 「いや、そんなことはないッスよ。ヤクザは書いた当人には何かしてきても、家族には手を出さない、安心してていいよ、って家族には言ってるんです」
 そう甘くないでしょう。
 「…でしょうね」
 次はパチンコ産業を追うのだという。 (中村 信也)
(2003年10月18日)
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中日新聞東京本社 1995-2003,The Tokyo Shimbun 2-3-13 Kounan,Minato-ku,Tokyo,Japan


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