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アウトローに関する雑多なログ

17・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/11/20(土) 04:26
http://www.asyura.com/sora/bd12/msg/70.html
 日独伊三国同盟締結が正式に公表されたときの朝日新聞の朝刊には特大の次の文字が躍ったそうだ。
 「いまぞ成れり”歴史の誓”/めぐる酒盃、万歳の怒濤」。
 情趣も才能もない文だが、「新聞が日本をダメにした」という本を読むと、毎日、読売、朝日の中では、戦時中
は朝日新聞の記事が最も文章力としては優れている。もっとも、これは詐欺師のその技巧を誉めるようなもの
かもしれない。右翼などに対しても臆することなく、おのが信ずることを文にする知識人の中にも、当時のジャーナリズムには遠慮をして口をつぐむという者が多いようだ(?)。現在の人的な、またその分野での社交的な団体交流からだろうが、やはり当時の状況はジャーナリズムの問題を除外しては語れぬものである。
 また、現在のほとんどのマス・メディアに、如何なる免罪符的な功徳が存在するというのだろうか。別に当時を断罪しようというのではなく、マス・メディアの連中は今も同じようなことをやっているので、そういう認識が必要であるということなのである。
 日独伊三国同盟締結の時の永井荷風の日記。
 「侵略不仁の国と盟約をなす、国家の恥辱之より大なるは無し」。
 閣議で承認された同盟案を近衛文麿に奏上された時の昭和天皇。
 「ドイツやイタリアのごとき国家と、このような緊密な同盟を結ばねばならぬことで、この国の前途はやはり心
配である。私の代はよろしいが、私の子孫の代が思いやられる。ほんとうに大丈夫なのか」。
 ナチスかぶれしていた近衛文麿は「ご心配ありません」と力強く言ったらしい。
 この年の日本は次の言葉が日常の挨拶語のように流行していたらしい。「バスに乗り遅れるな」。この意味は以下のようなものであるらしい。”ナチスばりの「強力な一元政治」を実現すべし。そして、フランス、オランダの敗北にともなうアジアの資源地帯へ進出すべし。いまこそチャンスである。そのためにも日独伊三国の軍事同盟が絶対条件である。[永井荷風の昭和/半藤一利著]”


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