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アウトローに関する雑多なログ

103・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/05/06(金) 04:39:28
http://www.asyura2.com/0403/bd34/msg/606.html
 誰が、何のために?:毒ガス攻撃の別の見方として、宗教テロの不合理で時期尚早の行動として
ではなく、ロシアと日本と台湾の間での、おそらくは核兵器とその技術についての、増大する武器貿易を
制止するための、冷たい、意図的な試みの一部であるという見方がある。オウムは、あまりにも多くの
微妙な技術がアジアのバランスを崩す前に止められる必要があった。合衆国上院調査のロシアでの
報告によれば、この見方のほうがよく理解できる。
 北朝鮮は計画の鍵となる要素だった。1990年はじめに安倍使節がモスクワに到着した数日前、
自民党の実力者金丸信が、自民・社会合同代表団を北朝鮮に導いていた。アエロフロートのチケットでは、
早川紀代秀は17回平壌に行っている。中国を含む日露計画は、一つの支障を除けばうまくいったかも
しれない。北京(中国との国境対立は90年代初めに噴出していた)とロシアの前身に対立していた
北朝鮮の老齢の指導者金日成は、1994年春まで、頻繁に入院していた。
 1994年6月までに、ロシアに病的嫌悪を抱いている息子金正日(父の前妻の一人がモスクワに住んで
いて、その異母兄弟を育てていた)は、すでに北朝鮮軍の軍事司令官であり、いまや、ベッドの上の父と
ともに、行動の自由を得ていた。北朝鮮はその対外関係において急展開しようとしており、平壌は高度な
秘密情報を北京にもたらしていた。
 1994年6月に起こった長野県松本での神経ガス攻撃は、金日成が死の床に横たわっているときであり、
まもなく、上九一色村のオウム施設の近くで奇妙なガス噴霧が続いた。それから1年たって、地下鉄
毒ガス事件が起きた。
 オウム事件全体を再び開くために、疑うべき十分な土台がある。決してオウム裁判に使われなかった
裁判所と化学的証拠は、国際的な調査委員会に示される必要がある。そして、すべての証拠と容疑者は、
信用できる国際的専門家たちの面前で証言するために召喚されるべきである。そのときにのみ、私たちは
オウム事件の底を見ることができる。その手始めに、議会はモスクワへの安倍使節に参加した全員から
証拠を請求すべきだ。
 現代日本は、政治的都合によるつるし上げ裁判の野蛮な歴史を有している――無政府主義者公徳秋水
の不敬罪事件から、松山事件における国労リーダーに至るまで。歴史は繰り返す。


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