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「南京虐殺」を「国会会議録検索システム」で調べてみる

1カマヤン:2004/10/24(日) 19:12

「国会会議録検索システム」で「南京虐殺」「南京大虐殺」で検索かけると、現在100ほど発言が引っかかる。
http://kokkai.ndl.go.jp/
まずその答弁を蓄積してみることからはじめてみる。

…ところで「国会会議録検索システム」、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1089807643/l100
2004年7月に使ったときより使いにくくなって、保存が自動的にできなくなっているようだ。
公的なものをわざわざ使いにくく改造しているあたり、実に「日本的」で「行政的」だ。

2・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:14
66-参-外務委員会-1号 昭和46年07月23日

○西村関一君 私はこの際特に政府に要望いたしたいと思いますことは、あらゆる呼びかけを通じて話し合いの機会をつかんでいく、こちらからどのように働きかけても一向応答がないということを言われますが、日中問題は私どもにとりまして長い歴史があると思うのでございます。古い昔のことはさておきまして、明治百年の歴史、特に日清戦役以後の好ましくなかった日中関係の歴史を振り返ってみまするときに、いかにわが国が中国に対して罪悪を行なってきたか、これは日清戦争以後中国をべっ視し、中国を虐待し、中国をひどい目にあわせてきたか。特に大東亜戦争のときにおいて日本軍が中国大陸の人たちに対して行なったまいりましたところの残虐行為、こういうものは、この際私どもは忘れようとしても忘れることができないと思うのでございます。特にあの【南京虐殺事件】のごとき、昨今日本の報道関係も取り上げて、これを明らかにしてまいっておりますけれども、当時日本国民は、ナチスドイツがユダヤ人に対して行なったアウシュビッツのあの大残虐行為にも匹敵するようなことが伏せられておった。ようやくこのごろこの問題がぼちぼち各新聞雑誌等において報ぜられてきておるのでございますが、南京虐殺事件だけではございません。その他、今回の大東亜戦争におきまして日本軍が大陸中国の人民に対して行なってまいりました非道な行為に対して、日本国政府としては何らこれに対して中国に対して謝罪をする、あるいはその罪を償うというような意思表示をしたことはないと思うのでございます。

3・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:14
昨今、ニクソン氏が北京を訪問するというような時代になってきたことから、政界は言うに及ばず、財界からも北京に大きく目が向けられておるし、姿勢が変化してきておる。台湾に向けられておったところの眼が北京に向けられてきておるということでございますが、そういうことの前に、中国と友好親善をはかっていく、国交正常化をはかっていくということを考えます前に、私どもは、かつての五十年来の歴史の中において日本が大陸中国の人たちに行なったそういう非道な行為に対して、まことに申しわけありませんでしたという謝罪の意思表示することが日中国交正常化の前提とならなければならないのじゃないかというふうに私は思うのでございます。そういうことなくして総理がかりに何らかの機会に北京に行かれましても、どういう顔で行かれるか。私は、そのことを抜きにして日中国交の正常化、日中国交の回復ということはできない。もちろん、そういうことにつきましては中国側としては少しもそういうことは言っておりませんし、そのことに対して日本をとがめだてするというような言動はありません。しかし、それであればあるだけに、日本としてはこのことを忘れてはならないというふうに私は思うのでございます。いろいろな代表団が北京に行く。各政党も行く。また、政府も野田訪中団を派遣しようとなすっていらっしゃる。財界も出かけていく。そういうことでは、私は、日本人としての廉恥心といいますか、そういうものが疑われるのじゃないかというふうに思うのでございます。こういう考え方に立って、政府はまず日中国交の正常化につきまして、私のいま申し上げましたような見地に立って何らかの措置を講じていくということをお考えになっていただけないでしょうか。また、議会は議会としても、私は超党派でむしろそういう形の決議をするというようなことを考えられていいのじゃないかと思いますが、議会のことはともかくといたしまして、政府としてこういう問題に対してどうお考えになりますか、お伺いをしたいと思います。

4・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:16
○国務大臣(木村俊夫君) わが国が中国大陸――これは中国大陸だけでなしに、アジアの諸国に非常に迷惑なことをいたしました。そういう反省の上に立って戦後平和憲法が制定され、守られて、再びそういうあやまちを繰り返すことのないような措置を国民総体がとっておる。そういう基礎の上に立ちまして、日中国交正常化の政府としての考え方も、当然そういう道義的基礎の上に立った交渉でなければならぬと、こう考えます。

○西村関一君 アジアにおいてかつて日本がやった犯罪行為に対して、再びそういうあやまちを繰り返さないという精神からいまの憲法が制定された、こういうことでございますが、この憲法がはたして守られているかどうか。憲法の精神がどれだけ貫かれておるか。憲法を改正しようという動きもあるやに伺っております。そういう動きの中において、いま憲法があるから、の憲法の精神によって平和を促進していくんだと大臣が幾らおっしゃいましても、これはそのままそのことばを受け取ることはできない。中国側としても、日本国憲法があるから、これで日本も心を入れかえておるのだというふうに受け取るまいと思いますが、その点、重ねてお伺いいたしたい。

○国務大臣(木村俊夫君) 平和憲法を守ろうとするのは、これはもう国民に定着した問題であるので、私はその点について懸念はいたしません。しかしながら、これについて、アジア、特に中国において、日本に軍国主義が復活の傾向があるというような認識をしておるようであります。これはいろいろその原因もございましょうが、わが国が戦後非常に経済的に国力が大きくなった。また、経済進出のあり方等について非常にいろいろな批判をこうむっております。そういう面から、アジアあるいは中国にそういう懸念を生ぜしめておる。これが最大の原因だろうと思います。そういうような誤解、あるいは場合によっては曲解もございましょう。そういうものを解消するためにも、一日も早く国交正常化をはかって、そこに両国民同士の理解を生み出していかなければならない、こういうような考え方に立っております。

5・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:16
○西村関一君 おっしゃるとおりだと思うのでございますけれども、私は国交正常化をはかるための日本国の姿勢の問題を申し上げておるのでございます。もう三十数年前の、かつての戦争のときに行なったあの残虐行為に対して何ら責任を感じていない、何らその罪を償おうという精神を持っていないというのでは、私は国交の正常化はできないと思うのでございます。大臣は南京大虐殺事件の内容について御存じだと思いますが、これは実に悪虐無道なことをやったんでございます。私は、この国会の委員会の席上で、いまさらそういう昔の悪夢を取り立てて政府を追及するというような考えはございません。これはお互いの問題、お互いの姿勢の問題として、この際、この問題に対してもっと真剣に責任を感じ、戦争責任を感ずるだけではなくて、こういう戦争には残虐行為がつきものだとは言えますけれども、このような悪質な悪虐無道な事件に対して目をおおうていくことは許されない。中国が黙っているからといって、そのままで過ごすことはできないと私は思うのでございます。そういう意味において、私は、もしかりに総理が北京に行かれるというようなことがあった場合、その姿勢なくしては、私は話し合いはできないと思うんです。何も卑屈になれとは申しません。しかし、やったことの責任は負うと、これはそういう形で真剣に話し合いをするということが必要じゃないかと私は思うのでございます。これは大臣の個人の御見解でもけっこうでございますから、もう一度その点に対するお考えをお伺いしておきたいと思います。

○国務大臣(木村俊夫君) 両国が、特に政府がある交渉を持ちますときには、国益というものを背景にして、これはきびしい現実がございます。しかしながら、その際におきましても、いま西村先生が言及されましたような、いままでの過去のいきさつに基づく道義的な精神というものは貫かれていなければならぬと思います。これは個人的見解でございます。

6・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:17
○西村関一君 私は、国民の間からも、国民の世論の間からも、日中国交回復、日中国交正常化の問題に対して、いま私が申し述べましたような意見が出てきておる。これは新聞その他の投書、国民の各階層の投書の中から見ましても、まず、そういうことからやらなければ、ほんとうの正常化はできないんじゃないかという意見が出てきているのであります。これにわれわれは目をふさぐことはできないし、また、そういう声があがってこなくても、われわれ指導的な立場にある政府当局及び国会議員といたしましては、この点から出直していくということが非常に大事な点ではないかというふうに考えますから、私は、この点につきまして政府当局の猛省を促しておきたいと思うのでございます。そのことなくしては、私は、ことばは悪いですけれども、幾ら北京参りをしましても、私は問題の解決にならない。ほんとうに腹と腹と触れ合う、心と心と触れ合うところの話し合い、真の外交というものは私はできないと思うのでございます。そういう点から、御答弁は要りませんですから、重ねて、私は政府当局にお考えを願いたいということを申し上げまして、一応この問題についての質問は終わります。
 次の問題に入りたいと思いますが、第二の問題は、かねてからこの委員会においてしばしば論議をされてまいりましたベトナム和平の問題でございます。回を重ねてまいりましたベトナムの和平のパリ会談がようやく大詰めを迎えつつあるやにうかがわれるのでございます。これは南ベトナム臨時政府の代表から提案されております最近の提案、七月初めに提案されております七項目の提案、これに対して、まあ、ベトナム共和国側の代表は別といたしまして、アメリカ側もその他の国々もきわめて好ましい反響を示しておると思います。こういう七項目の提案に対しまして、アメリカ側はいまだに回答をいたしておりません。この七項目の提案に対しまして、これをどう煮詰めていくかということが、これが私はパリ会談が成功するかあるいは失敗するかの一つのキーポイントだと思うんでございます。こういう点につきまして、ベトナム和平の行くえにつきまして、外務当局といたしましてはどのようにお考えになっておいでになりますか。

7・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:19
67-衆-予算委員会-4号 昭和46年10月28日

○渡部(一)委員 それでは、総理は私の次の議題にもう入られましたので、私もそっちへ入りたいと思うのです。
 これからどうするかという問題について、それこそ私は総理にこれはお考えをいただきたい。外務大臣もお考えいただきたいと私は思っております。
 私は、この間の【公明党】の中国に対する訪中団の一人として、竹入委員長などの一行の一員といたしまして訪中させていただきました。たくさんの日本の国民の中国問題に対する解決をしてもらいたいという大きな希望を私はひしひしと感じておりましたし、中国へ参りまして、向こう側にもその大きな熱意があることは、私はおぼろげながらわかった一人でございます。そのときに私は向こうで、【公明党】と【中日友好協会】との間にいわゆる【共同コミュニケ】というものをつくり上げたわけでありますが、その交渉にあたって私はひどく痛感したことが一つあります。それは向こう側とこちらの側に一つの暗黙の前提になっているものが、きわめて重大な前提があるということであります。
 それは何かというと、話をする、あの声明の文の上にあらわれていない二大前提があります。その二大前提は何かというと、一中国は二度と日本と戦争をしたくないと思っており、そして日本軍に絶対攻めてきてもらいたくないと、もう腹の底から思っております。そしてもう一つは、日本がこの前の戦争についてやったことでありますが、その戦争についてやったことに対して反省しているのかどうか、それはもう鋭い目で、恐怖に近い目でこれを鋭く観察しているのであります。言うてみるならば、こちら側から見れば、中国民衆に対してあらためて出兵するとかなんとかいう気持ちを私たちは持っていないし、もしそんなことになるならばわれわれとしては命がけでやる気持ちです。しかし、中国のほうから見れば、ともかくあの中国領内に一つの国家をつくってしまった、かいらい政権のすさまじいものをつくってしまって、それが長期間存在したという事実、そして向こうの発表によれば、数もよくわからないのですけれども、一千万人というたいへんな人が殺されて、五千万とか六千万とか、とんでもないけた違いのすごい人数がけがをさせられたという事実がある。南京一つをとってみても、【南京大虐殺】のときに実に三十数万人という人が行くえ不明になっている、今日。【五十万人虐殺されただろうといわれておる】。また最近の【朝日新聞の連載】によれば、あの当時中国に進出していた日本の会社が万人坑というのをこしらえて、中国人を次から次へと虐殺しては、くたびれた者、栄養失調になった者、なぐり殺した者を全部ほうり込んで、それが大きな大きなほら穴になって死骸が積み上げられておる。その遺骨の前に大きな宣伝スローガン、それが掲載されているという記事が載っております。このような記録というものは無数にいま出るようになりました。

8・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:20
それに対して、まず日本国民と日本政府は何を考えているのかということが向こうの最大の眼目であります。ところが戦後二十数年たちまして、そして日本政府としては、少なくとも中国大陸の民衆に対して、わかることばでそれに対して悪かったという意思表示も謝罪の意思も言及していないということが中国の民衆をどれだけおこらせているかわからないのであります。日本軍国主義に対する猛烈な敵がい心と警戒心というものも、日本国民の平均的な方ならばおそらく驚かれるほどのことを向こうが言いますのも、それに対して一言の表明もここで行なわれていないという致命傷によるものだと私は実感したわけであります。これはいかぬと私はそのときほんとうに思いました。そしてこれは、日華平和条約があるから中国大陸のほうもいろいろ済んだんだというような、そういうようなおそるべき言い方で少なくとも済む問題ではない。
 そしてもう一つ考えられなければならぬことは、日本が再び侵略しようなどと思っていない、二度と攻め込んでいきませんという意思、その二つだけは日本政府として明らかにしなければならないと私は思います。これに対しての姿勢を総理が明らかにされませんと、中華人民共和国政府との間に国交を正常化しようとどういう善意を持ってお考えになりましても、それは通じることではない。一千万人の人が血だらけになって死に、そして惨たんたる被害を受けて倒れておるという実感を持った中国民衆に聞こえることばにはならない。私は、このいやな思い出は私たちの世代のあたりで片づけなければどうしようもないと思います。戦争を知っている世代はもう私のところで終わりです。私より年の若い青年たちはそれを知りません。少なくとも総理の世代と私たちの世代の間に解決しなかったら、日本の若い青年は中国の民衆との間に深い憎悪感を抱くばかりでしょうし、また増幅された、それこそ拡大されたいろんな物語は、最後には日中両国民の間にさらに不安の種を巻き起こすと私は思っております。したがって私はここで総理に何を質問し、何を言おうとしているかという心情はおわかりいただけると思いますが、これからの日中間の平和と友好を推進するためには、総理が、破格のことではありますが、この場からその問題に対する日本国民を代表してのことばを吐いていただきたい、私はそう思うのでありますが、いかがでしょうか。(拍手)

9・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:20
○佐藤内閣総理大臣 渡部君がみずから北京を訪問されて、そうして受け取られた実感、それに基づいてのただいまの二つの大前提、これは私が行かなくても私にもわからないではございません。また軍国主義に対する非難、これはどうも日本のやり方が今日まで平和に徹したと、かようには言っても、どうして軍国主義についての非難があるのか、そういうことを私自身もつぶさに考えてみました。おそらく過去の軍閥が残したつめあとがたいへん大きなものであって、これをいやし得ないものである。そういう意味から、日本が経済的に強大になればなるだけにまた軍国主義化するのではないか、おそるべき過去のつめあとを思い起こさずにはおられなかった、かように私も反省もしておるわけでございます。
 ただいま言われるように、両国は隣同士の国だ、これが二度と戦争をしてはならないと思います。これは共存、そういう立場で、イデオロギーは違おうが、国境はあろうが、そういうことはかまいなしに共存する、お互いに繁栄の道をたどるという、そういう決意でわれわれもほんとに決心しなければならないと思います。そして、ただいま言われました過去の軍閥が残したつめあと、これについて反省をする、それが大事なことではないだろうか。私は北京を訪問したわけではございませんけれども、ただいま渡部君が、私は聞いていて声涙ともに下るような感想を述べられましたが、ほんとに私もそういうことが両国の国交正常化には絶対に必要だ、そういう意味で深い理解がなければならない、かように思う次第でございます。
 私は、それにつけましても、わが国が戦後歩んできた今日までの経済繁栄、これが間違った方向へ行かないことをこの機会に皆さん方に申し上げ、同時にまた、それが隣の国、中国にもぜひ理解していただきたいと思うし、それこそはお互いがしあわせへの道だ、かように思っておりますので、これらの点については、まだまだ私どもとして認識の不十分な点があるだろうと思いますが、そういうことについてはみずからも反省もし、同時にまた御叱声も賜わりたい。とにかくお互いが隣同士、これは何をも越えて友好親善でなければならない関係にあるのでございますから、そういう意味でお互いに深い反省の上に立って、そうして平和を築きたい、かように私は思っております。簡単ですが……。

10・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:21
○渡部(一)委員 ただいまの総理のお話を伺いまして、私は、総理が率直に中国民衆の大きな犠牲に対して謝罪する旨の意思表示をなさることが、今後においての交渉の第一前提であると、もう一回繰り返して申し上げたいと存じます。
 この間から福田外務大臣は、自分でも北京に行きたい、こう申しておられました。私は今度は福田外務大臣に、この問題について外務大臣はどうお考えになっておられるか、この場で述べていただきたいと存じます。

13カマヤン[TRACKBACK]:2004/10/24(日) 19:37
>>7-10
「南京虐殺30万人説」が国会質問で登場するのは、この公明党議員の発言>>7-10が最初のようだ。
ここで公明党議員が言及している「朝日新聞の連載」とは、本多勝一の『南京の旅』のことだ。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/535/1038323808/r370

ある日突然松代さんが本多勝一のことを中国のスパイだとクソミソに言い出したことがあったが、
公明党から何か吹き込まれたのだろうか? 松代さんも本多勝一をクソミソに言う前に
公明党を先にクソミソに言いなさいよ。国政に本多勝一のルポを持ち込んだのは公明党だ。

14・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:38
68-衆-予算委員会-12号 昭和47年03月08日

○小林(進)委員 私は文部大臣のその御認識を非常に残念に思わなければいけないのです。いまのように朝日新聞の一月三日の世論調査の中にも、国民はもう四割以上も復活しているあるいは将来復活の危険があるという答えをすなおに出している。あわせてアメリカや東南アジアの国々が日本の軍国主義の復活をもはや認めて、たいへんおそれをなしている。こういう状態を私は率直に申し上げている。一体それでは中国や東南アジアが日本の軍国主義をどこで具体的にチェックしているかという先ほど例をあげましたが、それに加えて、私もまあ中国や東南アジアへ五回旅をしているのでありますが、最近は中国でも、日本の戦跡というものを新しく歴史として保存する行政が行なわれている。いままでなかったのです。それはもう南京へ行きましたら、【南京虐殺】が、この事実を歴史の上に残すような、形の上で残すようになっている。あるいは蘇州へ行っても形の上で残すようになっている。東北地方へ行っても日本人の虐殺のあとというものをだんだん保存するようになってきた。何だと言ったら、顧みて日本には、自分たちが侵略したそういう戦争に対する反省がないじゃないか。そのないという中に日本の教科書が出てきた。私どもの国はこの戦争というものがどんなに残虐であるか、どんなに悲惨なものであるかということを、こういう事実を残して、そして国民、市民、いたいけな子供たちの教科書の中にそれをとどめて、そして再び間違いを起こさないように徹底して教育をしている。東南アジアや中国のそういう義務教育の教科書等通じて……。日本へ来てみると、日本の義務教育の中に、そういう戦争に対する反省が一体どこにありますかということを言われたのであります。

15・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:38
 そこで、私は帰ってまいりまして、時間もありませんから急ぎますけれども、ちゃんとここに、小中学校の義務教育の中に、わが日本の戦争の責任が一体どんなぐあいにとられているかということを資料を集めてみた。ないですね。少しも日本のおそるべき侵略戦争に対する反省はないね。たとえて言えば、学校図書株式会社、小学校の社会の六年生の子供ですが、「八月十五日、天皇は、ラジオを通じて、戦争をやめることを全国民につげました。数しれない多くのとうとい命を失い、はかりしれない損害を世界の人類にあたえた第二次世界大戦は終わりました。」戦争をやめることじゃないです。ポツダム宣言を受諾して無条件に降伏したのだ、悪いことをいたしましたからあやまりますというのが正しい教科書の性質でなくては……。やめることとは何です。これは戦争の反省がない。時間がないが、これはみんな私は見たのです。たとえば日華事変、「日本の陸軍は、その力を満州から、さらに南にのばそうとして、一九三七年、ペキンの近くで、中国軍としょうとつしました。」何ですこれは。満州から力を南に伸ばそうとした。侵略じゃないですか。軍事侵略をやろうとしたのじゃありませんか。北京の近くで、盧溝橋事件ですよ。何もこれは中国軍と衝突したのじゃないのです。日本の軍隊が戦争をしかけたんですよ。
 そういうようなことを日本の教科書の中に――私はまあ与えられた時間が最初からあるが、これは全部小中学校の例を述べて、日本の教科書が、いかにこの日本の侵略戦争というものを国民に、小中学生にごまかして教えているかということを私は申し上げる。これでは中国や、アメリカにおいてもしかりです。東南アジアの国々も一何だ、日本という国はちっとも自分の国に対する戦争の責任を感じていないじゃないかと、疑いを持つのが私はあたりまえだと思う。これが大事なんですよ。これがわが日本に、いわゆる戦争が済んで二十年も二十五年もたった、子供たちの中に戦争を賛美するような思想が最近出てきました。自衛隊はかっこいいね、人殺しは勇ましいねなんという、そういう不自然な子供たちの発言が出てくるようになったのは、もとをただせば、やはりこういう日本の小中学校の教育の中に、私はほんとうに戦争に対する反省がないからだということをつくづく感じた。文部大臣、どうです、あなたそれでもりっぱにできていると思いますか。

16・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:39
○高見国務大臣 よくお調べになっております。私も申し上げたいと思いましたが、教科書の中に戦争の経過と結果とを記述をさしておりますのは、私は、少なくとも戦前の軍国主義というものに対する反省に立って教育をさせるということが一番大きなねらいである。だから平和を愛好し、戦争を防止するということに徹しさせるということでありまして、御指摘のような問題は、個々の具体的な事例を一々教科書の中にあげるということは、教科書のバランスの上から考えましてもとうていできません。
 ただ問題は、私ども日本人が、今日の日本になりましたけれども、その限りにおいて、私どもは諸外国、交戦諸国に与えました数々の損害、これは高等学校の政治、社会の教科書の中に一カ所、日本の軍国主義というものを非常に強く批判している個所がございます。私、読み上げなくても、先生はもうすでに全部お調べになっていると思いますから申し上げませんが、少なくとも私どもはそういう認識に立って教育政策を進めておるというように御理解をいただきたいと存じます。

○小林(進)委員 私は残念ながら、これを一々例証を述べて反駁する時間がないのが残念ですが、たとえて言えば、これは中学校の中教出版株式会社の、これも社会ですけれども、こういうことも書いてある。「軍部は、非常時と称して、軍備を強化し、議会はしだいに力を失った。」これは議会みずからの力でだんだん力を失ったように書いてある。そんなものじゃございません。議会人が殺されたり、軍部に暗殺されたりして、そういうものでやむを得ず言論が圧迫されて、そうして議会政治が閉鎖するに至ったのでありまして、「議会はしだいに力を失った」などというなまっちょろい表現で、正しい事実が語られるような性質のものじゃないのです。
 しかし、残念ですけれども、あなたと論争していられないから、そこで私の言いたいことは、こんな小中学校の編成方針を根本的に改めてもらわなければならぬということなんです。史実に基づいて正しいことをいってもらわなければならないということです。
 それから、第二に申し上げるのは、これは三月三日の読売新聞の記事ですが、「真実曲げた「中国」記述」といって、「宮崎県教組が教科書を修正 戦争責任ズバリ 小・中社会科現場配布へ」といって、「宮崎県教職員組合が、四月の新学期から県内の小、中学校で使用する新しい社会科教科書のうち「中国問題を扱った内容がでたらめすぎる」と自主的な書き直し運動を始めている。」という、こういう記事であります。その中には、「日本の歩みと世界」という教科書の中で十六カ所、それから「現代の社会」という中で十五カ所もこれを訂正している。内容を一々説明すればよろしゅうございましょうが、時間がありませんけれども、これを一体どうお考えになりますか、文部大臣。

17・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:40
○高見国務大臣 これは、お答えいたしますが、実は宮崎県から正式な回答をとりました。そういう事実はないようであります。同時に宮崎県教組にも聞き合わせましたが、宮崎県教組でもそういう事実はないという回答をいただきました。ただ、教組の研究部会で、この問題を将来どう扱うべきかということを論議したことはある。けれども、教科書を改めるなどというようなことは全然ないことであるという、はっきりした回答が参っております。

○小林(進)委員 それでは、この問題の確認は私どももやっていくことにしまして、私はこれから、やはりこの予算委員会でも論争になりました、ほんとうに中華人民共和国と国交を回復したい、あるいは東南アジアの国々と平和のうちに仲よくしていきたいというこの日本の政府の姿勢があるならば、私は、直接ではないけれども、こういう日本の文教政策、小中学校の教科書に対しても、日本の侵略戦争に対する反省が足りないという批判が非常に強く寄せられているということだけをあなたに申し上げておいて、あなたがその観点に立って、いま一度この教科書を洗い直してもらいたい。それで間違いなければいいです。私の目から見れば、たいへん反省が足りない。この反省の足りないというところが、先ほども申し上げました心情的軍国主義の復活だ。戦争はかっこうがいい、いま一度ひとつやってみようかというふうな思想が芽ばえてくるおそれもありますので、この点は十分御注意をいただきたい。時間のないのが残念でありますが、このことだけをひとつ申し上げておきたいと思います。

18・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:50
84-衆-予算委員会第一分科会-4号 昭和53年03月02日

○上田分科員 長官なり局長の発言である程度わかったわけでございますけれども、核兵器は、憲法上あるいは非核三原則並びに核防条約という立場から、いわゆる戦術的核兵器でさえも持てないということは明らかである。にもかかわらず、そういう物議を巻き起こすような軽率な発言は、今後厳に慎んでいただきたい、こういうふうに思うわけであります。何かこう、それは持てるんだというような形で理解された、あるいはある程度そのことを意図したのではないか、こういうような気もいたしておるわけでありますから、その点について特に注意をしておきたい、このように思うわけであります。
 さて、核兵器の使用は国際法上も犯罪であり、処罰されなければならないことであろう、こういうように思うわけであります。特に、ベトナム戦争の末期のハノイ地域での集中爆撃が、集団殺害罪を構成する、こういうふうに批判されたことは周知のことだろうと思うわけであります。憲法第九条の規定はもとより、一九五一年より効力を発生しておりますところのいわゆる集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約から見てもそのことははっきりしておるのではないか、こういうように思うわけであります。
 そこで、長官なり防衛庁の幹部に聞きたいわけでございますが、この条約は、一九四八年の十二月九日に国連総会で承認を受けて、一九五一年の一月十二日から効力が発生いたしておるわけであります。当時国連に未加盟だったわが国は、賛否の態度を表明していないわけであります。言うまでもなくこの条約は、ナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺や、あるいは日本軍国主義のいわゆる【南京大虐殺】に代表される戦争犯罪の防止と処罰を目的とするものであるわけでございまして、イギリスやフランスやドイツ、イタリア等の各国はすでに批准しているわけでありますが、今日なお日本とアメリカまあアメリカはさておいて、わが国がこれに批准していないということは非常に残念なことだ、こういうふうに思うわけであります。そういう点で、先ほどのものについては外務省と十分相談して云々という長官の話があったわけでありますが、この条約について大臣が御存じなのか、あるいはこれを批准されるのかどうかについて見解をただしたい、このように思います。

○伊藤(圭)政府委員 いま先生のお話でございましたが、大変申しわけございませんが、私はその内容を詳しく存じません。したがいまして、外務省に聞いた上で勉強させていただきたいと思います。

19・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:51
○上田分科員 局長が知らぬということでありますから、これは恐らく長官も知らぬということでありましょうけれども、私は、これはもう本当に、日本の国会でこんな議論が出てそういうような答弁というのは嘆かわしいことじゃないか、いかに戦争犯罪というものに対して日本の政府、とりわけ防衛庁が無関心か、こういうように思うわけであります。そういう点で、大臣、いま局長の答弁でございますので、あなたも恐らく知らぬということだろうと思いますけれども、ひとつあなたの、私が申し上げておる問題に対しての決意を、あなたはハト派とおっしゃったわけでありますから、防衛庁だけの問題ではなしに、外務省との関係にもなるわけでございますけれども、認識がないというところに大きな問題があると思いますので、一言お答えいただきたいと思います。

○金丸国務大臣 誉れ高い防衛局長が知らぬというのを私が知るはずはない。しかし私は、大蔵大臣も防衛庁長官も外務大臣も、みんな、一人で答弁ができるという人はそんなにないと思うのです。せめて防衛問題だけは何とかひとつ勉強しなくちゃと思うが、私もなったばかりでありますし、とても外務省までは手が伸びない、こういうことであります。

20・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:51
○上田分科員 それは不まじめな答えだと私は思うのです。ちょっと笑いも出ていたということでございますけれども、やはり真剣に反省してもらわぬと、大臣だといっても局長だといっても知らぬこともあるというような、これはもうわが国が国際人として本当に恥ずかしいことだと私は言わざるを得ないと思うのです。これは厚顔無恥もはなはだしい、このように思うわけであります。そういう点で、この問題については、あなた自身もそういう認識自身、知識自身もないようでございますから、十分に勉強していただくということで、私は別途この問題について追及させていただきたい、このように思います。
 いずれにいたしましても、これはもう長官もきょうここにおられる方々も考えることだと思いますし、私は常々言うておるわけでございますけれども、わが日本だけじゃなしに、人間というものはいろいろの悩みがあるが、その中でも、やはり自分はいま若いから働ける、何とか生活できる、しかしながら老後は一体どうなるのかということで、やはり老後は安心して生活ができるような、そういう福祉国家をつくらなければならない。あるいは、元気なときはいい、しかし一たん病気になったら一体どうしてくれるのか。やはり病気になったときには国がちゃんと近代医学の粋を集めたもので完全な治療が施される、お金がないために当然治る病気も治らないということがあってはならないことだろう、私はこういうふうに思うわけであります。また同時に、子供の教育というものも非常に大事であります。家が貧しいために高校や大学に行けないということがあってはならぬわけでございまして、私もやはりそういう状況の中で生活をしてきた者の一人として、痛切に感じるところであります。

21・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:51
 そういう点で、自衛隊そのものの存立についてあなた方自身の解釈はあろうとしても、わが社会党を初め私自身、やはり日本の自衛隊そのものが、憲法第九条の戦争放棄、軍備を持たないという立場から、全く憲法違反であると、こういうふうに考えるわけでございます。特に、自衛隊の総兵力は現在二十三万五千人にも達しており、五十三年度の予算は一兆九千億が計上されている、こういうことでありまして、こういう予算があればどれだけ教育や医療やあるいは福祉に回せるだろうかというように考えるのは私一人ではなかろう、こういうように思うわけであります。特に、現在一人のお年寄りを扶養するのに生産年齢人口で八・六人が扶養している。昭和八十年にはお年寄りが一千二百六十三万人に達し、四人に一人がこれを扶養しなければならなくなるというようにも言われておるわけであります。あるいは心身障害者、特に電動車いすを給付してもらいたいという、施設のそういう障害者の要求に対してむげに断っているという例があるわけでありますが、こういう予算というのは三十億もあれば十分に足りる状況にあるわけであります。同和問題もしかりであります。差別というものがいかに戦争というものにつながっていくかという立場、とりわけ世界でただ一つの被爆国のわが国が世界平和のためにもっともっと尽くさなければならぬにもかかわらず、日本が核兵器を持ってないというもののいつでも持てる、あるいはますます大きな軍事国家になりつつあるということは、世界の人々に大きな脅威を与えておるのではないか、私はこういうように思うわけであります。
 そういう点で、去年も私、内閣委員会で防衛庁の幹部の皆さん方に申し上げたわけでありますが、日本が軍備を拡張していくんじゃなしに、縮小して、ひいては中立の日本をつくっていくことこそが日本の最大の防衛であるという観点に一日も早く立っていただきたい、このように思うわけであります。
 そういう点で、ハト派と言われます長官でありますから、そういう点について、私の最後の質問に対して誠意あるお答えをしていただきたい、このように思います。

22・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/24(日) 19:52
○金丸国務大臣 いろいろおっしゃられるお話もわからぬわけじゃないけれども、一軒の家で窓にかぎをかう、それは何のためだ、それはわが家族の生命、財産を守るためにかぎをかうということであって、その一軒一軒が集まったものは国家である、そのかぎは要らないのか。私は、本来はそのかぎがないというオープンシステムがいいと思うわけでありますが、しかし世界の情勢を判断し、各国全然そういうものは小競り合いがないかといえば、小競り合いもないわけじゃない。日本民族の永遠の存続を考えるならば、せめて相手方が日本に上陸するときはこれに立ち向かう、先ほど二十七万のこんな膨大な兵力は要らぬと、しかし二十七万ばかりの兵力で本当に日本の防衛ができるのかという心配もいたします。しかし、日米安全保障条約という強力な抑止力があるからきょうの日本の安全もある、こう私は考えておるわけでありますが、先生のおっしゃられる説、それも一つの考え方だと思いますが、私は、そういうときはすべての世界民族は神様のようなことにならなければ、これはそんなわけにはいかない。せめてわれわれは攻めてはいかない、侵略はしない、しかし向こう側からこの国に上陸してわれわれに危害を与えるということになるならば、われわれはこれに立ち向かう機会というものは日本民族としてあってもいいんじゃないか、こういう考え方であります。

○塩崎主査 上田君、時間が経過いたしましたので……。

23・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2015/10/05(月) 07:55:01
2.通州事件 ;実際にあった大虐殺

「南京大虐殺」の真偽を考える場合に大きなヒントとなる実際にあった大虐殺「通州事件」についてリンク先から引用します。
昭和12(1937)年7月29日、北京の東方は、冀東(きとう)防共自治政府の首都・通州(下写真は当時の通州)で「大虐殺」がなされました。いわゆる「通州事件」と呼ばれるものです。「南京大虐殺」が大々的に取り上げられるのとは反対に、何故か、意図的に年表からも削除されている事が多く、教科書にも全く取り上げられる事の無い、この「通州事件」について、今回は書いてみたいと思います。
「通州事件」 ── 又の名を「通州大虐殺」とも呼ばれるこの事件は、「廬溝橋事件」の3週間後、起こりました。
当時、通州には、「廬溝橋事件」の余波で避難していた婦女子や朝鮮人(当時は日本国籍だった)を含む日本人居留民、天津特務機関長・細木繁中佐ら軍人等200余人が住んでいました。通州には、日本軍の守備隊も駐屯していたのですが、たまたま、主力が南苑攻撃の為、町を離れ、僅か110名の留守部隊しか残っていなかった所へ、支那保安隊千数百名が襲撃を掛けたのです。
通州を襲撃した支那保安隊は、多勢にものを言わせて日本軍守備隊を全滅させ、余勢を駆って、何とあろう事か、日本人居留民をも「標的」にしたのです。支那保安隊は、日本人居留民を通州城内に全員集め、城門を閉めた上で(要は城外へ逃げられない様にして)、日本人居留民の住宅一軒々々に火を放ち、女性には暴行を加えた上で局部に丸太を突き刺す等して殺害、子供は両手・両足を切断し、男性には首に縄を巻き付けた上で引き回す等、「残虐」の限りを尽くしたのです。前回のコラム(『83.「日本軍国主義」の象徴 ── 「南京大虐殺」等あり得ない!!』)で指摘した「屠城」。正にその「屠城」が現実のものとして、支那保安隊によって繰り広げられた訳です。
「廬溝橋事件」は、日本軍と支那・国民党軍と言う軍隊同士による軍事衝突でした。しかし、「通州事件」は、支那保安隊による日本人居留民 ── 「民間人」への殺戮行為でした。これは、明らかに国際法違反です。しかも、その殺害方法が、正に「屠城」そのものであり、残虐極まりないものであった事も重要です。支那は現在も、ありもしなかった「南京大虐殺」を持ち出しますが、こと「通州事件」については、自らの過ちであるにも関わらず、謝罪も補償も一向にする気がありません。支那が「正しい歴史認識」と言うのであるならば、虚構の「南京大虐殺」を主張する前に、まず「通州事件」における日本人居留民虐殺について明確に謝罪すべきです。
◆通州事件については犠牲者名簿があり、当時、日本の外務省も公式声明を発した(デリシャス冷珈琲氏)
※他にも支那国民党軍政権下の軍閥等による日本人などの外国人虐殺・掠奪・暴行は、「 済南事件 」(1928年)や「 南京事件 」(1927年)が存在する。済南事件の犠牲者の凄惨な姿は虚構の「南京大虐殺」の犠牲者の姿に捏造利用されている。他にも上海、蕪湖、鎮江、九江、漢口、杭州、南昌でも虐殺・掠奪・暴行が行われた。

24・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2015/10/05(月) 07:58:04
5.南京:夏淑琴事件 に関する考察

日本でも裁判になったこの事件についてはデリシャス冷珈琲氏が詳しい検証をされています。以下引用。
●検証
①賊が「なかに入れろ」と要求したら、馬氏が戸を開けた。
夏氏が犯人に懇願し馬夫人が犯人に質問しており、会話をしているのだから犯人は支那人。
②婦人が強姦された後、胸を銃剣で刺され、膣に瓶を押し込まれ、赤ん坊は銃剣で刺殺され、他の少女も刺殺され、膣に杖が押し込まれた…
犯行手口から犯人は支那人。
③戸を開けた者を直ちに撃ち殺す連中の前に別の者が跪いて他の者を殺さないように懇願したなんて有り得ない。
④8歳の子供が犯行日時は12月13日9〜10時と認識し、更に14日間も経って記憶していたなんて有り得ない。
⑤事件後、向かいが日本軍の宿泊所になり、日本兵が家の庭を通る足音が聞こえる都度布団に隠れ、兵士達が毎日来て家から物を持って行ったのに、4歳の妹も泣き喚いたりせず二人で古シーツの下に隠れていたので発見されなかったなんて有り得ない。
⑥傷を負い這っていた8歳の夏淑琴が、銃殺された母の死体が横たわる部屋で、誰にも見つからず14日間も4歳の妹と生き続けたなんて有り得ない。
⑦12月1日に南京市長、12月8日に支那軍司令長官が、全市民に安全区に移るよう命令し、警察や支那軍による強制退去が行われ、12月13日には安全区以外の南京には誰も居なかった。
犯行は13日より前に支那軍か支那人盗賊が行った。
⑧仮に12月13日の犯行だとしても、南京は前夜から本格的な戦闘状態に突入しており、近所の連中が当該事件に恐れて避難したなんて有り得ない。
⑨安全区国際委員会のマギーが日本軍による犯行だと考えれば、現場の日本軍憲兵隊に通報しなければならなかったのに通報しなかった。
●結論
犯人は支那軍か支那人盗賊であり、犯行は日本軍が入城した12月13日よりも前に行なわれていた。
日本軍には、アリバイがあった(中略)
マギーの解説書によれば、当時8歳の夏淑琴は犯行日時を12月13日9〜10時と証言していた。
しかし、12月13日9〜10時に日本軍はまだ犯行現場に行き着いていなかった。
アリバイがあった以上、夏淑琴事件の犯人はやはり支那軍か支那人盗賊のだったことになる。
日本人は普通は中国語を全く話せません。簡単な文体と人称代名詞を覚えたあと筆談で中国人と意思疎通を図るのが普通です。検証①を読んだだけで、これは日本人の犯行ではないな、と分かるはずです。それから検証

25・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2016/03/24(木) 05:06:51
なんかフラッシュプレイヤーダウンロードしろってうるさいけど
ここ大丈夫か?


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