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石原慎太郎と竹花副知事関連スレッド

97・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/05/24(火) 05:55:26
 この小泉親彦とは誰あろう、関東大震災の十年後には、陸軍軍医学校の校長となり、
翌年に軍医として最高位の軍医総監に出世した人物であった。その後、廃帝の溥儀を
祭りあげて満州を自在に動かしながら、細菌戦争と生体実験を実施した関東軍七三一部隊の
生みの親だったのである。七三一部隊の隊長に石井四郎を抜擢した男である。
 こうした陰惨な事件が続くなか、有罪となった甘粕大尉は、軍法会議で懲役十年の判決を
受けながら、長い刑期を終えることなく、誰の指示によるものか、わずか三年後の二六年
十月九日には仮出所してしまい、憲兵に庇護されて東京を脱出した。
 二七年七月、朝鮮から中国・奉天経由で、上海からフランスへ旅立った甘粕は、フランスで
澄田來四郎の世話になり、しばらくルーアンに住んだ。この澄田來四郎の息子が、われわれの
時代、一九六九年から大蔵省の事務次官として霞ヶ関を支配しはじめた澄田智であった。
 澄田智はその後、輸出入銀行総裁となり、一九八四年から日銀総裁として、
中曽根康弘内閣の金融政策を背後からとりしきった。その翌年、八五年にニューヨークの
プラザ・ホテルで、国際金融マフィアが日本を国際金融界から締め出すプラザ合意を決定したため、
日本経済界は、もてあます資金を海外に投資することができず、国内に株価暴騰・地価狂乱の
バブル経済を演ずるようになった。住専(住宅金融専門会社)に端を発した金融界の膨大な
不良債権など、日本経済の破綻が、この澄田総裁時代のプラザ合意からはじまっていたのである。
 その澄田智は、大蔵省の天下り人事を動かすボスとして、今日まで霞ヶ関に君臨してきた。
 甘粕正彦がフランスで智の父・來四郎の世話になったころ、甘粕が秘密結社のフリーメーソンと
関係しているという噂が流れたが、彼は一九一二年一月にフランスを出発すると、二月末に
帰国した。しかし二九年七月、今度彼が姿を表わしたのは、溥儀の清朝を生み出した
満州であった。その行動は、資金面で後ろ盾がなければできないことばかりで、謎に
包まれている男であった。[予言された二十一世紀/広瀬隆著]”
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087742873/qid%3D1072525172/250-4891459-0776206
毎日新聞は原子力の事で、反原発の第一人者のこの著者を最近盛んに非難していたが、・・・・・。


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