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石原慎太郎と竹花副知事関連スレッド

96・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/05/24(火) 05:55:00
 ”その八年前の一九二三年(大正十二年)九月一日、日本では関東大震災が発生した。
正力松太郎ら警察の扇動によって、朝鮮人と中国人が虐殺された事件にまぎれて、十六日に
甘粕正彦大尉が憲兵隊内で社会主義者の大杉栄を殺し、有罪となっていた。この大震災で
虐殺がおこなわれたとき、東京南部警備部隊の司令官をつとめていたのが石光眞臣だったが、
その妹・マツの夫は、橋本卯太郎であった。一九九七年現在の首相・橋本龍太郎の祖父である。
 朝鮮人虐殺は、なぜ起ったのであろうか。
 当時、一九一五年(大正四年)からすでに、陸軍軍医学校では、ドイツが第一次世界大戦で
使用した毒ガス兵器の効果を知っており、以来、衛生学教官の小泉親彦が主導して、
化学兵器研究室が設立され、毒ガスの研究に着手していた。
 その研究室が、関東大震災の地震によって大きな被害を受け、毒ガスの白煙もうもうとして、
内部は呼吸もできない危険な状態となった。小泉教官らは、何とかそれを処理したとされているが、
その直後、どこからか、東京の至るところで「不逞鮮人毒物撒布」の噂が流れはじめたという
ことであり、朝鮮人が井戸に毒をまいたという、この根も葉もない噂がきっかけとなって、
朝鮮人虐殺がおこなわれたのであった。誰がこの[毒物撒布]という悪質な噂を広めようと
思いついたのであろうか。
 ただちにこの井戸水検査を実施した組織こそ、小泉親彦が主導する陸軍軍医学校の
衛生学教室であった。のち、橋本卯太郎の義兄で、警備部隊の司令官だった石光眞臣が、
このような小泉らの働きに対して、感謝状を贈った記録が「陸軍軍医学校五十年史」に
記されている。こうして[朝鮮人と中国人]が[毒物撒布]の悪質な噂で結びつけられたあと、
満州・蒙古・中国・朝鮮での戦争を想定して、小泉らの化学兵器研究が大がかりなものに
なったのは、単なる偶然ではなかった。


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