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「小中学校の社会科」スレッド

1カマヤン:2004/08/09(月) 15:52
 縁あって、小中学校の社会科を勉強しなおしたり、一部講義したりしているので、
それ関連のことを書き連ねてみるスレッド。

2カマヤン:2004/08/27(金) 02:57
〔以下、某板にポストしたもの。メモ的に。直接スレタイとは関係しないが、比較的スレの性格が近いので
ここにポストする〕

 【三大宗教】
 三大宗教の性格の違いをざっと把握するなら
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480842586/qid=1093536967/249-2940761-5428349
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198611688/qid=1093537024/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-2940761-5428349
 以上のどちらかを図書館で探して読むんで、プラス、百科事典のそれぞれの項を読むといい。
以上を行なったら、ウェーバーの宗教社会学をかじると、たぶん完璧かな。

 【「人種」主義と、「欧州」中心主義】

 「人種」で区別する思想がそもそもゲルマン源産で、しかも欧州帝国主義真っ盛りな19世紀の
産物だから、 イエロー中心主義は基本的には存在しない。
 ただし、ゲルマンたちの白人優秀説はそれに先行する「豊かなアジア」幻想が裏返ったものだから、
19世紀末〜20世紀初めには「黄禍論」というのが欧州で流行った。
 「黄禍論」に対応するかたちで、日本では「白禍論」というのが生まれた。

 「人種主義的世界観」自体、白人の「オレたちは植民地でこれだけ悪いことをしているんだから、
いずれイエローやブラックに復讐されるかもしれない、いや、それはない。だってそんなこと
考えるのは怖いから。いやいやそうじゃなくて。そう。オレたちホワイトは元々優秀だから。
え? 中世はイスラムのほうが文明が圧倒していた? いや、それはその。そのあとオレたちが
勝ったから、やっぱオレたちがナンバーワン。のはず。きっと。イエローに復讐されるかなあ…」
という精神が生み出した「妄想」だから、あまり付合わないのが吉。
 白人優位思想の裏返しの「黄禍論」や、「黄禍論」の更に裏返しの「白禍論」といったものは、
いずれも19-20世紀の「妄想」であり、この妄想は意外に強靭な伝染性があり、視野狭窄を
招くし「頭を確実に悪くする」(ある種の強烈な妄想・幻想を刷りこむ)性格があるので、
注意されたし。

3・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/08/27(金) 02:57
 21世紀に生きるのなら、知的ワクチンとして、人種思想的世界観を解体した名著『オリエンタリズム』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582760112/qid=1093537735/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-2940761-5428349
『想像の共同体』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/487188516X/qid=1093537840/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-2940761-5428349
といった本の存在も知っておいたほうがいい。
 あと、日本人と欧米の「感性」の文化人類学的差異研究の古典として
『菊と刀』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4390105000/qid=1093538162/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-2940761-5428349
を、まずは読んでみるのがいいと思う。「黄禍論」は『菊と刀』読後に読むほうがいい。
でないとバカになる可能性がある。
文明の中心が長いことアジアだった事柄については、たとえば
宮崎市定『アジア史概説』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122014018/qid=1093538555/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-2940761-5428349
なんかに詳しい。

4・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/08/27(金) 02:57
 欧州は大航海時代時代以前は世界の辺境で、8世紀頃はイスラム世界にもう少しで
呑みこまれるところだった。そこから「イスラム怖いよお」という精神が生まれ、反射的に
「オレたちはヨーロッパだ。オレたちはキリスト教世界だ」という意識を生み出した。
 11世紀にやっと無敵で無敗のイスラム帝国の伸張が止まったので、野蛮な欧州勢は
武装してイベリア半島を取り返して雄叫びを上げた。イベリア半島にはイスラム帝国の
大図書館が残っていたので、野蛮人である欧州はその本を読んで文明を学び始めた。
 13世紀、大文明イスラムがジンギス・カンのモンゴル帝国に倒された時、欧州は
「やった!ジンギス・カンは伝説の東方のキリスト教王・プレスター・ジョンに違いない」と
ぬか喜びするが、ジンギス・カンは欧州も惨忍に攻め立て、欧州は「怖いよ怖いよ」と
泣きそうになった。
 偶然モンゴル帝国は伸張を止めたので助かった欧州は、東の彼方にある中国(元帝国)
という大帝国の噂に夢を広げた。

 欧州ではこの頃から牛肉食べる習慣になったが、牛肉を長期保存するには香辛料が
絶対に必要で、怖いイスラムやら怖いモンゴルやらから極めて高価な価格で購入するか、
極めて高い交通税払って領土を通ってインドまで買いに行くかしか方法はなかった。
 後進地域欧州は世界文明の中心であるイスラム文明圏に搾取されっぱなしだった。
イスラムに距離的に近いイタリアあたりはまだ中間搾取ができて経済的に潤ったが、
西の果てスペインやポルトガルは悲惨だった。
 そこでしょうがないので、ポルトガルとスペインは、アフリカ大陸沖を南下するという
大冒険に出た。これが大航海時代の始まり。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003314433/ref=pd_sim_dp_3/249-2940761-5428349
 さて時代は下って17−18世紀に、大清帝国という大文明の制度の情報がフランスに伝わった。
大清帝国には血統に囚われず優秀な人材をペーパーテストによって高級官僚に採用する、
科挙制度というシステムがあるそうだ。ああ、さすが東洋はすげえや。それに比べてフランスでは
官僚を決めるのは血統だけじゃないか。こんなん間違っている。大清帝国にならって、血統に
関係なく優秀さで官僚を決める社会にするべきだ。と、フランスの文化人は考え、これが
フランス革命…近代市民革命というものに発展した。

5・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/08/27(金) 02:58
 その頃、欧州の後進国ドイツにヘーゲルという学者が生まれる。当時のドイツはイギリス・フランスに
産業革命で遅れていて、猛烈な勢いで近代化しようと必死だった。ヘーゲルは猛烈に優秀な人物で
哲学者として大成した。ヘーゲルは哲学を思考するための材料として、当時欧州で手に入る限りの
世界の情報を全て手に入れようとした。当時の欧州は激動の成長期だった。ヘーゲルは東洋の
歴史を断片的に集め、偏見を持って眺めた。激動の成長を遂げる欧州に比べて、東洋の歴史は
えらいのんびりしているなあ。これを「アジア的停滞」と名づけよう。世界史と呼ぶことができるのは
欧州の歴史だけだ。何しろ欧州が世界一進んでいるのだから。ヘーゲルはそう断定した。
 ヘーゲルの哲学はかなりの深さと影響力を持ち、「欧州が怖いよお」と言って大慌てで明治維新を
起こした明治政府は、同様に大慌てで近代化したドイツから知識を吸収しようとして、ヘーゲルの
この歴史的偏見を輸入した。そして日本は叫んだ。「オレはアジアじゃない!オレはホントは白人なんだ」
これを脱亜入欧と呼ぶ。あまりかっこよくない。
 で、日本は欧州の真似をしまくった。これを恥ずかしいと思う人もいるようだが、なに、欧州だって
かつてはイスラムや東洋の真似をしまくっていた。欧州の連中はそのことを時々忘れるが。

 さて。そもそも「東洋」という言葉は、「非欧州」という意味で欧州人が発明した概念だし、
人種で物事を考えるのは、たまたま金髪碧眼という身体的特徴の激しい欧州人が黒人奴隷貿易を
合理化するのに、「オレたちは白人だから人間。あいつら黒人だから人間じゃない」と手前勝手な
理屈をこねたのが始まりで、
 たとえば中国の歴史書には「人種的特徴」なんてほとんど記載がない。中国文明の場合、区別の
焦点が「中華文明化しているか、していないか」であり、それで野蛮人か否かを区別していた。
 人種論は、ダーウィン説にショックを受けた白人(キリスト教徒)が、メンデル説で自我を保とうと
した精神防衛であって、その構造はオレのような無学非才無官草莽の大衆だって今では知っていて
説明できるのだから、人種論はトンデモ説の1つとして冷淡に接するのがよいです。

6・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/09/23(木) 13:13
NHK高校講座http://www.nhk.or.jp/kokokoza/ 世界史
http://www.nhk.or.jp/school/bangumi/high_his-world/1-ban.html
放送時間 月曜日 午後3:30〜4:00  水曜日 (火曜日深夜) 午前1:30〜2:00

NHK高校講座http://www.nhk.or.jp/kokokoza/ 日本史
http://www.nhk.or.jp/school/bangumi/high_his-jap/1-ban.html
放送時間 火曜日 午後3:30〜4:00  (再)木曜日 (水曜深夜) 午前1:30〜2:00

NHK高校講座http://www.nhk.or.jp/kokokoza/ 地理
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/chiri/scd.html
教育テレビ 水曜日 午後3:30〜4:00 (再放送)金曜日 午前1:30〜2:00(木曜日深夜)

7カマヤン:2004/10/30(土) 22:08
 高校入試の国語の問題。
以下の【 】でくくった助詞の区別をせよ。
用法の違うものを選び、その違っているものの用法は何か選択肢から選べ。

 選択肢
ア 体言と同じ働き   イ 作用の結果  ウ 動作の帰着する場所  
エ 原因・理由  オ 動作の経過する場所

 問1
A バス【で】学校に通っている。
B 筆【で】字を上手に書けますか。
C ノミと金槌【で】木を彫る。
D 寒さ【で】手がこごえそうだ。
E ナイフとフォーク【で】夕食を食べる。

 解答 
用法の違うもの D 
用法 エ(原因・理由)
 解説 
「バス」「筆」「ノミと金槌」「ナイフとフォーク」これらは、動詞の「道具・手段」である。
「寒さ」は動詞の「道具・手段」ではない。動詞の「原因・理由」である。

8カマヤン:2004/10/30(土) 22:09
 問2
A 氷が溶けて水【に】なった。
B 東京【に】住んでいる。
C 庭【に】椿の花が咲いている。
D 山の上【に】小屋がある。
E 世【に】多い話だ。  

 解答 
用法の違うもの A 
用法 イ(作用の結果)
 解説 
BからEまでの「に」は、「(ピンポイントの・留まっている)場所」を示している(ピンポイントであるところ・
留まっているところが「に」の特徴であり、「へ」との違いである)。
Aの「水」は「場所」ではない。Aの「に」は「変化・作用の結果」を示している。

 問3
A 子ども達【の】騒いでいる声がする。
B 本を読んでいる【の】が一番楽しい。
C 雨【の】降る日は悪いお天気。
D 桜【の】咲く春がやってきました。
E 自分【の」思うことを言う。

 解答 
用法の違うもの B 
用法 ア 体言と同じ働き
 解説 
B以外の「の」は、助詞「が」に置き換え可能である。Bの「の」は「が」に置き換えできない。
したがって、Bだけ用法が違う。
Bの「の」は「とき」に置き換え可能である。したがって、Bは「体言と同じ働き」をしている。

9カマヤン:2004/10/30(土) 22:09
 問4 
A 雑木林を過ぎて薮のある所【へ】来た。
B 右【へ】少し曲がっていくと学校だ。
C 向こう【へ】歩いていくのが兄です。
D 北【へ】十歩、それが私の宝の隠し場所だ。
E 今年は東北【へ】旅行に行きましょう。

 解答 
用法の違うもの A 
用法 ウ 動作の帰着する場所
 解説 
「帰着する場所」とは「留まる場所・ピンポイントの場所」、程度の意味だと理解するといい。
「へ」と「に」の違いがここでは問われている。「に」はそこに留まる。
「へ」は方向を示すのみであり、そこに辿りつかなくとも構わないし、そこに留まらなくても構わない。
「に」だと判りにくいので「にまで」に置き換え可能かどうかで見てみよう。
Aの「へ」は「にまで」に置き換え可能である。BからDまでの「へ」は「にまで」に置き換えできない。
Eの「へ」を「にまで」に置き換えると、文の意味が変わる。「東北へ」なら東北方面を漠然と指し、
ついでに東北方面のどこか、あるいは東北以外のどこか、たとえばそのままさらに北へ進み
北海道にまで辿りつくこともニュアンスとして含む。
「東北にまで」だと、東北地方のどこか特定の場所で宿泊することを意味する。東北地方を越えて
さらに北へ進むニュアンスは含まない。

 〔余談〕だから以下の「調査」の設問はおかしい。意義のある調査をするのなら設問を変えるべきだ。
http://nhg.pro.tok2.com/reserch-2/reserch1-69.htm

10カマヤン:2004/10/30(土) 22:09
 問5 
A 黙々と車【を】押している。
B 道【を】尋ねながら来て下さい。
C 横断歩道【を】渡りましょう。
D 彼【を】議長に推薦する。
E 朝御飯【を】しっかり食べなさい。

 解答
用法の違うもの C
用法 オ 動作の経過する場所
 解説
「を」が示すものが、「対象(対象物)」なのか「場所(経過する場所)」なのかの違いを見る。
A・D・Eの「車」「彼」「朝御飯」は「場所」ではなく「対象」である。
「を」が示しているものが「場所」っぽいものは、B「道」とC「横断歩道」。
Bの「道」は「順路」の意味であり、「経過する場所」自体ではない。
Cの「横断歩道」は、「経過する場所」そのものである。

11カマヤン[TRACKBACK]:2004/10/30(土) 22:11
小中学校の国語 

連体詞「大きな」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1025577785/r161-167

12カマヤン:2004/11/03(水) 14:16
>>9
問4の「へ」は「の方へ」と言い換えるほうが判りやすい。
Aだけは「の方へ」と言い換えできない。
BからEはこれから進む方角を示し、Aは辿りついた場所を示している。

13カマヤン:2004/11/03(水) 14:18
>>10
問5の「を」は「の上を」「の中を」で言い換えると区別できる。
Cだけは「の上を」「の中を」で言い換えできる。だからCだけ用法が違う。

14カマヤン:2004/11/04(木) 03:37
作文指導のコマを引継いだが、前任者が「主語は冒頭に置く」主義の人
だったので、かなり指導が困る。
読点についての「解釈」がかなり離れていて…

2ヶ月あればさほどの混乱なく自分の文法解釈に転換させることができるが
4回切りで転換させるのはちとキツイ…
…が、指導した相手の中から将来の役人が誕生するかもなので、丁寧に
読点解釈を説明してみよう…間違った作文術を指導するべきじゃないからなあ…

15カマヤン:2004/11/04(木) 15:11
 国語の得点法についてのレス。

91 名前: 投稿日:04/11/03 12:07:22 6jNqD9d1
>「作者の考え」等という物は明確な答が定まるものなんでしょうか?

 国語は100点採れる教科じゃない。「明らかな誤り」はあっても「正解」のない教科だから。
 出題者の力量と採点者の力量によって、採点が1割程度揺らぐことを前提に考えておくべきだ。
90点は採れるようになるが、10点くらいは採点者によって変動する。
 国語の得点は、以下のように考えるといい。

 1;国語の選択問題の中には「正解」はないが、「明らかに誤っているもの」はある。
 2;国語の問題にはだいたい1割程度の確率で「愚問」が混じっている。
「愚問」とは複数の解釈が可能であり、解答が一通りになりえないのだが、 出題者がそのことに
気づいていない問題である。
 (愚問例) 空欄を埋めよ 「ウサギの耳は【   】い」
          正解 「長」   
          別解 「赤」
 出題者が別解に気づかない場合、また採点者が別解を理解できない場合、別解は誤りとして
減点される。しばしば別解のほうがより文学的であるが、出題者・採点者が別解を理解できない場合、
大愚問となる。
 3;「記述」問題は、採点者の力量に拠って点数が変動する。そこを「なぜ」と考えてもあまり意味がない。
「明らかな誤り」はあっても「正解」のない教科だから。

16カマヤン:2004/11/06(土) 13:30
「新送りがな」というものがあって、受験的にはそれに従わないとならないそうで、
「新送りがな」では「おこなう」を「行う」と表記するらしいが、
どうにも私には納得できない。

「おこなって」を「行って」と表記せよという指導のようだが、
「行って」は「いって」とふつう読むわけで。
「おこなって」を「行なって」と表記するのなら、「おこない」は「行ない」
であるべきだし。

「新送りがな」がどういう法則になっているかwebで調べようと思ったが、
webにはろくな情報がないっぽい。

17・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/11/06(土) 22:38
>>16
これなんかどうですか?
http://www.sanseido.co.jp/publ/dicts/hikkei_yoji_furoku1.html

18カマヤン:2004/11/07(日) 01:41
>>17
ありがと。
教材にそのリンク先とほぼ同じ記述があったんだけど、「行なう」についての
疑問が解消できなかったので>>16のポストをしたんですわ。

19・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/11/07(日) 15:17
>>18
>許容 次の語は、( )の中に示すように、活用語尾の前の音節から送ることができる。
>行う(行なう)

「行なって」などは↑に、あるように間違いではないと思います。
実際、最近の新聞や雑誌では「行なって」と表記される事の方が多いようです。

20カマヤン:2004/11/14(日) 02:27
>>19
ありがと。

全然話違うけど、私は子供を全く子供扱いしないなあ。
他の講師は「子供たちが」云々とわりと言うけど、ふと気づくと、たぶん自分は
一度も生徒のことを「子供」と呼んでいない。

22コピペ「文節と文節の関係」:2004/11/15(月) 04:18
文の組み立て 文節と文節の関係(「係り受け」)
http://study-japanese.hp.infoseek.co.jp/hp/grammar/grammar-2.htm

1)主語・述語の関係
2)修飾・被修飾の関係
3)補助の関係
  「動詞+て(で)+補助動詞」の形になっている関係を言います。
  (例)走っている → 走る+て+いる
4)並立の関係
  前の文節が、後の文節と並立(・対立)している関係を言います。
  基本的には、順番を入れ替えても文の意味は変わらないという特徴を持っています。
5)接続の関係
  接続詞・接続助詞によってつなげられた文節同士の関係を言います。
  接続助詞によってつながっている場合は、接続詞に置き換えても
  文の意味が変わらないという特徴を持っています。

23カマヤン:2004/12/03(金) 02:04
 塾講師していて気づいたこと。とってもスレタイトルに趣旨が合っている。
 さて、子どもを塾に通わせている家庭はそんなには貧困ではないから、あまり深刻な問題児は
塾には来ない。深刻な問題児を扱う公立学校なんかとはその点が決定的に違うわけだが、
それは単なる状況認識として置いておく。
 塾講師同僚と話していて気づいたのだが、塾に来ている成績の悪い生徒の家庭には一定の
パターンがある。

 保護者の性格が概ねキツイ。
 保護者の性格がやたら細かく、瑣末なことを重視しすぎる。いい意味での大雑把さ、寛容さが
欠けている。子どもと保護者の間に信頼関係がない、という言い方もできる。

 保護者の性格が反映し、子どもは保護者に怒鳴られたり叱られたりしないよう、いつもビクビク
している。いつも「どうしたら保護者から怒られないだろう」ということに子どもの意識は向かって
いるので、勉強のことにまで子どものエネルギーが向かわない。だから子どもの成績は上がらない。
保護者は自分の性格に原因があることに気づかないから、この悪循環は延々続く。
 あるいは、やたら細かい性格な保護者と同様、子どもはテストやテキスト、授業の中の、やたら
瑣末な所にばかり意識が向かい、解く必要がないと指定した問題になぜか取り組み、解くべきだと
指定した問題を解くべきエネルギーを消耗し尽くす。
解くべきだと指定した問題を解けなかった理由は、大雑把さに欠けるからだということは当人には
理解できないから、当人はその原因を別なもの、周囲に求める。(「××がうるさいから自分は
問題が解けないんだ」)
 外見上、非常にマジメに授業を受けているかのように見えるが、全く授業内容を理解せず、
何が伝達されているのかも理解しない。外見上マジメに見えるが、基礎的な信頼関係を他者との
間で充分に育んでいないので、他者が何を伝えているのかを受取ろうという意志が弱い。
他者を理解しようという意志がないから性格はムダにキツく、そして成績は一向に上がらない。

 成績のいい人間は、勉強以外に悩むことが少なかった人間で、頭の出来そのものとイコールではない。
親族間の基礎的な信頼関係があれば過干渉は発生しない。信頼関係を築けないから過干渉になる。
親が過干渉している限り成績は向上せず、ムダな金を塾産業へお布施し続けることになる。

29カマヤン:2004/12/09(木) 02:28
いわゆる「成績下位」クラスだと、

1;宿題の仕方が当然に判らないし
2;字を写すという作業自体も困難

だということが判った。
…広義の家庭学習の問題なんだが、どうしたもんかなあ…

30カマヤン:2005/03/26(土) 06:39:41
メロンは「野菜」である。野菜と果物の区別。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~tekken/yasai/column/c6.htm
http://homepage2.nifty.com/osiete/s382.htm
http://www.netricoh.com/contents/antenna/ojituu/data/0027.html
http://tcnweb.ne.jp/~ramses/vege/yasai01.htm
木に成るのが果実、木に成らないものは野菜。

ふーん、というだけの情報だが、社会科(小4)の初回になぜこんな
ムダな情報を教えなならんのだ。わけわからん。
しかしインターネットがあってよかった。
ネットがなければこんな下らないこと調べるのにどれだけ時間と手間を
食ったことか…

31・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/03/26(土) 11:40:26
>>30
日常的体験(「甘いのが果物でまずいのが野菜」ステレオタイプに過ぎるか?)と著しく乖離しており意外性があるので、生物学的分類法を説明するよい端緒となるのではないでしょうか・

32・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/03/26(土) 11:52:55
日常的経験から出発した学問が理論的に整備されて行く段階で当初の日常的経験からは一見かけ離れたものになっていく一つの例にもなりそうですが。

33カマヤン:2005/04/13(水) 13:02:29
オンブズマン

ombudsman
〔名〕(複 om・buds・men, om・buds・women)
1 オンブズマン:行政機関に対する住民の苦情を聴取し,当局に必要な勧告をする.
2 (個人の権利の)擁護者[スウェーデン語]


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