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「由美子ちゃん事件」スレッド

1カマヤン:2004/06/26(土) 09:56
「由美子ちゃん事件」関連情報を集めてみます

2・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/06/26(土) 09:57
由美子ちゃん事件
http://www.jca.apc.org/HHK/Kokaishinri/8th/Matayoshi8.html
 そのような中で、由美子ちゃん事件が起こりました。戦後10年目のエイサーを踊るほどに復興し、
市民生活も少しばかり安定した1955年9月8日、占領意識を色濃くもった米軍の兵士による、6歳になる
永山由美子ちゃんを石川市から車で拉致し、嘉手納基地に連れ込み、軍施設で暴行殺害し、施設内の
ちり捨て場に捨てたのです。犯人は米陸軍軍曹でした。逮捕後、軍法廷で死刑の宣告を受けたんですが、
当時、沖縄では治外法権下で十分な裁判、それから取り調べの状況など、ほとんど知る余地がなかった
んです。後で分かったのは、ワシントンに送られて、45年の重労働刑に軽減されたということなんです。
 当時の新聞報道を見ますと、由美子ちゃんは唇をかみしめ、右手に数本の草を握りしめているように
死んでいたと報じています。由美子ちゃんの恐怖、悲しみ、くやしさを、指や右手は表現していると同時に、
基地を容認し、一人の命と尊厳も守れない社会を許している大人たちへの抗議のようにも読めたのは、
私一人ではないと思います。この事件は、沖縄の婦人団体に子供を守る会ということをあちらこちらで
つくられました。だけど、女性や子供たちの事件はずっと尾を引いたんです。
http://www.jca.apc.org/~tkopeace/mg15-1.html
 米軍の軍事優先政策により、住民の生命と人権無視と軽視により、事故と環境破壊が今日も続いて
います。その忘れられない事件・事故を報告しながら、こうした事件・事故は米軍が沖縄から撤退する
まで続くであろうと思われます。そのためにも一日も早い基地撤去が望まれます。
【由美子ちゃん事件】
 1955年9月3日石川市に住む永山由美子ちゃん(6歳)が米兵に暴行・殺害され、嘉手納海岸で死体と
なって発見された。米軍軍属の犯罪が大きく取り上げられた最初の事件であった。島ぐるみの土地闘争
が高まっている時期に発生したこの事件に住民の怒りは頂点に達した。立法院でも「鬼畜にも劣る残虐
な行為」と抗議決議をし、米軍は厳罰に処罰するとの声明を発表、沖縄での軍法会議では死刑判決が
でたが、犯人は本国送還となりうやむやにされた。

3・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/06/26(土) 09:57
http://www.ryukyushimpo.co.jp/shasetu/sha13/s001231.html
 沖縄の二十世紀を振り返る時、最も大きな出来事は、やはり第二次世界大戦・「沖縄戦」である。
「鉄の暴風」が吹き荒れ、多くの人々が戦場に散り、沖縄は焦土と化した。
 そして、サンフランシスコ講和条約で沖縄は日本から切り離され米軍統治による異民族支配が始まる。
銃剣とブルドーザーによる土地の収奪、米軍基地の建設。さらに相次ぐ事件・事故。「米兵による由美子
ちゃん事件」に象徴されるように軍事裁判で死刑判決を受けても本国に送還されるという、基本的人権
の無視。

http://www.ryukyushimpo.co.jp/news01/2001/2001_04/010423l.html
 真栄城さんは「50年代にあった米兵の幼女誘拐、由美子ちゃん事件や宮森小学校の米軍機墜落
事故の号外など未整理のものがまだ50点余り残っている」と話していた。

http://www.okinawatimes.co.jp/spe/sou980120.html
忘れ得ぬあの取材 宮良長欣 由美子ちゃん事件
警察車両で現場へ急行 宮良長欣さん
 一九五五年九月三日、石川市に住む六歳の少女が米兵に暴行、殺害され、嘉手納の水釜海岸で
発見された。島ぐるみ土地闘争が高まっていたころで、激しい抗議運動が展開された。
 私は当時、コザ支局長。たまたまコザ署を回っていると、刑事らが慌ただしく動いている。「どうしたの?」
と聞いたら「中身は分からないが、女の子の死体が発見されたと嘉手納派出所から連絡があった」と言う。
早速、警察の車で一緒に現場へ。当時の取材範囲は浦添から宜野座までと広い上に車もない。
 現場に着き、死体を見た。局部がグシャグシャでひどい状態だった。今みたいに警察が縄張りすることも
なく、警察と同時に取材した。民間に車があまりないころ。石川の子が水釜までジープで運ばれていること
と死体の状態から容疑者が浮かび上がり、自供した。屋嘉の売春街に出入りする米兵で、女の子たちの
間で性的異常者といわれていた。
 解決まで三カ月かかったが、当時としては早いほうだった。MPと警察が協力して進められたこともあった
だろう。初のケースかも。残酷な事件だっただけに米軍もかなり神経を使っていた。取材は厳しかったが、
CICの中田という通訳が親しかったので、便宜を図ってもらった。
 今のように記者会見なんてない時代。いろんな刑事をつかまえて情報を集めた。記事は特ダネになって
局長賞をもらった。現在の基地問題のきっかけが米兵による暴行事件だっただけにいまでも思い出す。
(談) (元沖縄タイムス社会部長、現八重山日報社長)

4・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/06/26(土) 09:58
http://www.kokuminrengo.net/2003/200307-usbase-krmt.htm
 一九五三年に起こった「由美子ちゃん事件」を思い出す。六歳の子が家から連れ出されレイプされて
殺された事件だ。読谷近くの海岸にその死体はあった。恐怖の中で父を呼び母を呼び助けを求めたこと
だろう。中学生や高校生も被害にあった。バーに勤めていた女性がレイプされ殺されたこともある。

http://akamine-seiken.naha.okinawa.jp/data/01.07.11.htm
 赤嶺議員は、復帰前に六歳の女の子が米兵に暴行を受け惨殺され、砂浜に捨てられた事件
(由美子ちゃん事件、一九五五年)をあげ、復帰後も九九年までに凶悪犯罪が五百二十三件も起きて
いると指摘。

http://akamine-seiken.naha.okinawa.jp/data/04.05.101.htm
 私も、米軍の直接占領統治下で育ちました。数々の人権侵害そして人道に違反する罪、沖縄県民は
その被害者になってまいりました。一九五五年には、六歳の少女が、由美子ちゃん事件といいますけれ
ども、米兵に暴行されて海岸に捨てられていた。その米兵は軍事法廷で死刑になったけれども、その後、
アメリカに戻ってどうなったか、行方はわからない。全く透明性もない。しかも、人道に対する犯罪という
のはアメリカの占領地では繰り返されている。今度の収容所にとどまらないと思いますよ。

5・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/06/26(土) 09:58
http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/kojyakouen.html
 だから、一九九五年に三人の海兵隊員が暴行事件を起こした時も、「またか。」としか思いませんでした。
たしかに、被害者が自分よりも幼い一二歳というのはかわいそうだなとは思いました。私のあの事件に
対する認識は、その少女は運が悪かったんだな、かわいそう。それだけでした。
 しかし、周囲の大人は違いました。両親も、親戚も、学校の先生達もものすごく怒っていました。私は
驚いて友だちと図書館に行き、色々調べました。そして、私達は何故、大人があそこまで怒っているのか、
その理由を知りました。
 六歳の女の子が暴行されて殺された「由美子ちゃん事件」。米軍のトレーラーが空から落ちてきて、
女の子がその下敷きとなった「たか子ちゃん事件」。青信号を渡っていた中学生が米兵にひき殺された
国場君事件。農作業をしていた女性が猪と見間違えたと言って射殺された事件。人間を猪と見間違える
なんてことがありますか? 太陽の陽で信号が見えなくなった。だから、中学生をひいても無罪。
そんなことが許されるんでしょうか。まともな裁判すら行われず、被害者に対する補償もきちんと
おこなわれない。それが米軍統治下の沖縄でした。
 では、復帰してからはどうでしょうか。米軍がおこした事件、事故は五千件以上。この五年以内でも、
九五年の三人の米兵の暴行事件。親子三人がはねられて亡くなった事件。女子高校生がはねられて
亡くなった事件。今月初めに起こった就寝中の女子中学生に対するわいせつ事件。ひき逃げ事件。
今年に入ってからだけでも二七件の米兵による事件・事故が起きています。山火事やニアミスなどを
含めると四四件にも登ります。何度も繰り返される米軍の事件事故に対する怒りが、三人の米兵による
事件をきっかけに爆発したのでしょう。

http://www2.saganet.ne.jp/tyama/scrap/okinawa/okinawa03.html
 沖縄においては、過去に由美子ちゃん事件、あの棚原隆子ちゃんのトレーラーに圧 死された事件。
そして、宮森小学校のあの17人の子どもたちの犠牲。数多くの子ど もや女性たちの人権侵害が
行われてきましたけれども、安保条約や地位協定を本当に 国益のために継続させるという、その目的で、
また、法治国家の名にもとるような、 国民の議論や国民の声にも耳を傾けないで、数でもって押し切ろう
としているこの状 況に対して、わたしたち沖縄の女性たちは、断固として、怒りを込めて、抗議いたし ます。

6・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/06/26(土) 09:59
http://www5b.biglobe.ne.jp/~WHOYOU/nensi1.htm
 第二次琉球処分によって、沖縄は米帝による無制限の軍政=軍事統治下に置かれた。一九四九年の
中国革命勝利(中華人民共和国建国)から、翌五〇年六月に勃発した朝鮮戦争によって、沖縄はその
地政学的軍事的位置と役割を新しく与えられた。(五三年には米帝は軍事的価値が低いと判断した
奄美諸島を「返還」。)そして五〇年前後から起こった基地建設ブームは、日本資本も加わった基地
依存経済(産業構造そのものが基地に依存せざるを得ない)の原型となった。
 一九五三年四月、米帝は米軍基地建設のための土地収用令を発布。これに基づいて銃剣と
ブルドーザーによる土地強奪が始まった。この新規土地接収反対闘争は、五六年に出された
「プライス勧告」(土地強奪を正当化した米下院調査団報告書)によってさらに拡大し、全島を揺るがす
闘いへと発展し、米軍支配に対する沖縄全域での総反撃が開始された。これが「島ぐるみ闘争」である。
(この渦中の五五年九月三日、六才の少女が米兵に暴行殺害され、嘉手納海岸で死体となって発見された。
いわゆる「由美子ちゃん事件」である。九五年の米海兵隊員による性暴力事件の時、沖縄の多くの人々が
これを思い起こしたと言う。)


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