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「統一協会」関連スレッド
173
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2005/03/23(水) 13:31:50
ニカラグアではサンディニスタ革命と戦うために、WACLは、コスタリカにあるジョン・ハル(John Hull)の所有地に後衛基地を置きアルゼンチン人の教官を配置した。連合は同時にホンジェラスで参謀長官のグスタボ・アルバレス・マルティネス(Gustavo A'lvarez Marti'nez)将軍によって提供された施設を利用した。この将軍は人権主義的な装いで隠蔽した国際難民救済団(Refugee Relief International)を利用しながら傭兵を雇っていた。
グアテマラでは国民自由運動のリーダーマリオ・サンドバル・アラルコン(Mario Sandoval Alarco'n)がWACLに参加した。サンドバルは1974〜1978年の副大統領であり、大統領のロメオ・ルカス・ガルシア(Romeo Lucas Garci'a)が操り人形でしかなかったのだが、この国の本物の主人であった。サンドバルは5年間に1万3千人以上を殺した暗殺団を組織した。
エルサルバドルではWACLは、台湾の軍事学校で教育を受けグアテマラからの援助に支えられたロベルト・ダウブイッソン(Roberto d’Aubuisson)を支援した。ダウブイッソンは後に、この地域のCIAにあたるANSESALの総裁、および極右準軍事組織である国家共和主義党(ARENA)のリーダーとなった。同時に暗殺団を組織してオスカル・ロメロ(Oscar Romero)大司教を殺害した。
(写真「自由防衛のための秘密委員会メンバー、ハリー・アダーホウルトとジョン・シングロウブの両将軍」)
http://www.redvoltaire.net/IMG/jpg/Aderholt-Singlaub.jpg
しかしWACLの成功はその転落をも促した。1983年に国防副長官のフレッド・C.イクレー(Fred C. Ikle' )[21]はペンタゴンの中に8名の専門家からなる一つの秘密委員会を作った。自由防衛のための委員会である。その委員長はジョン・K.シングロウブ将軍であった[22]。この委員会が、ニカラグア、アンゴラ、エルサルバドル、ベトナムの拡張を吹聴するモデルとして、アフガニスタンへの隠密の侵略を作り上げた、と言われている。しかし彼らの行動の詳細に関する証拠文書書類は十分ではない。
1984年にロナルド・レーガンは、イランゲートヘの私的な出資の責任を、この連盟とジョン・シングロウブの個々の手に預けた。この事件は国家防衛委員会のオリバー・ノース(Oliver North)大佐の直接の指揮の下で行われたものであった。1987年、このスキャンダルの暴露がWACLのすべてをなぎ倒し解体させたのであった。
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