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「記者クラブ」関連スレッド
74
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2005/02/20(日) 00:12:35
国会TVマガジン号外 2/19
http://kokkai.jctv.ne.jp/
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メディアの裏側(第十回)
第二章 「記者クラブ」というギルド社会
警視庁記者クラブ(2)
成田開港
成田開港が一九七八年三月三十日(木)と決まり、成田空港反対闘争は最終局面を迎えた。三月二十六日(日)、開港を直前にして大規模な反対集会が現地で催された。午後一時頃、私がカメラマンと共に空港周辺
を見回っていると、赤いヘルメット集団がトラック二台に分乗して空港ゲートに突っ込んでくるのが見えた。機動隊はいたのだが、じっと動かず赤ヘル部隊が突入するのを傍観しているように見えた。トラックはバリケードを
突破し、管制塔のある建物に近づく。そこにマンホールから侵入した他の十数人が合流して管制塔の建物に乱入した。近くでそれを目撃した私とカメラマンは管制塔に向かって走った。まわりには他社の記者もカメラマンも
いない。駆けつけてきた機動隊と一緒になって我々は管制塔の階段を登った。ところが管制室のある十六階の手前で前進は止まった。そこから先へは行けないという。我々は暗く狭い階段に閉じこめられてしまった。上からドンドンという音が聞こえてくるが何をする事もできない。結局、管制室に入り込めたのは建物の外から屋根づたいに接近した機動隊とカメラマンだった。真っ先に駆けつけた我々の取材は空振りに終わった。
管制室が破壊されて成田開港は五月二十日(土)に延期された。空港周辺ではその後も反対派による散発的なゲリラ活動が繰り返されたが大きなニュースにはならなかった。そして実際に空港が開港してしまうと反対運動は急速にしぼんでいき、不思議な事にあれほど頻発していた公安事件そのものが少なくなった。
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