クリスチャン・サイエンスの創立には、19世紀に盛んになったニューソート(New Thought:新思想)運動が深く関わっています。ニューソート運動とはつまりキリスト教の新解釈が次々と生み出された当時の社会現象で、その創始者と見られているのがフィニアス・P・クィンビー(Phineas P. Quimby)という人物です。クィンビーは重い病気を催眠術と暗示療法で癒された経験がもとになり、やがて「病は気から」を地で信じるようになりました。
つまり病は全て悪い信念から生じるものであるから、心のゆがみを治せば肉体の不調も治るという思想です。これはイエス・キリストが行った治療と同一であり、イエスが説いた「科学」だというのです。クィンビーはそのキリスト科学を再発見したと主張しました。
Christian Science(クリスチャン・サイエンスと発音する。日本語訳はキリスト教科学)の宗教としての権威は聖書に基づき、その教えは Christian Science の発見者・創始者であるメリー・ベーカー・エディの著書"Science and Health with Key to the Scriptures"(『科学と健康ー付聖書の鍵』)によって明らかにされています。Christian Scienceは、キリスト・イエスの弟子として生きることにより経験する神の力を通して、罪ばかりでなく肉体の病気も癒されるというキリスト・イエスの教えに従っています。科学者キリスト教会は、1879(明治12)年に、エディ夫人とその初期の生徒が、「師イエスの言葉と業を記念するために立案された教会を組織し、この教会は原始キリスト教とその失われた癒しの要素を復帰させる」ことを決議し、創立されました。
エディ夫人は、聖書を研究し、神の性質と存在を理解する上で助けになる7つの同意語を用いて神を表現しました。それらは、心、魂、霊、原理、生命、真理、そして愛です。エディ夫人はまた、霊的癒し(スピリチュアル・ヒーリング)の法則を発見したと述べています。この法則は、イエスやその弟子たちが実際に用いたものであり、聖書の道徳的教えに従い、信仰と従順な心を持って神に向かう人々は、今日でもなおこの法則に従い癒しを実践することができます。
母教会・米国マサチューセッツ州ボストン市所在 The First Church of Christ, Scientist(第一科学者キリスト教会)と、独立して民主的に運営されている支教会は、その教えを守る人々の多くが、それぞれの健康、家庭の平和、そして、道徳的強さを取り戻すなどの癒しを実際に経験することにより、成長してゆきました。今日では全世界79ヶ国に、約2050の支教会が存在しています。日本においては、1907(明治40)年にアメリカ人による Christian Science の礼拝が横浜で始まり、1920(大正9)年に東京でも開始されました。日本の Christian Science の教会は、1940(昭和15)年、戦時体制に入る前に解散しましたが、戦後1946(昭和21)年には、京都で米軍による礼拝がグループとして始まり、1947(昭和22)年には、東京の教会が再び設立されました。今日では、京都は小教会として英語による日曜礼拝と水曜集会を開いており、東京では、日・英両カ国語で日曜礼拝と水曜教会が行われています。教会の日本語出版物には、『科学と健康』、『母教会の規範』、また二つの季刊紙「Christian Scienceさきがけ」と「Christian Scienceクォータリー聖書教課」などがあります。なお The Christian Science Publishing Society(キリスト教科学出版協会)が発行している The Christian Science Monitor(クリスチャン・サイエンス モニター紙)は、国際新聞として高い評価を受けています。教会の国際短波放送のニュース番組や宗教番組は世界各地で聴くことができます。
この創始者は、フィニアス・P・クィンビー(Phineas P. Quimby)であるとされている。癒しに興味を抱いていたクィンビーは、一時期、メスメル派の心霊術の香り漂う催眠治療に魅せられて、その治療師をしていた。しかし、やがて「信念が病を作り出している」という強い信念にとらわれ、独自の治療を始めることとなった。第二次信仰復興運動の嵐が吹き荒れていたアメリカで、クィンビーは、自分の行っている治療が、かつてイエスがキリストとして行なったものと同一であり、自分はその原理である「キリスト科学」を再発見したのだと考えるようになった。そして、エマニュエル・スヴェーデンボリなどの影響も受けつつ、非常に理想的な神を語った。
20 世紀前半、心理学は、行動主義、ゲシュタルト心理学、精神分析の各派が台頭していた。やがて中盤にさしかかると、クルト・レヴィン(Kurt Levin)の T グループや、そこから分派した感受性訓練(Sensitivity Training: ST)などのグループ・アプローチまた、カール・R・ロジャーズ(Carl R. Rogers)の来談者中心療法、エンカウンター・グループなども行われるようになった。
これらや、実存主義などの影響下で、 1950 年代に第三勢力と呼ばれる心理学が誕生する。これには、エイブラハム・H・マズロー(Abraham H. Maslow)の人間性心理学や、フリッツ・S・パールズ(Fritz S. Perls)のゲシュタルト療法(Gestalt Therapy)、エリック・バーン(Eric Berne)の交流分析(Transactional Analysis: TA)、アルバート・エリス(Albert Ellis)の理性感情行動療法(Rational Emotive Behavior Therapy: REBT、昔は論理療法とも呼ばれた)などが含まれる。