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中曾根康弘スレッド

37・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/06/26(土) 17:15
 F 朝日のフィクサー記者だった三浦〔甲子二〕が、テレビ朝日に移ってから派手に動いたことは、
モスクワ五輪の独占放映権の入手で証明され、メディアでは注目を集めたそうですね。
朝日新聞のOBの話によると三浦〔甲子二〕は追放され、今のテレビ朝日に都落ちしたそうですが、
その辺の事情はどうだったのですか。
 Y 彼が移った頃は未だNET(日本教育テレビ)と言って、旺文社の赤尾好夫や東映の
大川博などの経営者が、教育テレビの経営権を支配していました。ところが、NETの報道部を
廃止する計画で反対闘争が起き、労働組合を潰すために三浦〔甲子二〕が送りこまれ、
報道本部長として組合幹部を切り崩しをやった。それに続き報道部門を朝日新聞が引き受け、
更に、大川や赤尾と喧嘩して支配権を奪った朝日は、九州アサヒ放送の高野信を社長に据えて
植民地化した。
 F それは朝日が労働組合対策に使いまくった、三浦〔甲子二〕を裏工作に活用したやり方です。
それで三浦〔甲子二〕は親会社に恩を売った形になり、テレビ朝日の法王として君臨したのですね。
 Y テレ朝で常務と専務をやったわけだが、三浦〔甲子二〕が仕切った頃の社長全員が傀儡だと
言われた背景には、実に異様といえる政治力があったのです。政界に食い込んでドロドロした
ことをやり、実際に人事を握る能力は絶大だったし、河野一郎の後を継いだ【中曽根】と結んで、
三浦〔甲子二〕は児玉誉士夫の人脈を使っていました。
 F 日本の闇の帝王の人脈を権力支配に使って、裏側から政治を動かした独特な手口は、
中曽根の出世のパターンと共通ですね。
 Y 児玉の子分の[政界往来]の恩田貢と組んで、インチキ布団で問題を起こした男と一緒に、
アントニオ猪木のスポーツ政治連盟とか、色んな形で政治工作をやっていたが、要するに児玉の
代理人をやろうとしました。だから、インチキ右翼の四元義隆や読売の渡辺と共に、中曽根の
政治指南役をしていたし、色んな利権を動かす仲介をしていました。特にソ連関係の利権にとても
強かったので、KGBのエージェントだと噂されたし、今里広記との独特な結びつきがあり、
それがモスクワ五輪の独占契約の背景にあった。[朝日と読売の火ダルマ時代/藤原肇著]


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