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K・V・ウォルフレン語録

1カマヤン:2003/02/07(金) 05:55
K・V・ウォルフレンの、発言を拾ってみるスレッド。
ウォルフレンは、日本人を元気付けるための言語活動を、
継続して行なっている。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150501777/qid=1044564828/sr=1-2/ref=sr_1_2_2/249-6410171-1789143
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/410290008X/ref=pd_bxgy_text_2/249-6410171-1789143
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/404791374X/ref=pd_sim_dp_4/249-6410171-1789143

2ウォルフレン語録@カマヤン:2003/02/07(金) 05:56
 「知識人になるのは、それほど難しくない。大卒の学士号が必要なわけでもなく、技術認定証や職業免許証も一切、いらないし、発表用の論文執筆も要求されない。ある程度の知力さえあればよく、肝心なのは、考える意欲。思考から得たアイディアは、もし変えたいと思う社会環境があるならば,、それを変えるために利用できる。思惟は、得がたい自由の感覚を味わわせてくれる。」
   『日本の知識人へ』「読者へのメッセージ」窓社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4943983855/qid=1044563022/sr=1-3/ref=sr_1_2_3/249-6410171-1789143

カマヤン注;「思惟」しゆい、しい 心で深く考えること。対象を分別すること。

3ウォルフレン語録@カマヤン:2003/02/07(金) 05:56
 「日本では、知識人がいちばん必要とされるときに、知識人らしく振舞う知識人がまことに少ないようである。これは痛ましいし、危険なことである。さらに、日本の国民にとっては悲しむべき事柄である。なぜなら、知識人の機能一つは、彼ら庶民の利益を守ることにあるからだ。」
「知識人として当然果たすべき役割を果たす知識人がいないかわりに、日本には沢山の学者、ジャーナリスト、ブンカジンがいて…それと知ってか知らずか…意図的な情報(プロパガンダ)を撒き散らしている。」
   「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追従するのか」『日本の知識人へ』窓社 3p

4ウォルフレン語録@カマヤン:2003/02/07(金) 05:57
 「知識人というのは,博識である人とか、硬派ものの記事を書く人とか、大変な学識のある人とかとは違う。こうした人もおそらく知識人ではあろうが、しょせんは役人、もしくはジャーナリスト、もしくは学者でしかないのかもしれない。別の言い方をすれば、これらは真実の追究、あるいは客観的な理解の追及を,金銭とか安全保障とか相互扶助とかの追及より大切であると考えるとはかぎらない人々なのである。
 知的な誠実さを何よりも尊しとする姿勢こそ、知識人のきわだった特徴である。
 人が知識人であるためには、独立不羈の思索家(「考える人」全般)でなくてはならない。役人、ジャーナリスト、学者など、自分の頭を使って仕事をする人々も"知識人"たりえようけれど、これらの人はしばしば、この名称に値するほど知的に誠実ではないが普通だ。」
   「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追従するのか」『日本の知識人へ』窓社 4p

5ウォルフレン語録@カマヤン:2003/02/07(金) 06:01
 「およそ知識人たるものは絶えず国民に権力の持つ危険を思い起こさせ、権力保持者をいつも緊張状態にさせておくことを自らの報酬なき職責と見なすべきである」
    「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追従するのか」『日本の知識人へ』窓社 5p

6ウォルフレン語録@カマヤン:2003/02/09(日) 02:19
 「日本の権力保持者と、政治的役割を演じる重要諸制度との様々な組合せに見られる関係については、その現代の歴史と今日的諸問題という広大な分野が、一流学者によって研究されないままに放置されている。」
 「私は一部学者の鋭い分析に対しては、賞賛を惜しまない。
 だが、政治的な関心を持つほとんどの学者は、たんに政界の出来事を述べるにとどまり、暗に、もしくは公然と、権力保持者たちの行動や所関係を正当化してしまっている。」
 「これは警戒すべき状況である。
 もし日本の権力保持者たちがパワーエリートの外に立つ知識人によって自らの行動を何ら制約されることがなければ、彼らが究極的に全日本人を災難に追い込むコースに日本を近づけないでくれるとは信じられないからである。歴史は、そういう災難予測が当を得たものであることを示している。」

    「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追従するのか」『日本の知識人へ』窓社 6p

7ウォルフレン語録@カマヤン:2003/02/09(日) 02:26
 「日本の新聞を綿密に調べてみれば、新聞はほとんど何も監視していないことがすぐにわかる。」

 「新聞は時折、社会問題とか社会的虐待を取り上げて報道し、それこそそこそこの反応はするだろう…たとえばサラ金とイジメが頭に浮かぶ。
 しかし、こういう場合でも、新聞は自らが批判する現象をより大きな視野のもとで全体的にとらえ、読者が因果関係をもっとよく理解できるようにすることはほとんどない。」

 「日本の新聞は日本の社会政治制度を監視するかわりに、読者から必要不可欠な情報を体系的に奪うことによって、現在進行形の出来事を不明瞭にする役割を演じている」

    「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追従するのか」『日本の知識人へ』窓社 8-9p

11ウォルフレン語録@カマヤン:2003/02/09(日) 03:04
 「もちろん、日本にはきわめて真剣かつまっとうな文筆活動がないわけではない。」
 「しかし、結局はこれも、必要とされる幅広い政治監視であるとは言いがたい。」
 「しばしば、大胆で独創的な考え方に立脚して政治の因果関係を幅広く概観することよりは、さして重要でもない政治的兆候に近視眼的に関心が集中しがちである。」

    「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追従するのか」『日本の知識人へ』窓社 10p

12ウォルフレン語録@カマヤン:2003/02/09(日) 03:04
 「監視らしい監視がないかわりに、我々には本質的に宣伝用の日本像が提示される。」

 「宣伝者たちは強大だ。おびただしい数に上るケンキュウカイは、その多くが多額の資金供与を受けていて、たとえば経済問題に関する情報を収集、分析するために、表面上は超党派の努力を傾けているが、その実、権力エリート層の目的にかなうレポートを次々に生み出している。」

    「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追従するのか」『日本の知識人へ』窓社 11p

 [カマヤン注]
 ウォルフレンのこの論文は1989年に執筆された。日本の景気がまだよかった頃、日本国民と外国人に向けて、「美しいウソ」で固めた「日本文化論」を、「宣伝者」たちが「宣伝」していたことを、直接にはウォルフレンは指している。
 村上泰亮、舛添要一などはウォルフレンのこの論文に反論し、ウォルフレンは同書で再反論している。
 「日本文化論」は、日本が実際には資本主義体制・自由主義経済体制ではないという経済的事実・政治的事実を、「文化」論で隠蔽したものだ。80年代には大量にあった。舛添要一などはその最大級の戦犯の一人だ。
 より深く長い射程で見ると、日本の戦後の「政治」に関わる言説は、そのほとんどが「宣伝」だ。

13カマヤン:2003/02/10(月) 04:53
 「こういうことの背景にある原因を探ってみると、日本には二つの有害な伝統があって、これが日本の知識人の政治的未成熟を持続させる総体的な態度を形作っていることがわかるだろう。
 一つは、現行の社会管理システムなら、どんなものでも支持するという強い伝統であり、もう一つは、現在の支配的状況について何かをしでかそうとするのは子供じみている、と、潜在的な反抗分子(テイシデント)に悟らせる、これまた強力な伝統である。」
    「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追従するのか」『日本の知識人へ』窓社 12p

 「知識の領域で働く人々には、すばらしい利点がある。たとえどんなささやかな程度でも、とにかく世間に衝撃を与えるには、ペンもしくはワープロしか必要としない、という利点である。
 既成の秩序に反対するのは無分別であると前提してしまう日本の伝統は、こうした人々にそれを試みることさえ思いとどまらせる。」
    「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追従するのか」『日本の知識人へ』窓社 13p

14ウォルフレン語録@カマヤン:2003/02/10(月) 05:02
 「現代日本の最も重要かつ最も高名な哲学者が、権力保持者に対する個人的感情がどんなものであったにせよ、政治的現実と対すると結局は知的臆病者でしかなかった、という事実は皮肉である。しかし、これはまことに大きな示唆に富む。
 彼は対立抗争 conflict (健全な政治システムにおいては、必要にして不可避の状況である)を非常に恐れていたので、各個の人間が社会生活の現実を完全に無視してしまいうる論理的根拠を構築したのだった。」
    「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追従するのか」『日本の知識人へ』窓社 14p 

 [カマヤン注]
これは、直接には、西田幾多郎と京都学派を批判した文だ。
http://dic.lycos.co.jp/ecp/result.html?query=%90%BC%93c%8A%F4%91%BD%98Y&id=0017375100&encoding=shift-jis&th=1&th=1
が、個別の人物への批判だと矮小化するべきではなく、「対立を過度に隠蔽したがる思考法、政治と対峙する際に知的臆病者になってしまう態度」への批判に注目するべきだ。

16ウォルフレン語録@カマヤン:2003/02/10(月) 05:23
 「知識人は、権力保持者が何よりもまず国家利益のために活動する、とは決して信じてはならない。」

 「あらゆる種類の権力保持者の中では、官僚こそ、いつ、どこにおいても、最大の疑念をもって見守られなくてはならない。なぜなら、彼らの行うことの多くが容易に目につかないからである。」

 「日本の官僚の地位は異例とも言えるほどのものだ。彼らは、他の先進工業国の官僚よりも強大な権力を保持しており、しかも、そうした権力を制限する制度的規定面で日本ははるかに遅れを取っている。」

 「経団連とか日経連といった、日本の経済団体で活動する有力な人々も、私の考えでは官僚である。こういう人々は利益を稼ぎ出すことではなく、統制すること reguration を仕事としており、これを企業家と呼ぶのは確かに間違いだ。」

    「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追従するのか」『日本の知識人へ』窓社 18-19p

17ウォルフレン語録@カマヤン:2003/02/14(金) 08:24
 「よりよい人生を生きるために、あなたは日本の変革に手を貸すべきだ。」

 「日本の変革を構想するにあたって、いくつかの概念 concept を学ぶことが、大いにあなたの役に立つ。」
 「その一つが、『市民の立場 citizenship 』という概念だ。
 『市民 citizen 』『臣民 subject 』『国民 national 』という三つの概念はしばしば混同されるため、多くの人が同じ意味だと思っている。しかし、『市民』には、たまたま生まれ合わせた国の名を表示し、外国に行くときパスポートに記される『国籍 nationality 』と同根の『国民』という言葉より、もっと深い意味がある。また、『市民』には、政府や君主に服従する『臣民 subject 』とは、まるでちがった意味がある。
 市民とは政治的な主体だ。市民とは身のまわりの世界がどう組織されているかに自分たちの生活がかかっている、と、折にふれ、みずからに言いきかせる人間だ。」
 「市民はつねに、社会における自分たちの運命について、もっと理解を深めようと努める。市民は、ときに不正に対して憤り、自分でなんとかしたいと思い立って、社会問題にみずから深く関わっていく。消極性は市民の立場 citizenship の死を意味するのだ。」

   『人間を幸福にしない日本というシステム』毎日新聞社 17-18p

 [カマヤン注] citizenship:市民精神、市民権、公民権、公民の資格

18ウォルフレン語録@カマヤン:2003/02/14(金) 08:42
 「われわれがもっと活用すべきもう一つの概念 concept を紹介する。
 『偽りのリアリティ false reality 』という概念である。
 これは、ものごとを解釈しようとするときにはいつでも生じうる単なる誤解のことではない。うっかり誤解したのであれば、すぐにでも正しい解釈に変えることができる。私が言う『偽りのリアリティ』にはもっとずっと根が深くて気づきにくい性質がある。それは自体の誤った説明がつづくかぎり存在しつづける『現実』なのだ。
 偽りのリアリティは、大多数の人に、たいへんもっともらしく見える。一見つじつまが合っていると思わせるからだ。独裁国家や全体主義国家は、つね日頃から一連の思想を入念に創作し、それが同時に、偽りのリアリティをかたちづくっている。そして、その偽りのリアリティが、今度は、独裁制や全体主義のシステムを支える基盤となる。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)では、人々はそこが労働者の天国だと絶えず教え込まれている。ソ連の被支配者 subject たちは、最後まで、そこが世界で最も進んだ福祉国家だと聞かされていた。
 日本は独裁国家でも全体主義国家でもない。しかし、偽りのリアリティという幻想が、政治・経済問題に絡み、日本のいたるところで深く根を下ろしている。
 日本の民主主義 democracy はまだ実現していない。それは可能性 potential にとどまっている。
 そして、人々が常時頭のなかに居座らせつづけている、この私の言う偽りのリアリティこそが、おそらく日本の民主主義実現への最大の障害物になっている。」
   
   『人間を幸福にしない日本というシステム』毎日新聞社 19-20p

19ウォルフレン語録@カマヤン:2003/02/14(金) 08:50
 「知は力なり…これは多くの文化圏で理解されている。もしあなたがものごとの仕組みを知っており、いま何が起きているかも知っていれば、他人への依存からあなたをより自由にするこの真理を、すぐにも行動で実証できる。逆もまた真なり。つまり、無知は無力なり。
 もし、あなたのまわりの世界がどんな仕組みで動いているのか知らなければ、あなたはそれだけ犠牲者にされやすい。明らかに、正確な情報を多くもっている人は、対人関係で格段に有利な立場に立てる…反対に、知識が極端に少なかったり、誤った知識しかなければ、その人は格段に不利になる。
 もう一つ、はっきりしていることがある。知識の少ない個人は、社会的に上位にある者から、より簡単にコントロールされやすい。」

   『人間を幸福にしない日本というシステム』毎日新聞社 21p

20 ウォルフレン語録@カマヤン:2004/02/10(火) 00:25
 日本の編集者と役人は脅しに弱いというのが、一部の国々、とくにアラブ諸国では
定説になっている。
 顕著なのは、サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』の日本語版翻訳者が殺害された
事件である。『悪魔の詩』を翻訳した筑波大学助教授殺人事件は、明らかに殺す目的で
喉を掻き切られたというのに、メディアはほとんど注目しなかった。
 『悪魔の詩』事件は、知識人脅迫の目的で狂信的な殺し屋が日本に出入りできることを
示していた。
 日本の上層部の人々が簡単に脅しに屈するため、多くの外国人のあいだで日本人は
みな臆病者だと思われている。
 怖気づいた市民は、きちんと機能する市民社会を築けない。
 脅しに対する簡単な対処法ならある。生命の危険がないかぎり、無視するのだ。
脅しは、それに敏感に反応する人だけに効く。恐れなければ、脅迫の標的にされる可能性は
はるかに小さくなる。
 もし他の市民が脅されているのを知ったときは、そのことを騒ぎたて、脅迫者の正体を
暴くのが一般に効果的だ。右翼のなかの悪党集団が教師やジャーナリストを殺すと脅迫
しているのに、日本の警察や政治家が見て見ぬふりをしているのは、とんでもないことである。
  出典;『人間を幸福にしない日本というシステム』(新潮文庫、2000年)344-346p。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/410290008X/qid=1076340237/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-6701338-1961949

22・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/13(火) 06:02:10
K・V・ウォルフレン『日本/権力構造の謎 上巻』(早川文庫、1994年、362-369p ) から記事を引用。
〔以下、引用〕
  1
 電通ほど一手に、直接、あるいは多数の下請けを使って大衆文化を作り出している企業体は世界中どこを探しても、ほかにない。万国博やローマ法王訪日時の準備など、主要イベントもこの会社が総合企画・演出の陣頭指揮に立つ。〔略〕
 電通は、日本の全テレビ・コマーシャルの三分の一の直接責任者であり、ゴールデンタイムのスポンサーの割り振りに関して実質的に独占的決定権をもつ。〔略〕約120の映像プロダクション、400以上のグラフィック・アート・スタジオがその傘下にある。午後7時〜11時の時間帯の番組にコマーシャルを出したい広告主は、電通を通すしかない。スポンサーの選定と放送番組の内容の大部分を電通が握っているからだ。
 〔略〕日本では、扱い高が即、政治力になるので、電通はこうした役割〔事実上の編成局〕を演じられるのである。〔略〕
 その結果、電通の影響力は日本のテレビ文化の内容まで左右し、世界中どこにも類例がみられないほど、強力なマスメディアを通しての社会統制になる。そして、このことには重大な政治的意味がある。テレビという麻薬が日本ほど見事に利用されているところは他にない〔略〕。皮肉なことに、NHKが、官界ともっとも直接的につながる局でありながら、リポーターが社会的な問題についての掛け値なしの疑問を投げかける、まじめな番組を放映することがある〔略〕。
 〔略〕欧米諸国のたいていのテレビ番組が平均精神年齢11、2歳の視聴者に合わせているとすれば、日本のテレビ番組は平均精神年齢8、9歳に合わせている。日本で日々の娯楽の質を決定する上で主要な役割を果たしているのは電通であり、電通はほとんどすべてのものを最低レベルまで下げるのに成功している。頭の働きを鈍化させる芸能娯楽を作り出す機関は他の国にも存在するが、今ここでわれわれが検討しているのは、ほぼ完全に他者を締め出して、大衆文化の質の向上を抑制したり拘束できるだけの力を持つ組織のことである。

23・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/13(火) 06:02:26
  2
 電通の広告扱い高は、日本の総広告費の約四分の一に当たる。大手新聞の広告の五分の一強、主要雑誌の広告のおよそ三分の一が電通扱いである。残りの四分の三を約3,000社の中小広告代理店が分け合っている。〔略〕
 電通が、これほど無敵の存在になれたのはその人脈のおかげである。同社の社員採用方針でつねに目指してきたのは、テレビ界や出版界のトップ・クラスの管理者や幹部役員、および特別な広告主、プロの黒幕などの息子たちや近親者からなる人材プールを維持拡充することであった。〔略〕彼らを指して、大きなスポンサーと良好な関係を保つための「人質」だとは、電通のある役員がたとえ話に言ったことばである。
 〔略〕電通出身者の落ち着き先〔天下り先〕の一つは、テレビ番組の人気度を評価する視聴率調査会社、ビデオ・リサーチ社である。〔略〕管理者たちに不評なテレビ番組を解除するのにも活用される。論争の的になる時事問題(たとえば、部落問題、文部省による教科書検定、税制など)を扱った『判決』という番組は、低視聴率という口実をもって、放送が打ち切られた〔原注〕。
 電通は、消費者の追及から大企業を庇ったりもする。電通のある幹部は、アメリカの消費者運動活動家ラルフ・ネーダーを日本に招いた読売新聞が、電通の警告に応じて、同紙の予定していたネーダーについての二面抜きの特集記事を小さな記事に分割し、しかも調子を落としたと、スピーチで誇らしげに語った。また同じ頃、毎日新聞がこれも電通の指示のもとに、消費者運動についての記事を《穏当》なものに変えた〔原注2〕。電通は報道媒体に強大な圧力をかけ、電通のクライアントの名声に傷がつくような出来事は、報道させないか、報道に手心を加えさせることもできる。1955年、森永乳業の砒素入りミルクについてのニュースを電通が統制したケースは有名である。また、1964〜5年には、大正製薬が製造した風邪薬を飲んでショック死した人々についてのニュースを、電通が検閲し内容を変えさせた。〔略〕
 電通が報道関係を巧みに検閲できるのは、財政的な力に起因するだけではない。1936年から45年まで独占的な政府の宣伝機関だった同盟通信社と一体だったこと、また、どちらも戦時中の同盟通信社の末裔である共同通信社と時事通信社という、日本の二大通信社とひじょうに緊密な関係にあることにも起因する。このつながりは株式の相互持ち合いによって強化されている。共同が扱うニュースについては、つねに電通に情報が入る。〔略〕

24・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/13(火) 06:02:46
  3
 電通のもう一つの機能は、官僚および自民党のPR活動をしたり、《世論調査》を通して国民の《伝統的な価値》を支えることである。電通は、総理府及び自民党が必要な情報を収集し、偏った意見調査を通して《世論》を作り上げる手伝いをする。自民党の選挙キャンペーンというもっとも手のこんだ部門は、電通が引き受けている。原子力発電所の安全性の宣伝や、さまざまな省庁の企画に関する宣伝なども扱っている。1970年代後半に、一連の野党系市長や知事を退陣させる政治的策動をとりまとめ、政治的に重大な地方消費者運動や反公害運動に対抗する反キャンペーンを展開したのも、電通である。
 このような官庁および自民党のための仕事は、主に電通の《第九連絡局》でおこなわれ、ここには、建設省、運輸省、農水省、郵政省、文部省、大蔵省、総理府の各省を担当する別々の課がある。公式には民営化されたが実際には以前とほとんど変わっていないNTTやJRなどの公共企業も、この局が扱っている。この第九連絡局は、総理府の広報予算の三分の一以上、他の省庁の同四〇パーセントを吸収する〔原注3〕。また、自民党の広報宣伝予算についても、電通が独占に近い形で自由に使っている。
 自民党と電通とがこのような親密な関係を保てる理由の一つは、電通は寡占によって実業界の顧客からひじょうに高い手数料をとれる、したがって、いつも《政治資金》の足りない自民党は、安くしてもらったり、支払いを急がなくてもよいからである。電通の第九連絡局は、1972年、田中角栄内閣発足直後に作られた。その一年後に、電通は注目すべき『自民党の広報についての一考察』という報告書を刊行し、その中で、自民党はすでに記者クラブ制度を通じて大手新聞、テレビ、ラジオの記者とはかなり有利な関係を保っていたが、新聞社発行以外の主要週刊誌との関係は、まだ十分に《決められたルール》にもとづくものではなかったと、よく引用される主張をしている。

25・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/13(火) 06:03:11
  4
 電通のおよそ四〇パーセントに当たる売上高をもつ、日本で二番目に大きい広告代理店博報堂もまた、管理者、とくに財政金融界の管理者たちの間に安住している。この会社の社長が二代続いて、またほかにも数名の取締役が大蔵省からの天下りであるから、当然ともいえる。
 だが、もう少し小規模で、官僚のために宣伝活動を展開して、最も興味をひくのは、ひじょうに積極的な東急エージェンシーである。電通は、通常、官僚を通じて仕事の注文を受けるのだが、中曾根康弘が首相在任中は、彼自身が直接東急エージェンシーに電話をかけて指示した。このような緊密なつながりがあるのは、東急グループの総帥で、1987年まで日本商工会議所の会頭だった五島昇(1989年死去)が、東大の同期生・中曾根を、彼の人脈の頂点においていたからである。
 東急エージェンシーが担当した最大の仕事は、中曾根が戦後のタブーを排除する計画の一部として遂行し論争の的となった、建国記念の日に関連する祝賀イベントである。対象範囲がさらに広いもPのとしては、中曾根の行政改革案に関連し全国で展開された宣伝キャンペーンがある。このキャンペーンでは、主婦組織などから参加者を募って圧力団体を作り、市中行進や国会前デモを組織した。1983年3月には15000人の《デモ隊》動員に成功している。このような大きな仕事を担当して金銭的には損失があったが、人脈のつながりがいっそう強固なものになったおかげで東急エージェンシーは急成長する広告代理店になった。
 〔略〕自民党政府が次々と出す《政策要綱》は、たいてい広告コピーのように聞こえるのだが、それは具体的な政治理念のかわりに出てくるスローガンが前記の代理業者のどれかで作られたものだからである。

  〔原注〕三神博「言論の自由を否定する電通」(猪野健治編『電通公害論』日新報道、1971年 107−8頁)
  〔原注2〕マスコミ関係産業労働組合共闘会議編『マスコミ 一九七一』(労働旬報社、1971年 292頁、猪野健治「曲がり角にきた電通帝国主義」(猪野健治編『電通公害論』日新報道、1971年 50頁以下)
  〔原注3〕大下英治「総合《情報》商社 電通のタブー」(『創』1977年12月 137頁)、田原総一郎『電通』(朝日新聞社、1984年 40−4頁)
〔以上、引用〕

26:2006/11/22(水) 07:09:08

ソーカル事件て知っているか?

27カマヤン:2006/11/26(日) 08:34:01
>>26
低脳なお前よりは知っているが何か?


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