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『インパール兵隊戦記』を読む

3・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/12/06(金) 22:20
■1;二重規範
 「法のもとの平等」は、近代国家の前提の一つだ。だが、戦前の日本、特に
十五年戦争期の日本には、この前提が欠け、法治国家として壊れていた、と、
私は考える。結果、その身分によって適用される法が異なる、という前近代性が、
かなりあからさまに現れた。このレポートではそれを「二重規範」と呼ぶ。
 「二重規範」という語は社会科学系でしばしば用いられるが、「二重規範」を俗な
言葉に砕くと、「二枚舌」「不正直」ということになると、私は理解する。
 「法のもとの平等」が壊れる萌芽は、天皇制自体にあったと言える。皇道派の
理解した天皇制は神政政治体制だ。1930年以降の日本は、神政政治体制に
なったと私は考える。法源が天皇の権威に求められ、法執行者の正当性が天皇
との距離に求められる体制は、「身内」と「身内以外」を差別する二重規範の
温床となる[1]。軍官僚らから見ると、「神」により近いのが「身内」、「神」からより
遠いのが「身内以外」だ。「身内以外」という意味で、敵も下級兵士も、軍官僚から
見ると、同じだ。
 「二重規範」は、公式には士官未満への自決命令と士官以上への担架輸送待遇を、
非公式には「軍隊は泥棒の養成所」の精神を生む[2]。
 古参兵士から下級兵士への暴力による制裁が加えられたとき、「軍隊では真実を
語ってはならない不文律があった」と黒岩は書いている[3]。不正直であれ、と、
軍隊は兵士に教えているのだ。

注釈
[1] たとえば丸山真男は終戦直後に「超国家主義の論理と心理」で日本の神政政治的
側面を指摘している。丸山真男「超国家主義の論理と心理」『増補版 現代政治の思想と行動』
(未来社、1998年)21頁。「遵法というものはもっぱら下のものへの要請である。」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4624300041/qid=1039180356/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/249-6464842-7508334
[2] 黒岩正幸『インパール兵隊戦記「歩けない兵は死すべし」』(光文社NF文庫、1999年)184頁。
[3] 同前、64頁。


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