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・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2002/11/15(金) 07:41
717 名前: 闇の声 投稿日: 02/04/24 09:07
なんとくだらない話なのか・・・もう、開いた口がふさがらないな。
山崎の話・・・・
佐藤−田中総理の時代に何度か外務大臣を務めた人に
園田直さんがおられた。この人も、艶福家だった。
いろいろ、芸者との浮き名も流した。違うのは、遊びがきれいだったし
仕事もした。
当時、日ソ漁業交渉という大きな仕事があった。
ソビエト側はグロムイコやコスイギンという、名うてのタフ・ネゴシエ−タ−だ。
モスクワに出かけていって、アポを取ってあるわけだが彼らの手段は嫌がらせだ。
二時間の会談時間をセットしても会議場に来るのはたいてい一時間半後だ。
実質、30分しか会談をしない。しかも、部屋には盗聴マイクが仕掛けてあるので
ソビエト側への悪口や、落としどころなんか口に出来ない。
あのころ、それこそソビエトのスパイなんかうようよいたから日本でなんか
大きな所で話も出来ない。確かに、米ソ冷戦でスパイ合戦もかなり派手なように書かれているが
実際にソビエトが一番関心を持っていたのは、日本がいくら金を積むか。
それも、米ドルで。日本での諜報活動で、対日本としては新技術情報の他に、もちろん社会党の動きや
労働組合、中国との関係もあったが漁業交渉の条件を探るのは現金収入に関係するので
かなり重要案件だった。
モスクワで、さんざん待たされてソ連側は現れるなりいきなり
「会議をする必要はないと言うことだ。条件はこの文書以外の何物でもない。
さっさとサインして日本に帰るが良い。」ドアをばたんと閉めて出ていってしまう。
園田外務大臣が車の中で男泣きに泣いて
「俺は日本に帰れない。ここで腹切って死にたい!」何度そう言って泣いたか。
大使館で、もちろん日本に電話連絡すると首相は電話の向こうで
「どうしてもソ連側の譲歩を引き出せ!」それしか言わない。
田中首相あたりの言葉はもっときつかったし、もっと怖かった。
しかも、どこで盗聴されているか分からないから数字や条件は話すことが出来ない。
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