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566・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*[TRACKBACK]:2004/09/24(金) 10:45
http://jbbs.livedoor.com/bbs/read.cgi/news/535/1036155198/r277の関連

http://www.ultracyzo.com/newssource/0406/01.html
 〔略〕細木〔数子〕の過去を紹介するエピソードに、島倉〔千代子〕に関するものがある。
島倉が借金まみれだった1977年、細木が彼女の後見人となり事務所を設立し、見事な手腕で
借金返済に尽力したという美談だ。〔略〕ところが前述したとおり、実のところ島倉サイドは細木に
よい感情を抱いていない。〔略〕
 島倉は70年頃、ステージ上でファンの投げたテープが眼に当たり、大けがをするという事故に
見舞われている。〔略〕
 そんな借金まみれの島倉の前に現れたのが、赤坂などで水商売を立ち上げていた細木だった。
「細木は、ある暴力団の組長と昵懇だったんです。その筋にも顔が利くということで、島倉は細木に
マネージメントのすべてを任せました」
 「〔略〕ところが、細木に返済を任せていた借金は、いつまでたっても消えずじまい。島倉はもしや
細木とその筋が示し合わせて、金を吸い取られているのではないか??と疑念を抱き、細木と
別れるんです」
 〔略〕かつての細木の証言によれば、赤坂で自身がサパークラブを経営していたときに、偶然に
島倉と出会ったというが、本当に偶然だったのか、それとも細木が島倉を利用しようと意図的に
アプローチしたのかは、真偽不明のままだ。
 一方、島倉という糧を失った細木だったが、81年に占い師としての最初の著作『六星占術による
運命の読み方』が70万部の大ヒットとなり、一躍有名人となる。ただ、その後もことあるごとに
島倉千代子を再生させた手腕を喧伝する細木に対して、島倉は憤っていたようだ。
 「売れっ子になった細木には、常に芳しくない評判がついて回りました。島倉さんの件のほかに、
83年に、当時85歳だった陽明学者で歴代総理の指南役としても高名だった安岡正篤氏と結婚すると、
1年後に死別。遺産をめぐって安岡家と、泥沼の訴訟を繰り広げました。さらに墓石屋と組んで
霊感商法を行っていると、被害者から告訴されもしました」(女性週刊誌記者)
 〔略〕今年に入って、細木の実弟がマルチまがい商法を行っているとのスキャンダルが噴出。〔略〕
(サイゾー2004年6月号掲載)


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